自分起点の学びを
”自分起点の学び”
最近、ある先生の投稿の中で使われていた言葉でしっくりきた言葉である。
教師自身が、”自分起点の学び”ができているか?
今の自分が大事にしている視点の1つ。
ここについて少し整理していきたい。
自分起点でない学び
他人起点の学び
今振り返れば、ここ最近までは、自分起点の学びではなく、少し辛辣な言い方をすれば、他人起点の学びだったのだろうなと思う。
「あの先生がおすすめする本だから買おう。」
「あの先生が読んでいる本を読んで、自分のあんな指導ができるようになりたい。」
「あの先生のセミナーなら、参加しよう。」
こういう学び方自体は、悪いことではない。尊敬する先生の言葉や学び方にたくさん触れることで、その先生の指導の背景や、その先生が大事にされていることが自分の中に染み込んでくる。
ただ、勘違いしてはいけないのが、私はその先生ではないし、その先生とまるっきり同じようにはなれないということである。
自分自身、ここ最近までそういう学び方であった。
自分の課題やテーマも考慮するが、尊敬する先生の場ということで判断をすることが多くあった。
自分の価値観は広がったし、自分の中に染み込んでいったものもある。
ただ、おそらく自分の身の丈とは合わないことや、セミナーに参加して終わり、聞いて終わりになっていることも少なくなかったかもしれない。
それは、自分でない他の先生が、興味関心をもっていることが中心だったからだと思う。
他人起点と自分起点のバランスの悪さ
自分起点でない学びにつながったもう一つの要因が、他人起点と自分起点のバランスの悪さである。
他人起点の学びは、自分起点につなげられる。
・A先生が、「深い学び」について気になっている話を聞いたら、自分も気になって調べる
・B先生が、自主的に指導案を書いて公開授業をしていることを知ったら、自分も指導案を書いて、実践し、そこから振り返ってみる
などである。
つまり、他人起点の学びをきっかけとして、自分起点の学びにつなげられれば良いと思う。
しかし、自分が良くなかったのは、自分の文脈で考える時間の比率が少なすぎたことである。
他人起点:自分起点=7:3もしくは、8:2くらいになっていた。
このことが1つの要因となって、「学んでいるはずなのにうまくいかない」と感じたことも多くあった。
自分起点の学び
当たり前かもしれないが、自分起点の学びにつなげるための中心は、目の前の子どもだと考えている。そして、子どもや学級の姿をもとに自分の課題が見えてくることで、目の前の子どもたちにつながりやすい学びになってくる。
そのために、今の自分が一番時間を割かけているのは、セミナーではなく、学級に関するアウトプットである。
・子どもの提出物の見取りとフィードバック
・1日の振り返りや授業に関する振り返り
・教材研究
自分は、3年目まで「提出物のチェック」「教材研究」で手一杯で、学校外で学ぶという発想が少なかった。だからこそ、今でも思うのが、
”1年目のときの方が、子どものことを見れていたのではないか。”ということである。
しかし、学校外で学んできたものは決して無駄でなく、自分の世界観を変えてくれた。そして、他人起点で必死に学んできたことも自分の中で大事にしたいことの一部になっているし、自分の見方・考え方も豊かになっている。
今の自分につながっているものがあるからこそ、見取り、振り返り、教材研究の質は、高まっていると思う。
ただ、今大事にしたいこと、そしてこれからも大事にしたいことは、自分起点の学びの比率を誤らないことだと考えている。
最後に
自分自身、まだまだ自分起点の学びが足りていない。
”凡事徹底”
自分が好きな人の言葉である。
まだまだできていないことを意識しつつも、楽しみながら一歩一歩積み重ねていきます。
蛇足ですが、今、気になっていたり、整理したりしたいと思うのは、
「深い学びとは」「算数×ICT」「統合的・発展的とは」の3つです。
noteに書いた際は、また読んでいただけたらありがたいです。
また、今回の記事とも重なるのが、この記事です。主に、教材研究について書きました。もし、よろしければ、お読みください😌
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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