いつまでも愛情を送り続けられる人でありたい。
その人が周りにどのような影響を与えていたのかは、目の前から去ってしまった後に思い知らされるものです。本来であれば、姿が見られるうちに、いくらでも本人に伝えられるはずなのに。人は失った後に気づくことがあまりにも多い。
こんにちは、LifestylistのReanaです。
ここ数日、ぼんやり一人で考える時間が出来てしまうと、急に胸の中でざわざわとしたものと涙が込み上がり、なかなか文章を書くこともままならず。
色々な考えが浮かんでは消え浮かんでは消え、人生とは何なのか、生きることとは何なのか、自分とも深く向き合う時間を頂けたので、私なりに心のざわざわを整理するためにも今日は書いてみたいと思います。
消失感と後悔の芽生え
私は小さい頃から、大切な人が目の前から消えてしまうことを想像しては良く泣いていました。もしも今、自分の大切な人が私の目の前から・・・
ふっと夜寝る前に考えては夜な夜な泣いていた時期がありました。
幼稚園ぐらいの時からだったように記憶しています。おそらく初めて飼った大切なウサギが、幼稚園から帰ってきたら、母に『あのね・・・』と息を引き取ったことを伝えられました。朝、幼稚園へ行く前に「行ってきます!」とまたお家に帰って来たら遊ぼうと考えていたのでまさかもう会えないなんて思いもしませんでした。
そこからでしょうか。大切なものが目の前からいなくなることの心の消失感と、もっと思いを伝えておけばよかったという後悔。そのような気持ちが芽生えるようになりました。
後悔先に立たず
私が今までの人生の中で一番後悔しているのは祖父がこの世から去った時かもしれません。
母方の祖父は、近所の子供たちからはとても人気者でしたが、私にとっては(私だけでなく身内には)、それはもう厳しい人で、今では茶髪にする人は多いですが、そのようなことをしたら一発でアウト。
私はそんな祖父がちょっぴり苦手で、正月の親戚の集まりには友達とわざわざライブに行ったり、仮病をつかって、行かない口実を作っていました。今思うとかなり幼稚なことをしていたなと思います。
それを6~7年続けてしまったのですが。就職が決まり、さすがに報告だけは直接したいなと思い、来年こそは祖父に会いに行こうと決めた一週間ほど後に会えなくなってしまいました。
人生とはそういうものなのか。まさに後悔先に立たずだなとその時思ったわけです。若い頃は、叱ってくれたり、注意してくれる人を疎ましく思うものですが、それがものすごい愛情だったと後から気づくものなんですよね。
6~7年の祖父との空白の時間がもしなかったら、人生において大切なものをもう少し知ることができたのかなと感じていたりします。
人の人生を阻んではいけない
人が目の前からいなくなることは、人生において少なからず影響を与えます。それが突然であればあるほど何を考えていいのか、いや考えることができないほど心が揺さぶられます。
20代の時、同級生がこの世から去ってしまった時もそうでした。生きたいのに生きることを阻まれたという事実を知らされた時、何も考えられないのに涙だけが毎日溢れ、眠ることができず、言葉にできない感情が溢れ続けていました。恐怖心もあったのだと思います。
人が人である以上、必ず終わりはあるということは頭の中では分っているのですが、やはり理解することが出来なかったのです。未だに感情の答えが出ないままです。
ただそこに、存在しているだけでいい
自ら人生を選ぶ力は、明るい未来を作ることに活かしてほしいと思っています。
その人を知っている立場の者からすると、あの時ああしていれば、こうしていればという後悔の念が溢れかえり、自分の力のなさを思い知らされます。
だからこそ
ただただそこに居てくれさえすればいい。
ただただ生きていてくれればいい。
この当たり前の気持ちを言葉、態度で伝え続けていくことはどんな人へも伝えられる贈り物だと思っています。
目の前から去ってしまう前に、伝え続けることができるなら何回でも伝えたい。
残せるものがあるのだろうか
もしも自分が去った時、果たして私は何か人のために出来ていることがあるのだろうかと俯瞰してみました。
決して有名になりたい、大物になりたいなどといったことではなく、誰か、一人でも多くの人が自分らしく生きるための最良の選択をする時に、私が発信していることが、微々たるものでもその方のアンテナに引っかかり、自らの選択する力のヒントになればただただ嬉しく、それが私の生きがいにもなっています。
それが果たして出来ているのだろうか、役に立てているのだろうかと改めて考えています。
人の生き方に口出ししたり、人の人生を大きく変えたりしよう等という、そんな烏滸がましい(おこがましい)ことなんて考えてはいないのですが、こんな生き方や考え方もあるんだなと思ってもらえたらいいのかなと思っています。
今私に出来ることは、ただただ私が自ら経験した事、考え方を発信し続ける。それが何か残せることなのかもしれません。
去った後に気づかされること
周りへの影響力は、その物、者が目の前から去ってしまった時に改めて感じ取ることが出来ます。失ったことによって存在の大きさを知ることは多々あります。特にその方の周りにいる方の発する言葉が、温かければ温かいほどその方の存在がどのようなものだったのかを感じます。
自分の終着点がいつなのかは分かりません。何十年後なのか、何年後なのか、明日なのか。
ただ気づかされたのが、一分一秒でも人との関係性は大切に大切に紡いでいくべきなのだなということ。
そうすることで、もし今を失ったとしても、きっと自分にとっての後悔はないと思うのです。
温かい気持ち、温かい愛情。それを送り続けられる人は、この世界から去ってしまったとしても、関わった全ての方にいつまでも思い続けられ、時間が経っていったとしても大きな愛情を送り続けることができ、愛情を受け取ってもらえるのかなと感じます。
また涙で画面が見えなくなってしまったので、今日はこの辺りで書き終えておきます。
最後まで読んでくださってありがとうございました。