【遠隔セッションについて】大切な核となる考え方
こんにちは、Spiritual3.0です。
昨日に引き続き、今日も遠隔セッションのご説明をしていきます。
少し、説明が難しい内容ですが書かせていただきました。
大切な核となる考え方
セッションは、本当の自分自身、高次の自己(神我)と共に生きる為のお手伝いをさせて頂いております。
セッションは大いなる創造の源のミニチュアである魂を本来の丸い状態、核から外れたものを創造の核に戻していくお手伝いともいえます。
言葉で説明する事が難しいです。
なぜなら本来の自分自身は、在るだけの大いなる創造の源からの純粋な意識だからです。
2009年のシフト時から変化
私たちは、言葉で説明出来ない普遍的意識であるただ静観するものと2009年のシフト時に突然分かるという形で気づきました。
そして人格を持った神ではなくそれを超えた神その分け御霊が私達であり神我です。
その神は、私達の中にも外にも死んだ後もどこにでもある完全なる宇宙法則と私は感じました。
実は真実はとてもシンプルなのです!
あなたがあなただと思っている自分は、分離を体験するための個を持つ自分です。
その自我を完全に無くすワークではなく、神我を本来の自分と知りそれと共に生き歪み(苦しみ)を正していくワークです。
自我の持つエゴにパワーを明け渡して生き外に依存していた生き方を、自我の自分が神の自分に依存する生き方に変えていく事と言っても良いでしょう。
それは神に寄り添う謙虚で素直な心です。
少しイメージしやすい様に別の側面からご説明させて頂きます。
遠隔セッションでは
セッションは、神の秩序(宇宙法則)、万物の完全な働き(宇宙法則)に従って戻していくワークと言えます。
時空を越えてため込んだ不要なエネルギーが解放されて本来のパワーが現在に戻ってくる、創造の核(神とも生命とも神我とも言えます)から外れた歪みが正されるそのお手伝いを致します。
それは古神道では、
「かんながらたまちはえませ」
“神の御心のままに“
という意味です。
神道の言葉で説明させていただくと、
罪穢れを払い清めるとは 「穢れ」(けがれ)とは「気枯れ」であり、「罪」とは「包み」で、魂を包み隠すという意味です。
つまり「罪、穢れを祓い清める」とは、「魂が魄によって包み隠され、気が枯れてしまった状態から、再び精神が緊張を取り戻して気が蘇える」という意味になり、魂が魄を制する状態にリセットして、精神(かむながら)を健全に保つ手段であることがわかります。
本来私達は、罪も穢れもない状態なのです。
また自然と古代から生きてきたシャーマンの考え方では、
問題の根本的原因を見つけて、病んでいるものの全体性を宇宙と調和させた本来あるべき姿に回復させます。
神なる自分もダメな自分もすべて自分と受け入れて統合していくともいえます。
宇宙と完璧に調和して母なる大地を歩く生き方となります。
あなたの中に神様がいるのです
ここでの神は、みなさん自身の本来の姿としています。
私たちの神我は、すべてであると私は考えます。
極端な考えでしたら、こうも考えます。
すべては創造の源からの分け御霊である神聖な源のエッセンスを持つ御霊(魂、スピリット)と考えることが出来ます。
この意識の元にセッションは行われます。
御祈願について
現実的なお望みは、物質世界に近い神仏、スピリットに祈ります。
私達も御霊ですから、自分を含めた万物の中に神がいるのです。
誤解があるかもしれませが、物資界に近い形ある神仏(透視で視える姿形)も私の中では神我の一部と考えます。
(ある段階神我と一体化していくと分離は薄れてきます)
また自然や物に宿る霊すべてそうです。
それは、私であり友であり兄弟姉妹という考えでおります。
(すべて私自身とも言えます。これはシフト時に意識が拡大した時の私の感覚です)
ですから万物すべてひとつの輪の中で兄弟姉妹なので、すべての流れを信頼しています。
神社仏閣は人が作ったものですし、その神に依存し過ぎると宗教になります。
しかしながら、日本では神社仏閣に祈る習慣がまだありますので、ご相談者さまの気づき成長にとって最善と感じた時は、神社仏閣次元の神さまに御祈願させて頂きます。
