世界の美しい瞬間 17
17 うんちく
これを筋立てて、妙な質問が飛んで来ても応じられ、きちんと話せる人は、本当の意味でそこを体感したのだなぁと思う。
幸か不幸か、あることについて物知り気に話しておられても、それがその人の経験の上で体感を話していることなのか、単にどこかからの受け売りのただの知識なのかは分かってしまう。
そこを、そうですか、と聞き流しているはずなのだが、わたしは100%顔に出す人らしく、こいつ知らねぇな、という感じで聞いているのが話している相手にも伝わるらしい。一応の試みはするのだが、そういう人との関係性は尻すぼみである。
一方で、本当に様々な深いたくさんの経験を重ねた上で、知らないことばかりですと言う人の方が信用できることの方が、得てして多いのである。
謙虚だけではなく、真のものは何か、行く先は遥かなりと、感じ取ったものがでかすぎるのだな、と若輩者の身ながら感じる。
先日、電車の隣の席に、ちょうど母と同じくらいの年齢の方と乗り合わせた。高齢の方である。
彼女が一生懸命読んでいらした本の見出しには、『人生の目的とは』と書かれていた。
年をわたしの倍以上重ねても、この人生の目的を探求するヒントを本から得ようとされていることに、どきりとした。
母と電話した。そのことを話すと、彼女はまずわたしに謝った。何にも教えてあげられなくて、教えてあげられるような親でなくてごめんね、と。
むしろそんなことはなく、母が母なりに目一杯してくれたし、してくれていることも伝わっている。
驚いて、そんなことはない、ありがとうと言うと、母は歌うように言った。
「本当にね、生きても生きても、知らないことだらけ、分からんことばっかりよ」
びっくりした。
母の人生のあらすじは、ざっくりはしょって話しても、出だしから波瀾万丈だ。
どう足掻いてもどうすることもできない経験をし、乗り越えて来て、今がある。
それでも、その言葉が出るのだ。
今後、わたしもどれだけ生きられるかは分からない。だが、母がそう伝えてくれたおかげで、これからの人生の心を構え直すことができ、また、毎瞬毎瞬が学びであり、ギフトなのだと幸せに感じた。
両親に、祖父母とご先祖さまに、この繋がれた命に大感謝である。
もうすぐ母の日が来る、何かしら彼女に、わたしも彼女を愛していると少しでも伝わると良いなと、画策中である。エゴであったとしても、大好きなことに代わりはない。
どれが正しいかなんて、分からないのだ。何事もトライ&エラーの繰り返しの先に何か待っている。
ダイニングバーでクラフトビールについて、やや早口でうんちくを語る店員さんの説明を聞きながら、こちらもほんとか、と心地よく頷いた。
どうやら彼はハマっているのだなぁ、注文受け、料理運びのときより、ビールの説明のとき方のがきらきらしているもの。
何より、分かりやすかった。ビールの選択も、迷いが晴れた。
傾けたグラスのビールの宇宙の中で、微細な泡がきらきらと流れていた。
少なくとも、うんちくが先か後かはあるだろうが、何かを語るとすれば、やはりそこを何かの形で経験するに尽きるのだなぁ、と思う。
ここでわたしが語ったうんちくも、少ないながらの経験談。
心地よくあれば良いのだが。