初恋、しかも一目惚れの力
思い返せば私ぶりフィレ美は生まれた時から軟派な性格だったと言っていい。ものごころついた最初の記憶が、幼稚園の園庭に面した石垣に、たっちゃんと横並びに並んで、足をひらぶらさせている記憶である。4歳のときだった。たっちゃんは大人しい性格だったが、私のことが好きで、2人でいることも多かった。幼稚園を卒業して、たっちゃんが私に会いたがっていると風の噂で聞いたもののお互い行動には移さずそれきりだった。
その後の人生も常に誰かに好かれていたが、たっちゃんの次に特に記憶に残っているのは藤井君(仮名)である。藤井君と出会ったのは小学三年生、四年生になる前の春休み、学習塾だった。小学校は違うが意気投合し、気付いたときには完全にロックオンされていた。藤井君が私に明らかに好意を見せたのはお互い9歳か10歳頃のときだったと思う。結局藤井君とは交際に至らず18歳までつかず離れずの関係が続く。このように淡い?恋愛体験が続いていたが、中学2年生のときに鮮烈な経験をすることになる。
中学2年生の秋、特にすることがなかったので家の本棚をあさっていて、何気無く白地のCDを手に取った。大人の顔が3人載った外国のCDだった。その中の一人が私の目を特に引いた。血色の良い頬に、綺麗な丸い目、赤い唇の美青年で、私は完全に一目惚れし、目が釘付けになってしまったのだった。急いでCDをプレーヤーにかけると「Recitar!」と悲痛な一声で歌が始まるのだが、何と甘い声だろうと私はうっとりしてしまった。その後他の二人の歌もあり大変素晴らしい内容なのだが一人はギトギト、もう一人はテカテカした声で、私の好みは最初の声の男の人だった。そこではっとして、写真の男の人はどの人だろうと急いでCD付属の歌詞表を見ると、とても幸運なことに私が一目惚れした人と声にうっとりした人は同一人物だった。
私の家族は特にクラシックファンではないのだが、母がミーハーな性格で流行ったものはとりあえず買ってみる、やってみるという性格である。だから三大テノールのCDが家にあったのだ。私が一目惚れしたのはホセ・カレーラスだった。カレーラスはスペイン・バルセロナ出身のオペラのテノール歌手で、おおよそ40歳の若さで白血病に侵されるのだが奇跡の復活を遂げ、年の近いドミンゴとパヴァロッティとユニットを組む。これが三大テノールである。彼らは世界中をまわり公演をした。オペラと違い、カラカラ浴場や紫禁城等のとても広い会場で音響を使いながら歌った。またオリンピック等の大規模な祭典でも歌った。CDを売れば飛ぶように売れた。この時日本はちょうどバブルだったので彼らは非常に高額なチケットで日本公演をたびたび行ったが、チケットはいつも入手困難だった。彼らは世界を席巻し、またオペラの知名度を高めたのである。
三大テノールはカレーラスの快気祝いに結成されたユニットなので、3人の実力でいうとカレーラスは少し格下だ、という人もいる。パヴァロッティはイタリア出身で言わずと知れたスーパースター、陽気で茶目っ気のあるキャラクターでも人気だった。ドミンゴはスペイン出身(メキシコ出身でもある)で、背も高くイケメン。映像栄えする。とにかく役の幅が広い。往々にしてスペイン出身の歌手は言葉の関係もありイタリアオペラを歌うことが多いのだが、ドミンゴはドイツオペラやロシアオペラもレパートリーに入っているのだ。それに対してカレーラスは小柄で神経質な、几帳面な雰囲気だった。しかし小さい体で官能的かつ上品に歌うので人気だった。また見た目も日本人好みで可愛かった。彼の声はどちらかというとリリコと言われる軽い声なのに、無理をしてトゥーランドットのカラフやトスカのカヴァラドッシの様なドラマチックな役どころをしているような気もした。
私はカレーラスに一目惚れした日から、ディスクユニオンに行ってジャンルに関わらず彼の中古CDをあるだけ買い漁り何度も何度も自分の部屋で繰り返し聞いた。主要なイタリアオペラのあらすじはほぼ暗記し、イタリア語はわからなかったのだが歌の台詞もまあまあ耳で覚えてしまった。
実は今のイタリア人の夫はカレーラスに似ている。(と私は勝手に思っている)
初恋・一目惚れの力は凄まじい。自分の軟派な性格に嫌気がさすときもよくあるけれどみなさんも何かに迷ったら初恋の記憶を呼び覚ましてはいかがでしょうか。