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【後編】祖父が突然”スナックのママ”を始めた理由

祖父は「最初に店を手伝ってくれと声をかけられたときは、正直何の冗談かと思った」と話し始めました。近所で昔から顔見知りだった人が、スナックのオーナーになったそうで、スタッフ不足に悩んでいたらしいのです。祖父は「夜の店なんてまったく縁がない」と最初は断ったそうですが、声をかけられたタイミングが、祖母の死からしばらく経って寂しさが募っていた時期と重なったのが大きかったと言います。

「家にいても一人だし、畑はやってるけど、ただ作物を育ててるだけじゃ物足りない気がしてな。おまけに、誰かと話すことも減って、つい無口になりがちだったんだ。店のオーナーに『ちょっとだけでも手伝ってみないか』と言われたとき、何か変わるかもしれないって思ったんだよ」

そう言う祖父は、どこか遠くを見つめるような表情でした。昔から頑固で、家の中では自分の意見を押し通すタイプでしたが、私が見たスナックでの姿は、誰よりも相手の話を聞く“聞き役”に回っているように感じました。祖父は続けます。

「最初は雑用でもしようかと思っていたんだ。掃除とか皿洗いとかなら、年寄りでもできるだろうって。でも、オーナーに『お客さんの相手ができそうなら、カウンターにも入ってほしい』と言われてな。冗談だと思ったけど、試しにやってみたら意外と悪くない。驚いたよ、自分がこんなに人の話を聞けるとは思わなかった」

祖父はそう言いながら、少し照れくさそうに笑いました。私にとっては、家で見ていた祖父の印象とあまりにも違うので、思わず「どうしてそこまでハマったの?」と率直に聞いてしまいました。すると、祖父は少し言葉を選ぶようにして答えました。

「お客さんは色んな悩みを抱えているんだ。仕事や家庭、人間関係で悩んでいる人も多い。私が大したアドバイスをできるわけじゃないけど、『聞いてくれてありがとう』と言われることが増えてな。そういうとき、自分がまだ誰かの役に立ってるんだと思えるんだよ。老い先短い身かもしれないけど、『何かできることがある』って感じられるのは、すごく大きいんだ」

祖父がそんなふうに考えているとは思っていませんでした。祖母が亡くなってから、祖父が寂しそうにしているのはわかっていましたが、それをどうやって埋めているのかは知りませんでした。畑仕事は祖父にとって楽しみの一つであると同時に、単調な作業が続くことも多いはずです。家に帰ってきても、話し相手がいない時間が長ければ、どうしても孤独を感じるものだろうと思いました。

「家族には言いづらくなかったの?」と尋ねると、祖父は苦笑いしながら首を横に振りました。

「最初は言おうかどうか迷ったけど、『高齢者が夜の店にいる』と聞いたら、変に心配されるかもしれないし、反対されるかもしれないだろう? 母さん(私の母)には途中でバレたけど、意外と何も言わなかった。むしろ『元気ならいいんじゃない』って。それで拍子抜けして、そのまま黙って続けてたんだ」

祖父の言葉を聞いて、私は母の態度を思い出しました。確かに母は、祖父が何をしていても「本人が楽しんでいるならいいんじゃない」と言うばかりで、あまり干渉しません。もしかすると母なりに、祖父が立ち直る方法を見つけたのなら邪魔をしないほうがいいと思っていたのかもしれません。

「じゃあお金のためとかじゃないんだ?」と尋ねると、祖父は首を振りました。

「店を手伝うことで多少の収入があるのは事実だけど、そこが一番の目的じゃない。年金と畑の収入で、特に贅沢をしなければ暮らしていける。むしろ、夜に働くのは体力的にもきついし、家族には迷惑をかけるかもしれない。でも、ここで人の話を聞いていると、不思議と自分の生き方をもう一度考えさせられるんだ。若いころは仕事でいっぱいいっぱいだったし、家の中でも“黙って俺の言うことを聞け”みたいな態度だっただろう? だけど今は、誰かの話に耳を傾けるってこんなに大事なんだと気づいたんだよ」

その言葉を聞いて、私は少し胸が詰まるような思いになりました。祖父は昔から厳しい人で、私が子どものころはよく叱られたし、強い口調で意見を押し通すことも多かった。それが今では、人の話を聞く“ママ”として笑顔で接客している。祖父自身も、自分の変化に驚いているのかもしれません。

話を聞きながら、私は祖父が店のカウンターで見せていた笑顔を思い出しました。あれは今の祖父が本心で楽しんでいる証拠なのだろうし、“まだ人の役に立てる”と感じることが祖父の支えになっているのだと思います。お客さんも、祖父のような落ち着いた存在がいると、何かあったときに話しやすいのでしょう。

しばらく静かな時間が流れたあと、祖父は「こんな話、誰にもしてなかったな」と言って、ちょっと照れくさそうに笑いました。私も「意外だったけど、なんだか安心した」と返しました。家族としては、「祖父が突然夜の店で働くなんておかしいんじゃないか」と思う部分もあります。ですが、本人が元気で、しかも誰かの役に立っているなら、悪いことではないと感じられたのも事実です。

