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【後編】親の会社をクビになった話

あれからしばらくの間、私は自分のアパートに閉じこもるように生活していました。朝起きても、何をする気力も出てきません。なんとか食事だけはコンビニで済ませたり、水道光熱費の支払い期日を頭の片隅で気にしながら、ぼんやり日々を過ごしていました。バイトすら探しに行けないまま、時間だけが過ぎていきました。

そんな生活をしていると、当然ですがお金は減る一方です。家賃を払う余裕も心もとない。クビになった直後こそ、一時的に貯金から切り崩してしのいでいましたが、何の収入源もない状態ではあっという間に底を尽きそうでした。心配して連絡をくれる母に対しても、私はうまく本音を打ち明けられず、「大丈夫、少し休んでいるだけ」と取り繕った返事ばかりをしていました。実家に戻る考えも頭をよぎりましたが、父と顔を合わせることを思うと、それだけで動悸がしてしまい、なかなか踏み切れなかったのです。

とはいえ、このままでは生活が成り立ちません。そこで私は思い切って日雇い派遣の登録をすることにしました。スマートフォンで検索すると、倉庫や工事現場など、すぐに働ける求人は意外と多く見つかりました。面接というほどのものでもなく、登録説明会に行って書類を書けば、あとは空きのある現場へ派遣されるだけ。時給もそれほど高くはありませんでしたが、少なくとも日払いで手に入る現金があるのは助かりました。

最初に配属されたのは倉庫内でのピッキング作業でした。単純に伝票通りに商品をカートに入れていく仕事です。広い倉庫を歩き回るので、慣れないうちは疲れましたが、頭を使わなくて済む分、余計なことを考えなくていい時間でもありました。親の会社で覚えた機械の操作や在庫管理の知識は、ここではまったく役に立ちません。それでも「今はとにかくお金を稼がなきゃ」と割り切って働くことで、少しずつ生活のリズムを取り戻すことができました。

日雇い派遣で何度か倉庫や工場を転々としているうちに、少しずつ周囲の風景が目に入るようになりました。夜のコンビニ弁当だけでなく、休日にスーパーに行って食材を買い、自炊してみる。疲れすぎた日は銭湯に行って体をほぐす。以前の私は「親の会社を何とかしなきゃ」と思いつめていましたが、今は自分が生きるだけで精一杯。気持ちに余裕はないものの、逆に言えば自分一人の生活なので、それ以上の責任を負わなくていいという開き直りが少しだけ生まれました。

そんな生活を続ける中、ある日母から電話がかかってきました。夜の10時をまわったころだったと思います。母は少し緊張した声で、「実はお父さんが倒れて病院に運ばれた」と告げました。聞けば、会社で作業をしている最中に急に胸の痛みを訴え、社員が救急車を呼んだとのこと。幸い命に別状はないようですが、しばらく入院が必要らしい。話を聞いた私は動揺して、「大丈夫なの?」と何度も聞き返しました。母は「命には問題ないみたい。でも本人もショックを受けているから、一度顔を見せてもらえないか」と遠慮がちに言いました。

会社を出ていってから、父とは一度も会話をしていません。激しい口論の末にクビを言い渡されてから、ずっとギクシャクしたままです。顔を合わせづらいのはもちろんですが、正直言うと、まだ父に対して怒りや恨みのようなものも残っていました。それでも、やはり親が倒れたと聞くと心配になります。母が頼りなさそうに電話口で話しているのを聞くと、「自分が行かないと」と思う部分もありました。

翌日、私は日雇いの現場を休むことにして、病院へ向かいました。父が入院している病院は、昔から地域でよく利用されている中規模のところで、私も一度風邪でお世話になったことがあります。病室に入ると、父はベッドの上で点滴を受けていて、まだ顔色が悪そうでした。母が「連れてきたよ」と私を父に紹介する形になりましたが、父はチラッとこっちを見て、苦しそうに視線をそらしました。

私は何を言えばいいか分からず、「大丈夫?」とぎこちない言葉しか出てきませんでした。父は小さくうなずくだけで、ほとんど口を開きません。母が「先生の話だと、しばらく安静にしていれば大丈夫みたい。でもストレスは避けるようにって」と補足してくれました。普段なら「ストレスなんか俺は平気だ」と強がる父でしたが、このときばかりは何も言えないようでした。

