「聴き合う」とは
2022/07/30はモヤ活2に参加し,「聴き合う」をテーマに話し合いました。
自分の考えていた「聴き合う」
会に参加する前に考えていた聴き合うは,
「お互いの考えを聴いて,気になることや納得することが見つかること」と考えていました。
今,思えば聴き合うこと自体の捉えではなく,聴き合うことの目的に近かったと思っています。
他の方の「聴き合う」と「聴き合うではないこと」
まずは,それぞれが思っている「聴き合う」を共有しました。
・討論とは違って相手の考えを受け入れることがベースにありそう。
・アウトプットをしたくて聴き合う。「それどういうこと?」などの言葉が出てくると嬉しい。
その後,「聴き合うではないこと」について考えました。
・言い合う
・話し合う
・学び合う
・聴く
自分の考えに固執しすぎてしまうと,「言い合う」になってしまうのはないか。という話もありました。
聴き合う目的
聴き合う目的は,
「その子の文脈で考えの広がりや深まりが生まれるから」ではないかと考えています。
上に書いた「聴く」でも「言い合う」でも考えの広がりや深まりにつながるときもあると思います。「話し合う」は「互いに思っていることを話す。」と捉えるなら,自分の思いを伝える中で,考えが広がったり,深まったりする場面があるかもしれません。
「聴き合う」は,自分の文脈から相手の考えについて互いに聴くことが大事にされると思います。
自分の考えと友達の考えが上のように離れていても,「それってどういうこと?」と気になったことを相手に聴くことによって,考えが広がります。
友達の考えと自分の考えが近い場合には,「やっぱりそうだよね。」と考えを深める姿が予想されます。
自分の文脈から相手の考えを聴くことによって,自分の知りたいことや分からないことに対する相手の考えが聴けます。だからこそ,考えの広がりや深まりが加速するのかなと考えています。
「聴き合い」の形態に囚われない
今回のモヤ活に参加する中で,形態に囚われないということが大事だと思いました。
私が会に参加する中で途中から考えていたのは,「今は聴き合っているのか?」ということです。
交わされる言語だけみると,「〇〇さん,この部分どうですか?」と聴き合うときもありましたし,話し手がバトンをパスしてどんどんお互いの考えを伝えていくときもありました。
どちらの形態が良いというわけではなく,自分の中に気付きや気になることが生まれてきているか?という内面的な部分が大事だと思います。
きっと子どもが学ぶ中で「聴く」になることや,「伝え合う」になることもあるかと思います。考えに自信がもてなかったり,見通しがもてず取り組めなかったりする子どもにとっては,「ここまでわかったんだけど,ここからどうしたらいいの?」「まず,何からすればいいの?」と相手に聴けることは素敵なことです。
「聴き合わなければいけない」というよりも,自分の中に気になることが生まれたときに互いに聴くことによって,お互いの学びにつながった感覚を経験させていきたいです。
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