![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168547528/rectangle_large_type_2_b1d78178888d49a4fec0b8e95c8a720c.jpg?width=1200)
2024インド漂流記①
2024年の締めくくりはインドであった。
父の思いつきでインドに行くことが決まり、あれよあれよという間に年末がきて、母と弟と共に父の赴任先のインドへ。
正直仕事が忙しくて「インド?なにそれ」状態だったが、前泊のホテルへ向かうと流石に実感が湧いてきた。ホテルへは京急に乗って川崎駅から向かった。年末の川崎駅は活気があって、華金ということもあってか人がたくさんいた。これが日本の見納めの景色かと思うと、
見慣れた川崎の景色が急に綺麗にみえた。
羽田を発つ朝、心配性の母のおかげでものすごく早くに空港に着いた。なにせ私にとってこのインド旅行が初海外であった。母の不安も増しただろう。初めてみる羽田空港第三ターミナルの全ては珍しく、ピカピカで、少し現実から離れているように感じた。これからインド?なんの冗談なんだろう。チェックインカウンターではまごまごとする私と母を連れ、弟が対応してくれた。知らないうちに弟が英語がペラペラになっていてたまげた。3人でしばらく空港をぶらぶらして、父からの任務である「セブンでおにぎりを買いなさい」を達成してから飛行機に乗り込んだ。飛行機は清潔で快適であった。
9時間も乗っていたのに、興奮で一睡もできない自分には呆れてしまった。
夜の20時ごろにインドに着く。飛行機の窓から見える街が霞んでいて、着陸がとても不安だったが、無事インドに降りたった。入国審査のやる気のないインド人をみて、いよいよインドにきたことを実感した。しかしここからが難関だった。国内線への乗り換えだ。父からの指令通りに進んで、警察官にパスポートをみせる。まず私が、続いて弟が通過した。最後の母を弟と待っているとなにやら警察官が母に英語でまくしたてている。すかさず弟が通訳に入ると、警察官は「2人が同じ名前だからここを通せない。2階へ行け。」と言う。同じ名前の訳はない。確かに家族だから苗字は同じだが、名前は違うと散々説明するも、埒が明かない。インド人は適当な割に融通が利かないこともあるのだ。そこの通過は諦めて、仕方なく外から入ることにする。空港の外のインドの熱気は生涯忘れることはないだろう。人、ひと、ヒト。大量の車にけたたましいクラクション。霞んだ暑い空気。活気とはまた違う、まさに「異国」の熱気であった。あまりの衝撃に少し立ち止まるとすぐに話しかけてくるインドの人たち。英語なはずなのに、私にはさっぱりわからない。弟が「no.no」と断りづつけていた。と思ったら「今の人さ、3番入り口から入るといいって教えてくれたよ」親切なインド人もいるものだ。訳の分からないまま、とにかく3番入り口を目指した。やっとの思いで3番入り口につくと、警官に「no.go to 8」と追い払われる。なんなんだこの国は。めちゃくちゃ遠い8番入り口に回すなんて。言い返す元気も語学力もないので、へとへとになりながら8番入り口を目指す。先ほどの二の舞にならないように、まずは母から。すんなりと通ることができ、なんなんだ一体とどっと疲れる。インドについて45分あまり、洗礼を浴びたのだった。
乗り換えがまた大変だった。広すぎるデリー空港。異国への緊張感から散策する元気もなく、搭乗口に座り込んだ私たち家族。だが、待っても待っても、誰も職員が来ない。「遅延なの?」よくわからないまま待つ。こういう時のインド人は偉い。のんびりと自由に待っている。日本ならクレームものだな、、、と人種の違いや自分の仕事のことを考えて頭が痛くなる。ようやく飛行機に乗り込む。搭乗口で「プレミアムエコノミーにアップグレードしたよ」的なことを言われる。嬉しいけど、また緊張してしまうので正直勘弁して欲しかった。エアインディアのプレミアムエコノミーの座席はゆったりとしていて、やっと寝つけそうだった。と、安心したのも束の間、なにかのメニューが配られた。え、嘘でしょ。目的地まで1時間半しかないよ。そう、機内食のメニューだった。
眠ってやり過ごそうと母と打ち合わせる。弟は食べる気満々だった。若いな。飛行機が飛び立ってすぐ、眠るふりをする間もなく本当に眠ってしまった。しかし、刺激的なスパイスの香りで目が覚めた。23時すぎの飛行機なのに、カレーの機内食がでたのだ。インド恐るべし。弟が母と私の分の水をもらってくれて、それだけ飲んだ。カレーを食べる弟を横目に見ながら、とんでもないところに来てしまったのではないかと1人で考えてしまった。
アーメダバード空港には0時すぎに到着した。空港の内装は木を使っていてとても可愛らしく、スタバもあってなんだかホッとした。荷物をピックアップしてから、空港に迎えに来てくれた父と合流した。父は運転手さん2人と来てくれた。「ようこそ、インドへ!」この言葉をこの旅では何度も聞くことになる。
弟は母と、私は父と車に乗ってホテルへ向かった。車の窓から見るアーメダバードの街は想像を超えていた。コンクリート剥き出して今にも崩れそうなビル。道路の脇に大量に捨てられたゴミ。焚き火する子ども、大人。走りまわる野犬。物売り。路上で寝る人。ポツポツとではなく、ずーっとその景色が続くのだ。しかも車はどんどん奥に入っていく。本当にホテルあるの、、、?不安的中、運転手さんはもう1人の運転手さんに電話し始めた。適当に走ってたんかい。もう一台と合流して、再びホテルへ向かう。合流してもらったのにやたらパッシングするのはなんでだろう。
なんとかホテルについて、部屋で1人になったら急に不安になってしまった。こんな凄まじい国になんでノリできちゃったんだろう。もっと準備してくればよかった。1人の部屋は寂しい。大丈夫大丈夫と言い聞かせながらお風呂に入って眠った。あまり眠れない夜だった。
続く。