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カルチャーは生まれた瞬間死ぬ?

前回カルチャーのざっくり解説をさせていただきました。今回はその続編です。

僕と仲良くしてくれている人は「初期のトー横はカルチャーになる前の1番美しい瞬間」と僕が意味不明なことを言ってるのを聞いたことがあると思います。

大前提どうでもいいと思いますが、僕が人として美しさを感じる瞬間をお伝えしておきたいと思います。(またいつか深掘りするタイミングがあるかもしれないですが、、)

僕は「人が何らかの外的要因に影響され、何かしらの感情・衝動が発生し、何かしらの行動に起こす瞬間が美しい」と感じます。

バンドマンが彼女に振られて歌詞を書き始める瞬間とかが分かりやすい例かと思います。この瞬間の行動により、作品や商品が生まれることが多いと思います。

今回この意味不明な諸発言を深掘りしていきたいと思います。

では早速。

カルチャー、特にカウンターカルチャーが生まれる瞬間はいつだと思いますか?

前回書いたようなその時代時代での社会への不満、政治への反発が起こったときでしょうか?

違います。これらはカルチャーが生まれる要因になった諸出来事です。

カルチャーが生まれる瞬間は誰かにこれは〇〇カルチャーと「名付けられた瞬間」です。

冒頭で挙げたトー横を例に説明していきます。

トー横界隈とは社会への不満や諦め、または自己の不安定感を募らせた若者が自然と歌舞伎町のトー横へと集って生まれたコミュニティでした。

ところがこの状況をメディアで報道され、「トー横界隈」なるカルチャーになってしまった。

私たちが今トー横キッズのファッションを聞かれると、全員似たようなファッションを想像できると思います。

つまりカルチャー(=前に述べたイデアの状態)になってしまい、それに憧れたキッズたちがトー横へ流入することとなりました。

そして、現状今のトー横はカルチャー化いわば「コスプレ化」したものになってしまいました。

分かりやすくいうと、全身カーキのミリタリーのアイテムの人を見て、軍人のコスプレに見えてしまう感覚に近しいものがあります。

ここで話を戻します。
「初期のトー横はカルチャーになる前の1番美しい瞬間」

こちらの真意は
「カルチャーは第三者に名称をつけられた瞬間からコスプレになってしまい、人の感情から自然発生したものではなくなってしまい輝きを失う」と言うことです。

つまり何が言いたいかと言いますと、

よく服好きの人に「カルチャーを理解して服を着ろ」と言われると思います。
実際、服の歴史的文脈を理解することで前回説明した「外し」を意図して行うことができます。
ただ、カルチャーに固執しすぎるとただのコスプレになり、自分の意思表示の意味合いを持たないだけではなく、人に既存の価値観を押し付ける事態にもなります。

カルチャーを理解した上でいかに自分の価値観と擦り合わせて表現するのか、またカルチャーという歴史に自分自身が飲み込まれないことが1番大切なのかな〜と思います。

以上ざっくり主観モリモリのカルチャー考察でした。

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