
世界の美しい瞬間 37
37 エフェクト
京都に徐々に訪れる紅葉の季節と共に、今年もフィギュアスケートの時期が到来した。
例に漏れず、わたしも羽生結弦選手の大ファンである。
一番最初に認識したのは、確かまだ彼が14歳だか、そのくらいの頃だったように思う。
まだあどけなさが残り、プルシェンコ選手を真似たボブショートの髪型の中性的なビジュアルと共に、可愛らしい笑顔がテレビに映っていた。
だが、まだ高校生になるかならないかの年齢の、彼のインタビューのときに、驚愕したのだ。
話している内容が、わたしがそれまでの人生で出逢って来た中で一・二位を争うくらい、漢(あえてこっちの字くらい)だったからだ。
あまりの男らしさにびっくりしすぎて細かな内容までは記憶にないが、その印象が強烈だった。
本当にあのビジュアルから出たのかと、ギャップ萌えの域など一瞬ではるか超越するくらい、
男の中の男がする発言だったのを覚えている。
そして、そう言葉が出て来る背景のとおり、彼はどんどん日本だけでなく、世界で頭角を現して行った。
以来、人としても羽生選手に夢中だ。
アスリートとしての実力と魅力はここで言うまでもない。
彼の、素直で、力強く、前向きで、でも弱さも隠すこともなく、それでも芯の通った言葉を、
わたしは聞く度に感激してしまう。
世界中に、フィギュアスケートの演技の素晴らしさだけでなく、言動でも力を与えられる人だ。
人格が優れ、でも人間らしい部分も持ち合わせていて、自分に嘘をつくことがない。
自分と他者への信頼があり、そして謙虚だ。
どこまでも羽生結弦は羽生結弦なのだと、そのまま存在していることが、心からすてきだなと感じる。
力を込めているのに、どこにも力が入っていないような佇まい。人として既に成熟していて、年下の方ながらあの人のように在りたいなと憧れるのだ。
おそらく、彼はきっと自分に対する約束を、きちんと守り続けているのだろうなと思う。
これをするよ、と決めたことを、それが5分で終わることであっても必ず完了させ続けるからこそ、強く、氷上という舞台で花が咲くのだ。
彼が話す言葉のとおり、彼は生きている。
わたしは、小さいことでも自分との約束を完了させることが苦手だった。
そして、どうしてもできない、という沼の中で足掻いて、することを途中で放置したまま、終わらせないでキープしてしまっていた。
だから、それらを少しずつ終わらせることにした。
完了させて行くのは気持ちがいい。
よくよく自分と向き合う時間が必要でもある。
自分の思考や発言に意識を向けることも大事だ。
そうするうちに、少しずつ気付いて来た。
わたしは何者でもないが、わたしはわたしにもっとなりたいのだ、と。
シンプルだが、シンプルに立ち戻るには、本気で取り組まないと、ぼんやりしていたら、色々なものごとを勝手にくっつけられる時代だなと思う。
だからこそ、羽生選手を応援する度に、彼の軸の強さに、わたしもわたしの軸を取り戻す、と励まされる。
たった一人の姿が、世界に影響する。
わたしだけでなく、地球のどこかの誰かが、彼の姿を見て、喜びへの第1歩を踏み出しているかも知れない、
そのことが、本当にすばらしいな、と感じるのだ。