[連載小説] 満月の森 #1 山の暮らしの物語 お月見の夜
電気のない山村に生まれ育った女の子 「ゆき」の記憶はこの夜から始まる。
昭和30年 秋 5才
今夜はお月見の夜。
母さんは、大きな赤いさつまいもにススキを添えて、庭の物干し柱に高々とくくりつけた。ゆきちゃんがさっき畑から掘って来て、井戸端で洗ったお芋だ。
お団子はないけれど、縁側には ザルに入れた 柿や 栗の実 里芋などが並ぶ。
夕暮れがせまり、近くの草むらでもススキが風に吹かれて銀色に波打っている。ここは山の中の一軒家で、他の家の灯りなどどこにも見えない。電気もなく、茶の間につるした石油ランプがたったひとつの灯りだ。
石油ランプの暮らしは、この家だけではない。戦が終わって10年余りになるが、この辺鄙な山村にはまだ電気が来ないのだ。
山仕事に出ていた父さんも、早めに切り上げて帰って来た。親子三人そろって夕ご飯を済ませるうちに、家も畑も遠くの森も、ゆっくりと深い夜の闇に沈んでいく。やがて、虫の音がいちだんと賑やかになる頃、東の空から金色に輝く月が登って来た。
「きれいなお月さんや…」
働き者の父さんが、珍しく湯呑み茶碗のお酒を手に、どっかりと縁側に腰を下ろす。片付けを終えた母さんも、お茶をすすりながら空を見上げてうなずく。
そばにちょこんとすわったゆきちゃんが、柿を気にしているので
「お月様のお供えやから、もうちょっと後でね」と頭をなでた。
近くを流れる谷川の水音に混じって、羊小屋でガタゴトと物音がした。
お月様さまが明るくて、羊も眠れないのかもしれない。
満月は、あたりをこうこうと照らしながら
黒々とした森の上をゆっくりと渡ってゆく。
そんな満月の森にゆきちゃんは 生まれたのだった。
時は流れて、満月は今もあの暗い森を照らし続けているだろう。
「満月の森」シリーズは
あの寂しくも美しい森に生まれ育った女の子と、深い愛情を持って厳しい山の暮らしを生きた若い両親のささやかな物語です。