子どもの姿を複数の目から捉える価値
夏休みに入り,少し落ち着いたタイミングで子どもたち一人ひとりのことを思い出しながら,個のことを整理する時間を作りました。一人ひとりのことを書こうとするたびに,自分がいかに個として見えていなかったのかを痛感させられました。
自分なりに整理し終えた上で,今後の方向性についても考えていきたいと思ったところ,ある研修会で聞いた話を思い出しました。
その先生は,定期的に専科の先生に話を聞いているそうです。教科によって先生が違う学校のため,担任している子どもを見る時間は少なくなります。しかし,そこで終わりとせず,丁寧に子どもの様子を聞くことで,自分の見方とすり合わせたり,新たな一面を知ったりしているのではないかと感じました。
そこで,私自身もクラスに関わっていただいている何人かの先生にクラスの子の様子や今後の方向性について聞いてみました。
すると,自分が見ている事実と重なり,納得するところもあれば,意外な一面があることもありました。
環境と関係性によって子どもたちの様子も変わるので,話を聞くことによって,一人ひとりのことについてより知ることができました。そして,指導の方向性についても共有することができました。
以前,むきあらさんからお聞きした教師の守備範囲の話も重なって感じました。一人ひとりが受け止められる幅も受け止められることも違うからこそ,子どもたち一人一人がそれぞれの教師に見せる表情も変わってくることが自然です。
今後も,クラスに携わっている方の見方を定期的に聞いて,常に一人ひとりの見方を更新していきたいです。子どもの姿を複数の目から捉える価値を感じました。
そうはいっても,
以前の自分は専科の先生にお話を聞くのが苦手で,私以外の大人が教室にいることに嫌な感覚をもっていました。
きっと,「自分が担任だからこそ,自分がどうにかしなくちゃ。」という思いが強くあったこと。
他の先生のときに輝いている子どもたちの様子をみると悔しかったり,受け止められなかったりした部分があったと思います。
結局は,子どもの成長というより,自分のことがメインになっていました。
今になって思えば,傲慢だったかなと思います。
もちろん,担任という責任を放棄するつもりはないですし,今も「自分ができること」を模索しています。ただ,複数の目で個の輝いている場面やいろんな表情を共有していくことが,子どもにとって価値があることだと思っています。
受け止める勇気がいるかもしれませんが,夏休みという時間があるときに,いろんな先生に子どもたちの素敵な姿を聞くといいかもしれません。