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トレンドとラインの恣意性について[β]

恣意性について

前提: すべてのトレンドラインは恣意的であり、トレンドは恣意的に定義されるものである。 

こんにちは、edjjライターです。
いきなり結論に近い前提を書きましたが、この説明は始終これに尽きます。ダラダラ思考実験しているので長くなりますが最後までお付き合いください。

まず前置きとして伝えておきたいんですが、水平線は恣意的ではありません。価格チャートは縦軸価格横軸時間のチャートですから、価格というのは誰にとっても一意的です。Aさんにとっての180円とBさんにとっての180円が異なるなんてことはありえません。誰にとっても180円は平等に一意的なのです。 

 一方でトレンドラインは恣意的です。トレンドラインを引くとき、我々は無意識的に複数の操作をこなしています。

(1)ラインの起点の設定 
(2)ラインの長さの設定
(3)ラインの角度の設定
 

これらの操作がトレンドライン設定を恣意的にしています。ライン起点の設定とは、価格増加を判定する起点です。ここではすべての値動きを価格増加と表現します。(値下がり場合は負の増加)ラインの長さは、価格増加量を判断する場合に基準にする時間軸の長さであり、ラインの角度、つまり傾きは価格の増加率です。一次関数で言うと、(1)は原点O、(2)はxの増加量、(3)は傾き(増加率)です。  

相場におけるトレンドラインがややこしいのは、数学とは異なり、見る人によって原点Oの位置が異なることです。トレンドを定義する上で、誰にとっても自明で一意に定まり、コンセンサスが100%取れる原点というものがないわけです。(チャートの表示限界まで遡ればできないことはないですが、そんなことしてるチャートメイカーが大半を占めるとも考え難いですよね。)  

さらに時間足によって一波の定義なんてものは異なるため、(ローソク足が連続体ではないから)そもそもどこが安値でどこが高値なのかなんて、それこそ強烈なほど恣意的に決定される不安定な要素であることがわかると思います。そもそもローソク足見ないでラインチャートや平均足でトレードするトレーダーも一定数いるわけですし。 

従って、多種多様な時間足でトレードしている誰にとっても共通な原点Oはない、ひいては相場のコンセンサスを100%得られる上昇(下降)トレンドなんてものはそもそも定義不能なのではないでしょうか。  その上昇トレンドは誰かにとってはレンジかもしれないし、下降トレンドなのかもしれないんです。況してや大口が全員4時間足ベースのスインガーなんてことはあり得ないですよね。そういうことです。 

 よく「引いたラインがめちゃくちゃ機能してるわ」とか、「ラインが機能するとか誤謬でしょ」みたいな議論が巻き起こりますよね。  あれは「引いたラインが効く」んではないんです。増加率と時間を視覚情報から無意識的に計算し、それを考慮して「効くようにラインを引いている」んです。引いたから効くんじゃないんです。起点の価格からある一定の増加率で値動きが期間経過した場合の同水準価格を見ているわけですから、効くように思えて当然です。だってそうなるように引いてるんですから。つまり、繰り返しになりますが、そもそも全員にとって効くトレンドラインなんて存在しないし、全員にとってのトレンドなんてものも存在しないんです。

換言すれば、トレンドは各個人が定義するものであって大衆によって定義されるものではないということです。大衆心理が働いたことでラインが効いたという因果関係を錯覚するのは、ある比較的一意的なトレンドラインが事前に集合意識に共有されているという幻想を抱いているから、という風に言うこともできると思います。もちろんビットコインのようにマーケット参加者が見る時間尺度(時間足)や注目すべき値動きがある程度一致しているならば、大衆意識による説明もなされるべきなんでしょうが、為替CFDのようにプロのトレーダーですら全貌が把握できないような巨大なマーケットにおいては、大衆心理は各時間足の各波に分散されているのでそれのコンセンサスを一身に享受できるようなトレンドが存在するというのは怪しい話です。値動きのような連続体の切り分けは十人十色ですし、その中でのトレンドなんてものは見る人によって違うのも当然な話です。自分が値動きの中に見出したトレンドが継続している以上、それは自身のトレードスパンにおいてはトレンドなのであり、自身の定義(トレンドライン)から外れた場合そのトレンドは終了すると言うだけの話です。自分が引いたラインで反発する理由が知りたいというトレーダーも多いと思いますが、自分で引いたラインで反発(ないしは割り込むことでトレンドが変わる)するのは当然の話なんです。だって自分が定義したトレンドなんだから、そこで反発しないとそもそもトレンドを定義しようと言う意識がラインを引く前になかったということになります。トレンドは恣意的ではありますが、無作為ではありません。適当に引いた線が効かない(ように思われる)のはそう言うことです。無作為のラインにはトレンドの定義能力がありません。