結局、病室では大した会話もなく、父と私の間には微妙な空気が漂い続けました。母に「一応、顔を見せてくれてありがとう」と言われ、私はそれ以上何も言えないまま病院を後にしました。アパートへ帰る道中、「父は今どんな気持ちなんだろう」「会社は大丈夫なんだろうか」と頭の中でいろいろ駆け巡りましたが、私にできることは何もないように思えました。

それから数日が経ち、再び母から連絡がありました。父は退院に向けてリハビリを始めているということ、そして会社の方は社員たちが何とかまわしているという話でした。母は「このままだと会社はいつまで持つか分からない。お父さんには経営を少し離れて療養に専念してほしいけど、社員も年配ばかりで限界がある」と困った様子です。正直、解雇された私がどうこう言える立場ではありませんが、母の口振りからは「どうにか助けてほしい」という思いが伝わってきました。

私も内心、会社がつぶれるのは見たくありませんでした。あれだけ衝突して出てきたとはいえ、家族が何十年もかけて守ってきた仕事場です。会社がなくなれば、そこに勤めている人たちも路頭に迷うでしょうし、私にとってもやはり他人事ではない。かといって、すぐに「じゃあ戻るよ」と言う気にもなれませんでした。父との関係修復もしていないし、クビを切られた側ですから、今さらノコノコと出ていくのも筋違いのように思えたのです。

それでも、ある夜、母からの電話を受けて話しているうちに、自分の本心が漏れ出てしまいました。「俺も、会社がつぶれるのは嫌だ。何かできることがあるなら手伝いたい気持ちはある。でも、もう顔を合わせるのが怖いんだ」。母は少し驚いたようでしたが、「じゃあ今度、お父さんがいる病院へ一緒に行って、3人で話してみない?」と提案してきました。気乗りはしませんでしたが、どこかで「このままじゃいけない」と思っていたので、結局その提案を受け入れることにしました。

数日後、母と一緒に病院を訪れると、父はリハビリの合間で少しだけ時間を取ってくれました。車いすに座っている父は、以前よりもやつれた感じがしました。母が横に座って、「会社のことと、これからのことを一度ちゃんと話せないかな」と切り出しました。私は父の顔をまともに見るのが久しぶりで、少し言葉を探してしまいました。

しばらく沈黙が続いた後、父が口を開きました。「あのときは、色々迷惑をかけたな。お前も悪いところはあったけど、俺にも考えなしのところがあった」。声は弱々しく、でもはっきりとした口調でした。私は思わず、「いや、俺の方こそ」と返そうとしましたが、言葉になりません。父は続けて、「会社がこのままじゃ危ないのは分かってる。だけど、どうしていいか分からなかった。お前の言うことを聞けばよかったのかもしれない」とぽつりとつぶやきました。

正直、私は父がこんなにも素直に弱音を吐く姿を見たのは初めてでした。ずっと強気で「俺のやり方が正しいんだ」と押し通す人だと思っていたので、そのギャップに戸惑いながらも、少し胸が熱くなりました。母が泣きそうな声で「お父さんも反省してる。あんたももう一回考え直せない?」と言ったとき、私は自然と「分かった。できることはやる」と答えていました。

とはいえ、すぐに以前のように会社に戻るのは難しいです。父と私にはまだしこりが残っています。そこで私は、「まずは外部からサポートする形で関わりたい。例えばデータ管理や在庫のチェック、あと新しい取引先の情報収集とか。今は日雇い派遣で働いていて時間が限られているけど、休みの日なら動ける」と提案しました。父は弱々しくうなずき、「それでいい。最初はそれでいいから、助けてほしい」と静かに答えました。

その日、私たちは長時間話すことはできませんでしたが、会社の現状やこれからの見通しをざっくり共有しました。父の病気が回復し、退院した後も激務を続けるのは難しそうです。古い設備のメンテナンスも限界に近く、新しい機械を導入するか、もしくは受注内容を縮小するか、いずれにしても大きな決断が必要です。まだ具体的な解決策は見えません。それでも、親子が再び同じ方向を向いて話せたことは、私にとって大きな一歩でした。

それから数週間後、私は休みの日を利用して、会社に顔を出すようになりました。父の退院はまだ先ですが、母や他の社員たちと在庫管理や受注状況を話し合い、改善できそうなところをリストアップしていく作業を始めました。以前なら「口出しはやめろ」と言われそうな提案にも、社員の方々が耳を傾けてくれるようになり、「試しにやってみようか」という言葉も出るようになりました。父の存在が大きかった会社だからこそ、父が不在になると社員同士が自然と協力しようという気運が生まれたのかもしれません。

