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世界の美しい瞬間 20

20 縁を結うにあたり

出逢いとは、自分をより大切にできるチャンスである。長いが、今後の世界ではますます大事なことと感じるので、記す。

縄文土器などその時代の発掘物は、祭事用だった云々聞くが、ケースの中で文化財とかそういう類のものとして眺めている限りは、真の謎が紐解けないんじゃないかと疑っている。

あれを手に取って触りまくったり、あの中に一旦入れた水を飲んで、そのときの味の変化を感じたり、また、そのものがあり続けることによって、その空間がどのように変化していくかを観察しないことには、本当の存在意義が浮き出して来ないのではないかと思う。

X線で見るだけでは分からなかった何かが、人の肌の感覚の方を信頼してみると、何か浮き出て来るはずだ。
ただし、現代人はその感覚を失いつつあるので、見えることや数字や肩書きや結果を重視している人がいきなり触ることは、遠回りなのでやめておいた方が効率的とは思う。

1兆円払ったとしても、このからだのごく一部たりとも、同じものは得られない。

現代に生きる我々は、目と耳だけに頼り過ぎだ、ということをある方と話した。

味わう、肌感、匂い、本当にそれが自分にぴったりと来ているか。

本来人間が持つ感覚の機能は素晴らしい。五感で味わうというコンテンツは昨今増えた。

しかし、見る、聴く、という皮膚や体と近い接点のない情報交換は得意だが、触る(肌や神経で感じる)、味わう、匂う、ということだけで判断しなさいと言われたら、苦手とする人が多いのではないだろうか。

お米が腐っている状態を知っているか、を問うと、今ほとんどの人が知らないらしい。
もしあなたが、腐りかけの食べ物を、お腹に入れる前に、匂い、味だけで判断できるなら少しは感覚を使っているかも知れない。

握手をするとき、相手の目を見る以外に、握る自分の掌がどう感じているかを観察することも大事だ。目では爽やかなイケメンの、或いは彼女の可愛らしい上目遣いの輝きにやられたとしても、初めての握手の感触を掴んでおくと、相手の否定ではなく、自分にとってのこの相手がどうなのかを、なんとなく分かると思う。

この感覚は、恋愛にも通じるような気がする。

ある相手の匂いが、あるとき強烈に駄目になって、結局数ヵ月で別れた。加齢臭ではない。その人が臭いというのではない。自分にはどうしても合わないというだけのことだ。それは、相手から見たわたしにも、既に何かしらの違和感があったはずだ。

後から、出逢ったときからなんとなく、全感覚が違うな、違うな、とさりげなく告げていてくれていたことを、無視し続けた結果だったとわかった。

見た目が好きだというのも大事だ。当たり前のことだ。
しかし、見た目と音は他と比べると、許容範囲があると思う。

匂いと味と触感だけは、他のことで誤魔化している期間を過ぎれば、あとは学びが終わればご縁だったね、が多い。

鼻という器官は、とても原始的らしい。野生の獣たちはガチで使っているし。

つまり、本当は、先天的な匂いと、触れたときにしっくりするかしないかで、もう相手のことが、自分とはどんな縁で関係なのか分かっているのだ。

分かりたくないと、視覚や音で騙してそれらを遮断してみても、結局は騙しきれない。

表面にファンデーションを塗りたくっても、肌の汚さはその人自身が知っている。それは伝わる。

美しいやつは腹を割ってみても、その断片は美しいのだ。

というわけで、前置きの長い話だが、

お友だちの木工作家でアーティストであるみやざき眞さんが、5月8日~5月12日まで、奈良市のミジンコブンコさんで、触って匂って楽しめ、アートである木工のオブジェの個展を開催中だ。

その名を「結木」という。

人が握るための道具であり、空間に何やら現れたわびさびのアートのようであり、生き物のように寄り添ってくれる。
そして、不思議と日常に馴染む、なんとも味わい深い物体なのだ。

これはもう、百聞一見であるので、見て、そして触れて戴き、感じてもらうしか、わからない。

https://www.facebook.com/events/344491259394661/?ti=cl

※「じゃむんち」という屋号で検索してみてもヒットします。

みやざき氏は各地のマーケットで、カトラリーなども携えて出店しておられるが、この結木メインの個展はこの度初である。(と思う。スマン)

この結木、とにかく触ると凄い。ピタリと手に吸い付いて離れないものもある。

触る内に、空に入るような、無意識の世界が体感できるような、不思議な感覚を得られる。一瞬で座禅マスターになった気分。

まあ、置いてあって触っていいんですよと言われたらもう、触っちゃうよね、と皆が触る。

触る度に木は経年変化する。イイ。

たくさんの結木に触れられ、その姿に立ち会えるレアな機会なので、少しでも惹かれた方は、この拙い文章の前置きを踏まえて、ぜひ会期内に足を運んで戴きたい。

わたしには縄文土器のことを思ったときと、とても似た感覚を覚えた。

あなたの体の感覚を確かめに、あなた自身を少しでも取り戻せる、千載一遇のチャンスになるはずだ。

そして、ホンモノのご縁が、わたしにも、あなたにも、あることを祈る。恋愛だけだなく、それは全てに通ずる。
感覚を取り戻すことは、自分と自分を、再び結い直すきっかけになるだろう。

余談、ミジンコブンコさんのカレー、とても美味しかった!!サフランライス、あんな風に美しく炊いてみたい。
チャイ、スパイシーでおすすめだよ。

みやざき氏のカトラリーも、結木のように手にピタリと来るので、ぜひ。もう、手にしてみるしか絶対に分からんことなので。

また、みやざきご夫妻のお人柄にもゆっくり触れられる大チャンスだ。やはり、物作りに普段から真剣に向き合っている人はすてき。

※写真は、みやざき氏ご本人より許可を得て掲載させて頂いた、「結木」の一部です。

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