「おひさま」が「おひさま」である意味

昨年11月13日、紅白歌合戦の出場歌手が発表されたとき、そこに「日向坂46」の名前はなかった。自分にとっての人生初の「推し」が挫折する瞬間を見た。
「悔しい」
のひと言に尽きた。もちろん、紅白に出場できるかできないかだけがアーティストの評価基準になるわけではないけれど、各メンバーが紅白という舞台をいかに重要視していたかというのは、直後に更新されたそれぞれのブログを読んで痛いほど分かった。間違いなく本人たちが1番悔しい思いをしたと思う。

ただ、これだけは確信を持って言える。「日向坂は、いつ何時も僕たちに勇気と元気、そして幸せ
をくれている」と。

ここ最近、メディアの記事をのぞいていると違和感を感じることがある。うまく言葉に表せないが、全体を10としたとき、1くらいにしか相当しない小さなネガティブな内容が全体を覆い込むような書き方をしているというか、、。
日向坂46に関しても、「2023年は伸び悩んだ1年になった」とだけ書かれてポジティブな内容は隠すようにして明かさず、それが全てかのように語られるケースが多い印象を受ける。(日向坂46に限った話ではないが)

じゃあ、2023年は本当に「伸び悩んだ」の一言で表せる年だったのか?
その答えは、おひさま1人1人が1番良く分かっている。確かにツアーの売れ残り、紅白落選といった出来事は、メンバーにとっても、おひさまにとっても苦い思い出にはなったかもしれないが、それ以上に数えきれないほどの良い思い出があったはずだ。自分もそうである。ライブ、ミーグリでの思い出、メンバーのメディアでの活躍には凄く刺激を受けているし、日々を過ごしていくための活力になっている。「伸び悩んだ」の一言では当然表せない。

それに自分も日向坂ファンになって常々思うが、おひさまの皆さんは本当に優しい人が多い。グループが困難な状況になっても見捨てず、みんな「日向坂ならどんな壁だって乗り越えていける」と信じているし、メンバーもこれまで幾度となくそれに応えてくれた。これがメンバーとおひさまの関係性の本質であると思う。

結局のところ、日向坂のことを真に語れるのは、メンバー、スタッフ、関係者の方々以外では、「おひさま」しかいないのである。

日向坂のことをファンである僕たちが語り継いでいく。
これこそが「おひさま」が「おひさま」である意味なのでは!?

というようなことを生意気ながら不器用ながら少し真剣に考えつつ、年越しをした自分でした、、

このエッセイを書いているのは2024年の8月下旬で、4期生武道館ライブ、24時間テレビチャリティーライブが無事終わって、ひなたフェスへ向けてGO!という時期であるが、2024年のここまでの日向坂の活動を見ていると、完全復活も近いのでは!?と期待させられる場面が多い。ひな誕祭、4期生武道館ライブも現地参戦したが、盛り上がりが凄かったし、11枚目シングルの活動も好調な印象を受けた。きっと近い将来、紅白にも返り咲くチャンスが来るだろうし、更なるグループの発展に期待したい。

(元々自分は文才がないので、拙い文章になっていると思いますが、最後まで読んでくださってありがとうございます。)



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