それはその方にとって自分である神我よりも、外に形がイメージできた方がスムーズな変化に最善と考えた時です。
その方が素直さ感謝、謙虚な心になれる近道と感じた時です。
私も神社でご奉仕した身でありますし、日本の神さまに御縁が深く仲良しです。
実はその場合の神も私やみなさんの神我でもあります。
万物すべては、全体の中で友であり兄弟姉妹なので八百万の神であるそこに御祈願しています。
一時すべては私という意識の目醒めが訪れた時にセッションルームにある神棚を無くしました。
現在も変わりませんが今はこの世に映しとして神棚がセッションルームにございます。
パワーを明け渡すのでは無く感謝と敬いの心と共に目に見える形でお陰さまの神である八百万の神としてお祀りしております。
その時の祈りは、純粋に愛と感謝を持って祈るのです。
そして自覚し覚悟する事が必要です。
自覚は自分が覚める、覚悟は覚めて悟と書きます。
祈りは決意でもあります。
覚悟の字の如くしっかりした意識の上決断するのです。
祈るの語源(意に乗る)(意に宣る)
・意乗りとは神様の意に乗る…神様は何を望んでいらっしゃるかをいつも考える
・意宣りとは神様の意にそう思いを宣言する…決意固めその現実に向けて行動する
祈ったなら自分自身もそれに相応しく変わらなければならないと思います。
神に祈ったにも関わらず、信頼せず何度も何度も祈ったり、同じ事を悲観して元の木阿弥に戻るような生き方では、その繰り返しの迷いの人生を歩むしかないのではないでしょうか?
魂は何度も完全な創造の核のバランスに戻ろうとしますから因果の禊ぎが起こり、同じ事が繰り返し起こります。
創造は中立な法則の中にあります。
ですから歪んだもの調和を欠いたものは完全な創造に戻ろうとします。
歪みが現実に現れたらそれに気づき手放していく事を選択する事も私達はできます。
基本的には、魂の軸が創造の源と合った状態を生きる時、外側の現実が変わると言う考え方です(内側が外側を映します)
万物すべてに行き渡る神である創造の源(真ん中)に戻ろうとする力、そこから誰も逃れる事は出来ないのです。
ですから歪んだもの調和を欠いたものは、法則から外れた事を教えてくれます。
それが病気や問題です。
愛と感謝の意識(創造の核の意識)で生き手放していく必要があります。
この現実がどうであれ感謝する意識です。
感謝は感じて謝ると書きます。
神から外れた生き方をした事を神さまに申し訳なく謝りたい気持ちが自然と湧くそれが感謝です。
自分に都合の良い事が起こった時だけの感謝は本当の感謝ではないと感じます。
御祈願は、自我の望みの通りではないかも知れません。
創造の源の完全なバランス、それは愛と感謝でそこに導かれるのです。
大いなる源のミニチュアである魂の純粋な核にアクセスすると必ず愛と感謝のエネルギーと言葉が聞こえてくる事から分かりました。
私たちに肉体がある以上体験させられます
自我である人間の私は長いあいだ分離を手放してきましたが、まだまだ未熟でその旅の途中です。
肉体がある以上、ここで色々な思いもみなさんと同様に体験しています。
私自身も日々解放され一瞬々留まる事なくエネルギーが変化しております。
それに伴いホームページ内容も随時更新中です。
しかしながら文才と簡素にまとめる能力が私にはありませんので(今回も長くなり申し訳ございません)なかなか現在のセッション状態を正確に表現できません。
セッション自体にすべてが含まれます。
私は教師ではないので、教えているのではありません。
神我と共に体験して感じた事を分かち合いたい
というおもいで書かせて頂いています。
みなさんの神我がちょうどの時に完全に導いてくれるでしょう。
神我とは
真我、大我、内なる神、ハイヤーセルフ、モナド、高次の自己など...
魄↓
2022.1.22改正済み (大切なメッセージなので良い表現が閃く度改正させて頂きます)
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