専門卒、大学院受験失敗と新たな進路の開拓。
1. 新たな人生への一歩を踏み出す決断に至るまで〜
2年ほどお世話になった、訪問看護ステーションを先日退職しまして、
晴れてニートになりました。お疲れ様でしたー。
初めて計画的に円満退職できたかもしれない。
退職理由は、
看護師というかよく女性社会でありがちな、
"結婚" "彼氏の転勤で引っ越し" "妊娠"
とかではなく、
【海外進出】 です。
2. 大学院受験準備期
事の始まりは、
元々は去年の12月頃に公衆衛生の大学院の受験に全力取り組んでて、
その忙しい最中に、地元の市からある1通の手紙が届きまして。
公衆衛生学でも英語の授業で本場のアメリカの大学の先生が来て授業する
科目があったりで、質問したり理解するのにやはり英語は必須だなぁ…と悩みながらも受験準備している状態で。
3. 1通の手紙がもたらした転機
何事だろうと手紙を開けると、そこには
"10年ぶりに姉妹都市提携再開を記念して、以前国際交流プログラムに参加された当時中高生の方に、ワーキングホリデービザを使って交流を図りましょう。"との内容が。
しかも、現地の国際交流協会が仕事や家の斡旋を手伝ってくれるよう。
10年前に1回すでに行った事がある土地だし、なんだかんだFacebookでまだ当時のホストファミリーと連絡細々と取ってるし、市から提供される仕事なら安全そうだし、確実に仕事できるし、
これは、奇遇としか思えないチャンスなのでは。。。
(ちょうど歳もアラサー近づいていてリミットがある)
タイミングとチャンスには積極的に乗れと本能が言っている…..。
3.慌ただしい初めての大学院受験。結果は…?
そんな訳で、元々大学院に春から通うので3月末までで退職…..
をすでに10月くらいから上司に釘刺してたので、
ひとまず受験合否次第ということにして、
◼︎願書と研究計画書と必要書類を作成。
(こちらの内容に関してはまた別の記事で公開します)
↓
1月中に面接して後日合否判定される予定
↓
あれ、、面接の日程調整が来ないぞ?
↓
学科長から直接zoomに招待される
↓
◼︎不合格を言い渡される。
これには、色々ありますが、一番の問題は私の最終学歴が
"専門卒"という事です。
これにより、入学要綱には大学卒業資格者と同等の基準を満たす者を採用する条件として、個別審査が事前に必要になるんですね。
ただ、この学問を知ったのが9月末で、そこから学問で得られる教養や今後の展望を模索し、イメージし、来校して面談等教授と直接したりなり慎重に情報収集してたら12月上旬になり、来年度の入学がぎり間に合えるので、研究所のテーマ作りと書類準備に奔走してたら、この個別審査の期限が過ぎてしまってました。
受験に至るまで半年もなく急すぎたのと、完全なる私の見落としですね、
あとは面談で教授に個別審査の事を何回も聞いたのに期限が迫っていることを伝えてもらえなかった….。いや、結局自業自得か。。
それに加え、
理事会で2024年度から大卒者を優先的に採用するようになりました
と、トドメの一言が。
4.そもそも専門卒ワイ、最初から無理ゲーやん。
はい、学歴の壁ですねー。
職歴が立派に7年くらいあっても、所詮は一般社会出たら看護専門卒なんて
技術と現場だけで教養のない低学歴と判断されるんですね。
あぁ、あの時大学を選んでおけばこんな悔しい思いをしないで済んだのかと思うと、やるせない悔しい気持ちが止まらない。でも、もう仕方ない。
職歴があるにしても、
JICAに参加して発展途上国でこういう活動してました!
所属してた科でこういう事例に関して看護研究して学会で発表しました!
災害現場で実際に現場応援と研修参加してました!
とか、そういう積極的で自発的な経験談がない限り難しいらしい。
真面目に一生懸命働くのはいい事なんだけど、会社的にみたら自分は働く機械みたいになってた。
会社としては安い賃金で働いて逆らわない
"若くて素直な人材"だったんでしょうね。
真面目は損をする事に気づいた瞬間です。
資本主義というのは残酷です。
気付かなかった方が幸せだったのだろうか…?
かと言ってね、最初からそんな大きな将来のビジョン持つなんて経験ないし無理なので、早い段階で気付いたものがちなんだろうな。
人生って本当、難しいね。
5.まとめ
大学院落ちましたが、今後海外進出しますという事で円満退職を認めてくれる理解ある上司と職場で良かったです(完)。
なんとか海外生活乗り切って成長して、実績を身につけて頑張ってきます。