“平凡” “普通” “当たり前” これが言える幸せを分かった時に、人はもっと飛躍する。
本当は凄いことなのに気がつかない。人は当たり前だと思っているものが、目の前からなくなった時に初めてその偉大さに気がつくのです。
目の前から消えてなくなる前に、その存在の価値に気がつく人は、人より幸福度が高く、人生においてどんどん飛躍していくのではないでしょうか。
こんにちは!Life stylistのReanaです。
毎日が「つまらない」「何か良いことないかな」と言っている人は、きっとどれほど自分が幸せ者かに気がついていないのでしょう。
平凡こそがどれほど幸せか
これを知った時、人生は深いものだと実感しました。
当たり前が当たり前ではない事実
毎日同じことの繰り返し。そう思っている人も少なくないでしょう。かつての私もそうでした。
毎日同じ時間に家を出て、同じ時間の電車に乗り、その日の業務の確認、お昼を食べて、午後の仕事をして、帰宅。夕飯を食べ、お風呂に入ったら、もう寝る時間。
多少イレギュラーなことがあっても、毎日同じことの繰り返しに感じてしまう。それはきっと見ている視点が低いのだと思うのです。
人間である以上、次の日生きていられる保証は誰もない。
その事実を理解していないと、毎日同じ時間に家を出て、同じ時間の電車に乗り、その日の業務の確認をして、お昼を食べて、午後の仕事をして、帰宅して、夕飯を食べ、お風呂に入って、もう寝る時間を迎えられることが当たり前ではないことが分かるはずです。
人は失った時に気がつくことが多い
3.11。
この日が来ると今でも思い出します。私は、所要があり都内で用事を済ませた後、帰宅するためある駅のホームに居ました。
もうすぐ電車が来るという所で、駅名の看板が少し揺れはじめ、その後かつて経験したことのない大きな揺れと衝撃を受けました。
その後、電車が再開するまで一度駅を出て近くのコーヒーショップで時間を潰していたのですが一向に再開する気配もなく、周りも分からない状況。携帯も繋がらず、公衆電話から家に電話をかけたことを記憶しています。
とりあえず家には帰れないので24時間空いているどこかに移動しようと考えていたのですが、唯一繋がった友人の家に泊めてもらえることとなりました。
友人の家に泊まらせてもらうのでコンビニでご飯を買っていこうと寄ったら、すでに数個のお弁当しかなく、ただ事ではないという状況をさらに感じたことを覚えています。
その日は友人と話して表面的には安心感を得ていましたが、心の底ではものすごい不安が押し寄せていました。
当たり前に使える電話。当たり前に動く電車。いつでも食料を手に入れられるコンビニ。屋根のある部屋。
これらが当たり前に使えることが、どれだけ有難くどれだけ幸せなことなのかを身を持って体験しました。
ちょうどこの時は、仕事を辞めたばかりで少し休もうかと考えていたのですが、職があることがどれだけ凄いことなのかと考えさせられ、生きるためには動かなくてはと考えさせられました。
人は当たり前のことに慣れ過ぎてしまっている。
これを知ると、いつも見えているもの、考え、行動をどれだけ大切にすべきかが分かってくるはずです。
自分を大切にして見えてくるもの
大切という言葉。
辞書で引くと、1.値打ちが大きいさま。2.丁寧に扱うさま。粗末にしないさま。と出てきます。
大切という言葉は、まさに行動から生まれるもの。これを自分に対して出来ていない人が本当に多いこと。
自分に対して価値を低く見ているのは、相手に対して「私は価値の低い人間です」と表明しているようなもの。
これは本当に勿体ないことです。
もしも、他人から大切に扱われたいと思っているなら、自分は自分に対してどう接しているのかを見直してみてください。
それに気がついた時、周りからの自分に対しての接し方が変わってきていることに気がつくようになります。
そこに存在する。幸せの価値観
今こうしてパソコンを使い、Wi-Fiを使って文章を書いていますが、これが当たり前に出来ることがどれだけ幸せなのかを体感しています。
時間を有意義に使えるようになり、世界中のどこにいても連絡が取れる現代。すごく便利な時代。だからこそ、当たり前にあることを当たり前に思わないことを大切にしたいと感じています。
自由がないと嘆いている人は、本当に自由はないのか。
お金がないと言っている人は、本当にお金自体がないのか。
ないではなく、そこに存在しているのに見ていないだけではないのか。
今、幸せを感じていない人は、幸せでないのではなく、幸せであることに気がつけていないだけ。
ぜひ日々の出来事を、今までと違う視点で捉えてみてくださいね。
視点を変えるだけで、生き方が一気に変わり、出会う人、起こる出来事も変わってきます。