翌日、私は母に「おじいちゃんとちゃんと話したよ」と伝えました。母は「そうだったの。よかったじゃない」と笑いながら、「実はお父さん(祖父)から直接相談されたわけじゃないけど、夜に出かけるようになったときからなんとなく察してたのよ。でも、やりたくてやってるならいいかなって思った」と言います。どうやら母も、祖父のやり方にあえて口出しせずに見守っていたようです。祖父も母も口下手なところがあるので、お互いに深い話はしていなかったのでしょう。

その後、私は祖父と一緒に食事をする時間を作りました。昼間のうちに顔を合わせることはあまりありませんでしたが、私の滞在期間がもうすぐ終わることを母が祖父に伝えてくれたので、少しだけ予定を空けてくれたようです。祖父はいつもと変わらない様子でごはんを食べていましたが、ときどきスナックの話をしてくれました。

「お客さんに若い人が増えてきて、将来の仕事のことや、家族関係で悩む話を聞くと、昔の自分を思い出すんだ。俺も何も考えずに突っ走って、周りに偉そうな態度をしてたなって。恥ずかしいけど、今になってわかることも多い。人に聞いてもらうだけで救われる気持ちがあるなら、俺はそれを手伝える役になりたいと思う」

祖父がそんなふうに考えるなんて、数年前の私には想像できませんでした。祖母を失った悲しみを抱えながら、自分がどう生きていくか模索しているときに、このスナックの“ママ”という役割が祖父にとってはピッタリだったのかもしれません。夜に働くのは体力的にも楽ではないはずですが、それ以上に得られるものがあるのだろうと感じました。

私は休暇が終わりに近づき、実家を後にする日がやってきました。朝早く出発する私を見送るために、祖父は畑から戻ってきてくれました。玄関先で「また忙しくなったら来られないかもしれないけど、体には気をつけてね」と声をかけると、祖父は素直に「わかった。お前もな」とうなずいてくれました。以前なら「うるさい、仕事に口出すな」とか言われそうなところですが、今はお互いに穏やかな気持ちで言葉を交わせるようになった気がします。

帰りの電車に乗り、窓の外を眺めながら祖父のことを考えていました。あの頑固だった祖父が、人の話を受けとめる“ママ”になっている姿は、まるで別人のように見えます。でも、よく思い返せば祖父は昔から面倒見がいいところもありました。ただ、それを素直に表に出せなかっただけかもしれません。年齢を重ね、祖母を失い、いろいろな寂しさを抱えた結果、意外な場所で自分の居場所を見つけたのだと思います。

私は祖父に「どうして?」と問いかけていましたが、その答えは単純な一つでは説明しきれない気がしました。寂しさ、誰かに必要とされたいという思い、そして自分の人生を振り返って新たな価値観を発見する流れ……そういった要素が全部絡まって、祖父を“スナックのママ”へと導いたのでしょう。結果的に、祖父はそこで生き生きと輝いているわけですから、外野がどうこう言うことではないのかもしれません。

何より、祖父との距離が少し縮まったように感じられるのが私としては嬉しかった。今までは一方的に説教されるばかりで、深い話などできるはずもありませんでした。でも、今回のことで祖父の心の内を少しだけ知ることができましたし、祖父も私のことを一人の大人として受け止めてくれているのが伝わってきました。

家に帰りついてからも、時々あのスナックの光景を思い出すことがあります。カウンターの奥で、祖父が柔らかい表情で客と向き合っている姿。これからも祖父は夜な夜な“ママ”としてそこに立ち続けるのでしょう。いつかまた私が帰省したら、祖父の店に顔を出してみたいと思います。常連客のように「ママ、ちょっと聞いてほしいことがあるんだ」なんて言う日が来るかもしれません。

祖父が突然スナックのママになった理由は、本人が一番よくわかっているはずです。いくつになっても新しいことを始められるし、誰かの役に立てるんだと、祖父は背中で示してくれた気がしました。家族の私としては、祖父が元気に人生を楽しんでくれているなら、それが一番だと今は素直に思います。

人の意外な一面というのは、往々にしてこんな形で知ることになるのかもしれません。祖父の選択は私にとって衝撃的でしたが、最後には「なるほど、そんな生き方もあるんだな」と自然に納得できました。これから先、もし私が新しい一歩を踏み出すことがあっても、祖父のように「やりたいと思ったらやってみればいい」と思えるようになった気がします。

そう考えると、この出来事は私にとっても大きな意味があったのだと思います。祖父と私の間にはまだまだ埋まらない世代差や価値観の違いがあるかもしれません。でも、スナックで笑う祖父を見たとき、私は単純に「祖父もまた一人の人間なんだ」と実感しました。大切なのは、自分がどこで何をするかではなく、そこにどんな気持ちで立っているか。祖父が教えてくれたのは、そんなシンプルだけど忘れがちなことだったのかもしれません。


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