  「じゃあトレンドラインなんて必要ないじゃん。スキャム乙」と思うかもしれないですがそれは話が違います。恣意的に引いていいからこそ、逆説的にトレードに利用する価値が十分にあるんです。だって、自分が思う任意の価格増加率を前提に  自身のトレードを進める上で資金管理的に優位なラインが未来に跨って引けるんですから。INOUTの判断に使えますよね。注意ですが、上下当てるみたいなそういう話では全くないです。あくまでどこで買って(売って)どこで売る(買い戻す)かの基準を自分のトレードスパンで決められるという話です。  というわけでここからはトレンドラインとチャネルラインの有効性の合理的な解釈について1案書きます。  手法ノートみたいなノリになってきましたが、キツネはライントレードはドが付く初心者なので、あくまで有効性の裏付けをする程度にしておきます。パラメーター(角度と始点)の調整は完全に個人の感覚や熟達度に依存します。

トレンドラインとチャネルラインの実用性について 

 水平線はトレンドラインの1バリエーション
レンジ天底はチャネルラインの1バリエーション

 さて、言い放ってみたものの水平線は恣意的ではないという話を先に言ってるので若干混乱を招くかもしれません。  水平線は一意的ですが、これはトレンドラインの一種です。ですので、すべてのトレンドラインが恣意的という表現は若干誤りがありますね。水平線はすごく例外的なポジションです。なぜ例外的かというと、価格増加率が0(=傾きが0)だからです。任意の始点から傾きが0のトレンドラインを引けばそれ即ち水平線です。

ただし、水平線は上述したようにレート自体が重要ですので、ローソク足から引くというよりは、キリ番みたいな特定の価格から引く方がいいですよね。そういう意味でも例外的です。水平線の始点(というか線全体)はローソク足ではなく価格から決めるものです。  

一方トレンドラインは価格チャート上のローソク足(つまり4本値のどれか)から引くのが一般的ですよね。ヒゲから引く人もいれば実体重視の人もいます。どちらにせよ4本値のどこに始点を置いても、増加率(つまり角度)さえしっかり決めれば有効なラインを引けると思います。これはライントレーダーの言質を取っているので経験的にも正しいはずです。  

トレンドラインの不十分なところは、ダウ理論と噛み合わないことです。ダウ理論は安値高値切り上げ、高値安値切り下げでトレンドを定義しますが、トレンドラインの場合だと切り上げ、切り下げのうち高値か安値の片面しか考慮できないからです。スピードラインなんて不毛なものが存在するのもこれが所以です。増加率が大きく(小さく)なり続けることはないから、スピードラインの引ける数にも数の限りがあるんでしょうが、スピードラインを複数引くという行為自体に問題があります。ラインを引く上で意識しているラインの長さ(期間)というのが、スピードライン毎にどんどん短縮(ないしは延長)されているからです。

つまり最初のトレンドラインで想定していたトレード期間がデイだとすれば、スピードラインを複数引くことによってスキャルピング寄りの利食いに近づいているということです。(逆も然り)ライントレードが難しいのは角度の違うラインを使うことで、利食い位置がより前のめりになって分かりづらくなることです。( 少なくとも自分はそう言う風に解釈しています) 同期間程度の長さを持つラインをうまく組み合わせるならいいんですが、スピードライン的思考はトレードの時間軸がINのときとOUTのときで変わるので、資金管理的にそれどうなのという所感です。

さてここでチャネルの出番です。チャネルは先に定義したように、傾きが0になるとレンジになります。レンジは高値安値の概念双方を持ってるので、傾きを持った場合(つまりチャネルライン)はダウ理論とうまく噛み合います。つまりダウ理論の厳密なトレンドの定義に欠如した「期間」と「価格増加率」を相関させた状態で、任意期間のトレンドを視覚的に表示できるのがチャネルラインであるという風に言えるんじゃないでしょうか。

トレンドライン(サポート/レジスタンス)と違って、同角(同増加率)の天底を持ってるので、INOUTが同じトレードスパンで完結します。  ということは、チャネルブレイクでエントリーするのは不毛ですよね。だってチャネルブレイクのエントリーはスピードラインを引くことと同義ですから(角度の違うトレンドラインを想定することと同じであるため)。上昇トレンドのチャネル底から持ってるポジションがあるならチャネル上限ですぐ利食った方が合理的だと思えます。もしチャネル上限を超えた場合、つまり価格上昇率が大きくなったポジションを持ち越すということは、INしたときの想定よりも長い期間のポジションを握っている可能性があるからです。それってレバレッジかけてるのと同じですよね。新たなチャネルの想定はINOUTのトレードスパンの変更を意味します。  逆説的に、平行チャネルが引けない場合においてこのトレンドの考え方は通用しないと言えるでしょう。レンジ上限と下限に相当するレジスタンスラインとサポートラインが同じ角度を有していなければ、「価格増加率を考慮したレンジ」という定義が揺らぐからです。

