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「学び」はつながり

 表題のことを考えようと思い、昔の記事を見返していたら、もう四年前の記事になるが、つながる部分があると思った。

きっかけ

 「学び」について考えたくなったきっかけは、宗實直樹先生の「発問のデザイン」という本である。この本で一番心を揺さぶられたのは、第7章「子どもの側からの問い」だ。

問いをつくる際、教材の側からつくることが多くなるでしょう。つまり、教科のねらい、目標からつくる問いのことです。

宗實(2024),p.159

 以前は、子どもの問いを大事にしたいという時期もあったのだが、今はむしろ、算数の見方・考え方を働かせるためにはどこか子どもの問いに対する比重を軽く考えている自分もいた。

 算数は問題がある。未知と既知の間に課題が生まれ、それを解決する活動が行われる。そして、その解決方法を対象とし、統合的・発展的に考える流れがあるかと思う。だからこそ、子ども一人ひとりの中に問いとまではいかなくても今日明らかになった未知の部分があれば良いのではないかと考えていました。

 ただ、本書の第7章を始め、第8章2節、第2章を読むごとに、

・問いと学びの関係

・主体的な学びって

・そもそも学びって何だろう

と次々と疑問が浮かんできた。

 これらの疑問を解決するためにまずは、「学びって何だろう?」と考えてみる。


自分が考える「学び」

 今の段階で自分が考えている「学び」について言葉にしてみる。

「分からなかったことが分かるようになったり、できなかったことができたりすること」 「今までから少し変わること」

 解像度は荒い気がするが、これが今の自分だろう。上のように学びを捉えると、「学ぶ」は、「分からなかったことが分かるようになったり、できなかったことができたりするために行う行動」な気がしている。

 この辺りについて調べながら考えていきたい。

「学び」と「学ぶ」

【学び】
学ぶこと。学問修業

まね。

デジタル大辞泉

【学ぶ】
勉強する。学問をする。
教えを受けたり見習ったりして、知識や技芸を身につける。習得する。
経験することによって知る。
まねをする。

デジタル大辞泉

学びとは、新しい知識やスキルを身につけること、そしてそれらを使って理解を深め、成長することです。
【学びの3つの側面】
知識の獲得: 本を読んだり、授業を受けたり、インターネットで調べたりして、新しい事実や概念を学ぶこと。
スキルの習得: 言語を学習したり、楽器を演奏したり、スポーツをしたりして、新たなことができるようになること。
理解の深化: 学んだことを自分なりに考え、他の知識と結びつけ、より深いレベルで理解すること。

Gemini

 このあたりまでは、自分の捉えとそう離れていないと思う。Geminiが提案している3つ目の視点はまさに深い学びにあたる部分だと思う。

 「思考力」を育むことが目標として掲げられている以上、まずは、子どもたちが考えること、すなわち「自問自答」が授業中に促されているはずである。〈中略〉
 まずは、子どもたちの「自問」、つまり自ら問うという心理的活動がなければ思考は始まらない。「今日は〇〇について考えていきましょう」といった授業冒頭の教師の発言はよく聞かれるが、いくら教師がそのように指示したからといって、一人ひとりの子どもに自問が起こるとは思えない。

鹿毛(2019)p.202

 鹿毛(2019)では、自ら問おうとする状況を創り出すことの重要性が述べられている。ただ、他問ではダメなのだろうか。

 佐伯(1982)の「子どもの学びを成立させるもの」という章では、次のように書き始められている。

 わたしたちはともすると、子どもの「学び」というものを、教師の「教え」の結果のように考えがちである。〈中略〉
 このように、「学び」というものを外界からのはたらきかけの結果としてながめるという考え方は、私たちの日常の考え方の根底に深く巣くっている”病巣”にようなものである。

佐伯(1982),p.121

 この表現を読んだときに、「ああ、自分もそう考えているかも」と捉えていたが、自分は「学び」を”教師の「教え」の結果”としては考えていないことに気付いた。あくまでその子が行ったこと、その子の中に位置づいたことが学びとなるのだと思う。

 本当の「学び」が常に「学ぶもの」の側からの内なる「問いかけ」の活動によって先導されている点も最も重視すべきとするに至ってきている。
 したがって、今日わたしたちが問題とすべきことは、抽象的な概念としての「学習」に関する法則を樹立することではない。きわめて具体的な個々の学習内容に沿って、ひとりひとりの子どもの頭の中にどのような問いかけが発せられるか、知識がどのように意味づけられ、どのような枠組みの中で解釈されていくのかを明らかにしていかねばならないのである。「知識」というものは、こちらが一方的に「与え」たり「伝え」たりできる代物ではない。子どもは常に自らの内なる問いかけにもとづいて、外界の知識を彼なりに関心のあることに対する「答え」として受けとめ、また、自ら新しい様相につくりかえて、自分で一番扱い易く利用し易い形態に変形してしまうものなのである。

佐伯(1982),p.123

 ここでも鹿毛(2019)と同様に内なる「問いかけ」といった言葉が出てくる。言葉を「教え」たからといって、一人ひとりの学びや解釈は異なるはずである。それは、その子なりに情報をつなぎ、扱い易く利用し易いモデルに変えているからだと考えると自然である。

自分が考える「学び」②

 他の方とも話し、佐伯(1975)もつながる中で、「学び」が自分なりにスッキリしてきた。

「学び」とは、情報のつながり方が変わること

 今のところ3つのパターンを想像している。
・知っている情報と情報のひもづき方が変わる
・新たな情報がひもづく
・1つの情報の観点から今までの情報が整理される

→情報のつながり方が変わるからこそ、同じ言葉でも見え方、感じ方が変わってくるのではないか。

 佐伯(1975)では、”空白”という言葉が出てくる。意味のネットワークがつながる中で、”「空白」が、われわれに「問い」や「疑問」、さらには「仮説」や「予想」を生み出す"(p.54)と述べられている。

 学びを情報のつながりと考えた上で、ネットワーク上の空白が分かるということは、その空白が埋まったときどこにひもづくか見当がついているとも捉えられる。

 一方、他問ではその空白がその子のネットワークに結びつくこともあれば、その空白が宙に浮いてしまうことがあるだろう。多くの方が「問い」を大事にしているのは、情報のひもづき方が変わるからだと捉えた。

 そう考えると、子どもの中でどう情報をつなごうとしているのか?今、情報が紐づかずに浮いていないか?どのような情報を得ようとしているのか?を見取っていくことを大事にしていくのが良いのかと考えている。

【引用・参考文献】

鹿毛雅治(2019)『授業という営みー子どもとともに「主体的に学ぶ場」を創るー』,教育出版株式会社

佐伯胖(1975)『「学び」の構造』,株式会社東洋館出版社

佐伯胖(1982)『考えることの教育』,株式会社国土社

宗實直樹(2024)『「発問」のデザイン 子どもの主体性を育む発想と技術』,明治図書株式会社

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