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首相と総裁は「公的資金」で握っていた西野智彦の金融取材ファイル#14

こんにちは。「宮沢喜一と公的資金」編の第2回です。バブル崩壊に伴う金融の機能不全が日本経済の足かせになると見抜いた宮沢首相は、政治的に不人気な公的資金の投入へと動き出します。さてどうなるか。

宮澤喜一と公的資金②
首相と総裁が握った株価対策
日証金経由で市場に日銀マネー

 
 バブル崩壊の足音が一段と強まった1992年8月。首相の宮沢喜一は、日本経済変調の原因が金融にあると考え、従来の発想を超えた対策を模索し始める。
官邸には政財界から公的資金の投入を求めるペーパーが次々と集まり、日銀サイドからも政治決断を促す重要情報が寄せられていた。

それは7月26日の参議院選挙が終わった後、宮沢との昼食のときだった、と首相側近は記憶している。新聞の首相動静で調べたところ、7月30日か8月6日だった可能性が高い。
 近藤元次官房副長官に首相秘書官も交えた官邸での昼食の最中、宮沢が食事の手を休め、こんな話を始めた。

 「アメリカのS&Lの救済策やらイギリスのライフボートの件を見てもだな、それなりのものを日本の金融機関に対してもやらないと、これは大変なことになる」
 一拍置いて、こう結んだ。
「やはりやるとき時は公的資金を入れて、きっちりしないと流れは止められないわけだ」
 遠回しながら、首相が公的資金の必要性に言及したのである。

 米国では、80年代後半に大量破綻した貯蓄貸付組合(S&L)の損失処理のため、巨額の財政資金が必要になった。英国でも70年代初頭のノンバンク危機を乗り切るため、中央銀行からの出融資を柱とする「ライフボート(救命艇)作戦」が実施された。

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