世界の美しい瞬間 15
15 余談
ここは、美しい瞬間を留め置きたい、と自分のために書き始めたものだ。
昨年秋から半年、止めていた。
ショッキングな出来事が続き、世界がガラリと本当に変わった。自分の出来事なのに、全く追い付けなかった。人生の主役は自分のはずなのに、世界の方が勝手に毎瞬移り変わり、激しく動いていた。
が、雪解けのように固まっていた心と体とがほどけて行く時季があり、再開した。
すると、最近とても興味深いのだが、美しいな、きれいだな、いいな、好きだな、という瞬間が、単発で小さいながら、ここに留め置ける話にならなかったりすることも含めて、たくさん起きるのだ。
世界には美しい瞬間がたくさんある。
それらは実は自分のいる世界に前からあったのだが、レンズやフォーカスが変わり、その技術が上がって行くと違うものが撮れるように、次々に世界から美しいものごとが浮かび上がって来てくれ始めた。
気付きだけではないように思う。
こう書くと、鬱だったのかと思われるかも知れないが、別にそういう感じではない。単に過去の自分との比較である。
笑うことが増えた。思い煩うことが減った。一喜一憂をあまりしなくなった。
幸せなのだ。
幸せは条件付きではやって来ない。方法論や法則でもないようだ。
ただ、小さな行動をし続けるかどうかの違いなのだと、地球に対しての、水溜まりの薄氷くらいを実感し始めている。
***
今日、半年以上経って行ったお馴染みの美容室で、変わったこと、変わらないことを話した。
そのお店は髪を切るだけの短い滞在時間しかいられないけれども、技術以外のものごとと、すばらしい時空間の提供に対する対価であり、
それは、お金という媒体をやり取りしているようだけれど、自らの世界に対する価値であり、これはお店に払っているようで、自分に払っているのと同じことであると、そう思わせてくれた。
美容室を出てからこの画面を見ると、すてきなメールが来ていた。
ほんの小さなブレイクスルーは、どこまで世界を変えて行くのだろう。
世界が、どんどん美しく塗り替えられて行く。
楽しみでしかない。