所帯を持ったオタクは、オタクじゃいられない?
「心と身体に余裕がないと、オタ活なんてできない」
7年前、旧友が漏らしたこの一言。
膝に幼女を乗せ、疲れた様子で珈琲を口にする彼女は、もうオタクではなくなった様子でした。
度重なる涎でやつれたスタイを掛けた彼女の子どもは、母の苦労も知らずに笑顔を振りまいていました。
社会に望まれて誕生したのだと疑わないその無垢さを、誰が責められるでしょうか。
旧友とは、数々のオタ活をしてきました。
アニメイトに行くことから始まり、イベント(冬コミ・コラボカフェ・ナンジャタウンなどさまざま)・ライブ・アミューズメントパークなど数えればキリがありません。
独身でいたいワタクシとは異なり、世間で言うところの適齢期に結婚した彼女。
どこでも一緒に遊んでいた彼女を奪った旦那様に、殺意の波動を送ったことは1度ではございません。
結婚当初は変わらない生活を送っていましたが、ある日、彼女の下に女の子が誕生しました。
互いに「当分オタ活などできない」と察した瞬間でした。
彼女から「Twitter(現:X)を眺める時間があれば寝ていたいなんて、思う日が来るとはね」とLINEが来た時は、オタク仲間として返信すべきか、社会人として返信すべきか迷いました。
推しの色より、娘が好きな色。
好きなキャラクターより、娘が関心を寄せたキャラクター。
グッズが売られているショップではなく、娘に必要なものが揃っているショップ。
「大切な娘のためとはいえ、何十年好きだったものから遠ざかることが苦痛」と、彼女からメッセージが来たことがありました。
聞こえないはずの溜息が画面から聞こえた気がしました。
時が流れ、現在。
母の体力と気力と母乳を吸いつくした幼女は、
来栖翔と和泉三月を推す立派な少女へと変貌を遂げました。
「男を見る目があるね」と彼女の母親――旧友に告げると、
彼女はまだ母親ではなかった頃の情熱を目に宿して、
「ここからよ、ここから」と娘を同志に育て上げたオタクの表情を浮かべました。
ワタクシたちのオタ活は、これからも続くようです。