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日本経済の「帰還不能点」は92年の夏 西野智彦の金融取材ファイル#13
みなさん、こんにちは。
今週から始まる新シリーズのテーマは「宮沢喜一と公的資金」です。
新シリーズと言っても1990年代初頭の話ですが、国のリーダーにとって大事なのは、「決断の中身」よりもむしろ「実行のタイミング」であることを教えてくれる歴史的教訓だと感じます。
「帰還不能点」は92年の夏
首相の危機感に火をつけた日銀
金融当局者と議論すると、「どこがポイント・オブ・ノーリターン(帰還不能点)だったか」がしばしばテーマに上る。帰還不能点とはもともと航空用語で、そこを過ぎると出発点まで戻る燃料がなくなってしまう限界点をいう。もしあそこで決断していたら、その後の展開は大きく変わったはず――。今週から1990年代初頭にタイムスリップし、多くの当局者が同意するバブル崩壊直後のポイント・オブ・ノーリターンを再検証する。
1992年夏。首相は72歳の宮澤喜一だった。
前年11月、海部俊樹の後を襲って政権の座に就いた。以来、マスコミの酷評に耐えながら、7月の参院選で改選過半数を取り、ようやく安定期を迎えつつあった。
党内きっての政策通を自任する宮澤は、内外の経済指標がびっしり書き込まれた2枚のペーパーを常に背広の内ポケットに忍ばせていた。1枚は経済企画庁が毎週更新し、もう1枚は大蔵省が半期ごとに作成する。さらに愛用の手帳には、日々の為替レートと日経平均株価を欠かさず記録し続けていた。
そんな宮澤が、膨大なデータを手に首をかしげる日が増えていた。景気診断に過去の経験則が役立たなくなっているのである。
それまでは、92年1-3月期を底に景気は回復に向かうと信じ、対外的にもそう言い続けてきた。参院選を意識した面もあったが、景気循環的に見れば、さほど根拠のない話でもないと思っていた。
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