世界の美しい瞬間 19
19 時を経ること
楽茶碗にしろ、漆器にしろ、五重塔にしろ、その姿がなんとも味わい深く、美しいなぁと眺める。
大前提として、そもそも作った人がトンデモナイ人なのです、と言うこともできる。
できるが、産まれたときは皆赤ちゃんだった。
環境もあるが、何より本人の努力もある。俺には才能があるといって何もしなければ、才能などないのと一緒だ。
が、本日は作り手でなく物の美しさに注目。
茶碗、漆器、どれもいい味わいが出ているものは、まず、使う側がそのものを好きで、尊ぶからこそ、扱い方を雑にしない。
そして、そのように扱われて来たものが、何十年何百年と違う人々に丁寧に受け継がれて、そして今、最高の評価を得ている。
わたしが大好きな過去の人物の中で、昭和の宮大工、西岡常一さんという方がいらっしゃる。
その方を中心に奈良の薬師寺金堂がゼロから建てられたときの逸話のうちのひとつに、お弟子さんが西岡さんに「反り具合が設計図と合わない」と指摘したそうだ。
西岡さんは、あえてそうしたのだ、と淡々と説いた。
「屋根の重みと地球の重力で、500年後、屋根の反りが設計図通りになる。そのときにやっと、この建物が完成するんだ」
だから、自分が建てた建物の完成は、絶対に見られないというのだ。
これが、日本人が大事にしてきた美のひとつではなかろうか。
完成したときが最も美しいものは、経年劣化し、生きている内に美しくなくなる。
その物の行く先はどこだろうか。
日本の在来建築や工芸品は、そもそも自分の次世代以降も使うものとして作っていた。
丁寧に扱い、丁寧に育てる。
だから、経年変化して、よりそのものが独特の変化と成長を遂げ、次に受け継がれて行く。
いい景色ですね、と言えるようになるには、時代を越えることが必須な場合もある。
これは、自分にも当てはまるのではないだろうか。
丁寧に扱い、丁寧に育てる。
果たして、それが完璧にできているかと問うと、ぜーんぜん!!なのだが、少しでも、ひとつでもそのようにしたい。
そうして、自らも美しい経年変化を遂げたい。
それが、美しく年を重ねる、ということにつながるのではないかと感じた。
わたしが作るものも、そうでありたい。
今、裏っ側で天空羽衣プロダクツという服のブランドをこつこつやっている。これも、服なので少しは限界があるが、経年変化を楽しむものにしたい。
仕上げるのは着る人。
服やデザイナーやクリエイターでなく、手にして、日々その服と付き合う人が主役。
また、和のやり方で行き詰まったときは、洋のやり方を取り入れてみるのだ。
ここの文章と同じ、下手でも表に出すことでしか、次が見えない。
さて、今日もこつこつ。
楽しいから、なんかもうそれでいいのだけどね。