母の生きていた時代。
母の生家は、岩手の山奥で、貧乏な生活をしていました。
なので、母は、幼い頃から、家の為に、いつも、台所仕事や、兄弟の、子守をして、おばあちゃんが、畑仕事を、している間の家の事は、全部母が、仕切っていました。
めざしが、一つおかずにあるだけで、贅沢な、食卓だったそうです。
そんな中、母は、15の春東京の浅草に就職を、決めました。
母は、家計の助けの為、家に仕送りする為に、東京へ、出稼ぎに来ました。
出稼ぎの場所は、大浴場の仕事です。
浅草は、活気があって、色々な人が、銭湯に来ます。
そこで、番頭、まかない、色々な仕事を、覚え、仕送りしていました。
そんな、今なら、キャリアウーマンなので、母が、私に対して、厳しいのは、もちろん。こどもの泣き言には、聞く耳を持ちませんでした。
今、noteに書きながら、母を、客観視でき、我ながらすばらいし、母だと、自慢に、思っています。
時折、母の声が、聞こえていますが、
父に話しているのに、父は、何も、答えて、いないです。
昔の父は、DVを、する人で、うちの親は、子どもにとっての親は、出来が、悪い。
でも、一生懸命、子どもを、育ててくれた事に、感謝しています。
よくDVの父に、殺されなかったなと、今、感じています。
うちの、一家は、近所でも、有名です。
良く言えば、サザエさんやちびまる子ちゃんみたいな、昭和な一家で、家も昭和です。
私の部屋も、砂壁で、洋風にしたくても出来ないので、あえて、レトロにしています。
今は、自分なりに、楽しんでいます。
見て頂いてありがとうございます😊
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