一度はクビになった身ですから、私も立場的には慎重です。決して上から指図するわけではなく、「こんな方法がありますが、どうですか?」と丁寧に確認して進めています。そのうち、父からも電話が来るようになりました。「今のところどうなってる?」「こういう取引先は、どう交渉すればいい?」と、以前では考えられないほど穏やかな口調で尋ねてきます。私も無理のない範囲で答え、「退院してから一緒にやろう」と話すようになりました。

正直、会社がこの先どうなるかはまだ分かりません。父の健康状態も万全には程遠いし、新しい機械導入や取引先の拡大には資金が必要です。課題は山積みです。それでも、父と私が少しずつ歩み寄りを見せている事実は大きな変化だと思います。母は「やっと二人とも落ち着いたね」と、電話口で涙ながらに喜んでいました。

私自身も、親の会社で働くことに対するトラウマのようなものは完全には消えていません。でも、父の「お前の言うことを聞けばよかったかもしれない」という言葉が、少しだけ私の過去の苦い記憶を和らげてくれました。お互いの頑固さや意地の張り合いが原因で大切な時間を失った分、今後は少しでも建設的に話し合えればと思っています。

そして、何よりも「家族だから助け合いたい」という気持ちが、今の私を動かしているように感じます。クビになったことや、その過程での衝突は決して消せない事実です。だけど、それを乗り越えて再び手を取り合うこともできる。たとえ元の形には戻れなくても、新しい形で協力し合う道が残されているのだと、今は少しだけ希望が持てるようになりました。

後日談として、父は体調を見ながらリハビリを続けています。退院後、しばらくは自宅療養になるようですが、その間も私や母、社員たちが会社を最低限まわしていく予定です。会社を大きくするかどうかは別として、「細々とでも続ける価値がある」と感じられるような仕事にしたい。そのために、私も日雇い派遣での生計が安定したら、もう少し積極的にサポートしていく考えです。

もしあのまま、父が病気にならずに私がクビになったままだったら、お互い顔を合わせることもなく、親子関係は取り返しのつかないほど壊れていたかもしれません。皮肉な言い方ですが、父が倒れたことをきっかけに、私たちは初めて腹を割って話すことができました。母も「家族って難しいね。でも、だからこそ一度決裂しても、こうしてやり直せるのかもしれないね」と言ってくれています。

これで全てが丸く収まったわけではありませんし、会社の将来や父の健康には不安が付きまといます。それでも、私は今、以前よりも冷静に家族との関係を考えられるようになりました。実際、親の会社をクビになった事実は消えませんが、それでもなお「家族を守りたい」「家の仕事を無駄にしたくない」という思いが再び湧き上がってきています。過去のことを嘆いても状況は変わりません。ならば、自分ができる形で少しずつでも前に進めばいい――そう考えられるようになったのは、父が見せてくれた一瞬の弱さ、母の必死な思い、そして私自身の悔しさを経験したからだと思います。

「親の会社をクビになった」という一見ネガティブな出来事は、私にとって大きな傷でした。しかし、その傷のおかげで、家族同士でもっと本音を言い合うことの大切さを学びました。もしかすると、これから先、また衝突はあるかもしれません。でも、そのたびに今回の経験を思い出して、「二度と同じ過ちを繰り返さないようにしよう」と思える気がします。

今はまだ模索中の日々です。でも、父と電話で笑いながら話す時間が少しずつ増えてきました。母と3人で今後のプランを共有することもあります。ついこの間、父は病院から「今度、カタログで見た新しい加工機を考えてみよう」という連絡をよこしました。以前なら考えられなかった変化です。笑ってしまうほど急な方向転換ですが、私は「いいんじゃない?」と返事をして、父の回復と会社の再生を信じてみようと思っています。

こうして私の「親の会社をクビになった話」は、まだ終わりではありません。クビになって得た挫折と、それをきっかけに改めて考えさせられた家族のこと。悔しさや辛さが混じり合った体験でしたが、今になって振り返ると、すべてが私たち家族にとって必要なプロセスだったのかもしれません。これから先、何か大きな課題が出てきたとしても、もう一度やり直せるだけの強さが、私たちの間にはできつつあるように感じます。やっと、心からそう思えるようになりました。



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