理解できないもの

推し活に励む恋人を受け入れられない。そして、その相手の推しの対象を憎しみ、嫌いになる。そこから亀裂が入り、終わる。

ひとつの定型みたいな別れ方だ。

当の私も、推し活について理解に苦しんでいる。
というか、わかるつもりもない。わかろうともしない。

しかし、大概の男はこれを受け止め、適当に流す。泳がせる。「器がデカい」とか、そんな言い方をするんだろうか。

私の理解を阻むのは、「境界線の認識」にある。「割り切る」ということだろうか。

先に言った軽く流して見せる男や、私のような男に酷く攻め立てられた推し活に励む恋人は大抵、「芸能人だしそもそも付き合えるわけがない。」という主張をする。

私は、この主張にまるで納得がいかないのである。

そもそも、芸能人という括りはその人間のプロフィールの一部に過ぎないのであって、本質は私と変わらない人間なのである。彼らだって性欲はあるし、立派にマスターベーションをするオスだろう。私と彼らの間に全く違いを見出せないのである。つまり、「芸能人であること」が境界線として機能しないのである。

それに、あえて「芸能人との恋愛はありえない」という理屈にのっとって考えた時、仮に向こうから言い寄られた場合、(こう言うと「そんなのありえない」と頭ごなしに被せて騒ぐのも目に見えているので、そう言う奴らに向けては推しと絶対に付き合える場合、とする。)簡単に今の彼氏を振り切って、その推しと付き合うことだろう。「ありえない」という決めつけがひっくり返れば、いとも簡単に乗り移る。裏を返せばそう聞こえるのである。

もしかしたら、付き合わないという選択肢を取る人間がいるかもしれない。しかし、それは「彼氏への同情」だったり「自らの世間体」を守ったにすぎないだろう?(本当は付き合いたいけど)一緒に過ごしてきた彼が可哀想だ。(本当は付き合いたいけど)ここで付き合えばすぐに乗り換える尻軽女になってしまう。

こんなことを思ってるなら、私からしたらむしろちゃちゃっと乗り換えてしまってほしいものだ。自己保身のために善人ヅラを塗りたくって私を選んだフリをされても、心底傷が深まるだけである。

この世に絶対はない。ありえないはない。異性である以上、そういった可能性を1%でも孕んだ異性に目を惹かれるその推し活というのは、芸能人という境界線がない私からしてみれば、都合よく「芸能人」であることを利用した大々的な浮気であろうと思ってしまう。

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