また、チャネルラインのセンターラインが機能するのは、レンジの天底の中間値(つまりFib0.5=半値戻し)が機能するのと同じ理由です。価格増加率と期間経過を加味した状態での半値戻しがチャネルラインセンターに相当するからです。  

さて、これで価格チャート情報におけるダウ理論というもの自体がそもそもかなり恣意的だということがお分かりになったでしょうか。起点設定が同様の値動きでも、ラインの長さの設定(時間経過の設定)によっては上昇トレンドともレンジとも判断できますし、起点設定がそもそも相場のコンセンサスを100%取れないので、どちらにせよトレンドなんてものは個人の切り取り方次第というわけです。ということは、トレンドは自身が任意に設定した期間で確認できるだけで上出来じゃないですか?  同様の期間(周期)でトレードするトレーダーにも少なくとも意識されれば、いわゆる大衆意識による絶対的な有効性も高まるかもしれませんね。そもそも有効なラインを引いて自分でトレンドを定義しているので、大衆意識が働くかどうかは資金管理的にどうでも良い話にはなってきます。

追記(2019/03/27)

ライントレードの解釈に加えて、応用してフィボナッチの論理的な解説にも望みました。

まずはじめに、トレンドの恣意性の話でレジサポ転換についての解釈の質問が来たのでDMでの回答をリライトして掲載します。

まず大前提としてビットコインのようにマーケット参加者が少ない状態でコンセンサスをある程度享受できるような「分かりやすい」トレンドラインがあればそれは大衆心理が働き得ますが、前述したように巨大なマーケットではマーケット参加者のトレンドコンセンサスは極度に分散するため大衆心理が及ぼす影響は考えにくいです。

その上で為替でもやがみラインのような大衆心理のコンセンサスを得られないようなマイナーなトレンドラインが強烈に効いている(ように思える)事実を踏まえると、結局はサポレジ転換も結局パターン認識上そう見えてるだけということになります。レジサポ転換って要は値戻しによって自身が見出したラインが挟まれた(ように見える)だけのものですので。

トレンドは個人がパターン認識能力によって恣意的に見出し、能動的に定義するもので、大衆意識による受動的かつ一意的なトレンドは存在しないという話を前半部分でしていますが、まさにこれに尽きると考えます。自身の設定したトレンドは自身のトレンド認識上では絶対的です。効くラインは効く(なぜなら自身が見出したトレンドなのだから)のであり、大衆心理は関与しないというのが自然な解釈だと思います。

以下画像は1次元対称ランダムウォークです。恣意的なラインを引いてみるとレジサポ転換「してるように」見えませんか?

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Gomisai, (2014). Scilabでブラウン運動 その1. ねがてぃぶろぐ Retrieved from http://gomisai.blog75.fc2.com/blog-entry-623.html

相場のランダムウォーク理論自体はかなり昔から提唱されていて、盲目的に信じるほどのものでもないですが、トレンドの恣意性を説明する上での一つの論拠になり得ます。

ランダムウォークによる値動きと実際の値動きの相違点はやはり、極度な値動きの縮小(値動きが煮詰まっている時のレンジ)とトレンドの存在でしょう。ランダムウォークでは為替で見られるような一方的な動きの観測頻度はやはり低いですし、小刻みな極狭レンジも実際の値動き独特のものです。並べてじっくり観察してみるとなんとなくわかると思います。

しかし裏を返せば、値動きが煮詰まっている時とトレンド発生時以外はある程度ランダムウォークに相似できるということです。つまり、相場参加者のコンセンサスが分散している時はいわゆる自然界の物理法則に従うのではないかという仮説が立てられるわけです。ブラウン運動的なアレです。

フィボナッチが効くのもこのあたりにヒントが隠されているようでなりません。つまり人間の集合意識が半ば拡散したカオスな状態では自然界の法則に準じるようなランダムなノイズが生じるのではないか、ということです。実際経験則的に、トレンド前後の値動きが極度に煮詰まった状態や、トレンド中以外の市場参加者が分散している局面ではフィボナッチが非常に効きやすいです。トレンドでもトレンドの前後の値動きが煮詰まった以外のところ(つまり市場参加者の方向性にコンセンサスがないところ)にフィボナッチを描画してみてください。結構驚くべきほど効きます。これはトレンドの主観論的な話とは種類が違う可能性が大いにあります。

ただ実際問題として、「集合意識の分散は自然界の法則に従うか」という命題はかなり抽象的かつ哲学的なものなので、それ自体に論拠を求めるのはかなり難しそうですが、一つの仮説としては許容されうるレベルなのではないでしょうか。

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