見出し画像

ちっちゃなわたし。

最近思ったことを記録として残しておきたい。


 


この4月から我慢があまりできない人間になった。


ちゃんというと、言動を止めようとさせるフィルターがかなり薄くなった。


 


 


 


皆さんはアダルトチルドレンという言葉をご存知だろうか。


 


アダルトチルドレンは、子ども時代の家庭環境や親の行動、例えばアルコール・薬物依存、心理的・物理的虐待、感情的ネグレクトなどに起因する心の傷を持つ大人を指します。彼らは、過度な自己責任、自己否定、難しい人間関係、依存性、感情のコントロールの困難などの特徴を示すことが多い。これらの問題は無意識のうちに形成され、大人になっても影響を受け続ける。 アダルトチルドレン| 大阪メンタルクリニック・梅田院


 


高校生のときに授業で自分の内心と向き合おうというテーマで、様々な設問に答えると傾向が見えるという診断系のプリントをしたのだが、そのとき異様に数値が高かったのがこのアダルトチルドレンの項目だ。


そのプリントには家庭環境等の原因については触れられていなかったが、過度な自己責任、自己否定、依存性があるといったところに納得がいっていた。


学生時代、ふと思い出すように数年おきにそのプリントを改めてやってみるものの、数値の変動はあれど必ずアダルトチルドレンの数値は顕著に高かったのだった。


原因について1番に挙げられている家庭環境や親については否定したい。家庭環境には大変恵まれていた自覚があり、いざというとき助けてくれる自慢の両親だった。


ただただ幼少期の自身がもともと引っ込み思案で、保育園のとき流行っていたセーラームーンごっこで本当はセーラームーン役がやりたかったのに、他の子がやりたがっているからと何も言わずにあたかも初めからその役がしたかったかのように他の役を選ぶような人間だった。昔から先生の言う事を聞くことが一番認めてもらえることだと信じて疑わず、迷惑にならないように先生に話しかけに行かないものの、ずっと話しかけたいような都合のいい優等生だった。


 


だからこそ、友達でない同級生にはかなり都合のいいようにされていたと思う。


 


小学校という幼ない私にとっては社会の全てだった場で数多くの「死ね」「1週間位内に殺す」の言葉と物を隠される等の行動を毎日まいにち何回も受け取る中で、自身は生きる価値のない人間だと嫌でも自覚するようになってしまった。


 


これが大学生になるまでずっと引きずることになった自己否定の原点だと思う。


 


そして内側にはそういった負の経験や感情は蓄積されているようで、道化を演じればこんな私でも人から好かれるかもしれないと、慣れないおふざけキャラを少しずつするようになった。


 


このおふざけキャラが気付けばそのまま今の私のキャラにもなっているし、楽観的に物事を考えられるようになったので長い目で見ればよかったとは思うものの、前述した自己否定が続いた大学生までの間の外面と内面の思考の歪みの原因になってしまっていたと思う。


思考の歪みがどんなものかというと、


①ピエロなので変なことを言ったりやるのだが(楽しんでやってることが大半)何でも言っていいものと勘違いされて高校3年生で「宮乃はサンドバックにしてるww」と対面で言われたこともあるくらいなかなか酷いことを言われてふざけて軽口で返すものの、内心かなりダメージ喰らって帰宅してから泣いたり激しい自己嫌悪に襲われる


②平常時は軽い気持ちで物事を考えられるようが、1度気持ちが塞がってしまうと全てのことが辛くなり、今までどうしていたのか全くわからなくなる→ミスする→また落ち込むの無限ループに突入する


③なのに、なにかしら自分に言い聞かせて誇れるもの( ex)保育学科にしては偏差値いい大学、絵の上手さ、動画編集、貯金額)がないと存在する理由を見出だせず、他者と比較して落ち込んでしまう


というものである。


 


そんな相反するものを抱えているため、当時の自己肯定感というのは息を吹けばティッシュのように飛んでしまうくらいペラペラなものだった。


詳細に書くと、他人に評価されることで自己肯定感をあるように錯覚できていたため、悪いことが起こると自己肯定感はないも当然、自分の全てを否定される感覚になってしまうのだ。


 


当時の思いに近くて、辛い気持ちを吐き出しているものがあったので貼り付けておく。


miyano005.hatenablog.com


 


 


そんな弱さも大学生になり20歳を目前に友人等のおかげで少しずつ癒えていき、依存するコミュニティが増えて少しずつ自分の足で立てるようになった。


 


社会人2年目までは何度か存在価値を見いだせなくなり苦しいと家で泣いたこともあった。


 


社会人3年目で外からの刺激(攻撃)にぼかしフィルターをうまく調整できるようになり、ぼかしをつけるところとつけないところを分け、自分の気持ちと少し向き合うことができた。


プライベートで大爆死☆傷心したときも


『ほらいったじゃん』


『素のわたしは人に受け容れられないんだって』


『なに期待してしまったんだか』


と”あたかも私は最初からうまくいくなんてわかってましたけどね??じゃあ仕方ないよね”という予防線を張りながらも、時間に身を委ねた。


 


今年。社会人4年目。


転職をした。


詳細は過去記事にも書いたが職場の人が本当に優しく、つい先日も上司らと先輩が「どすこいさんに頼り切りでごめんね」「どすこいさんが来てくれて本当に良かった」「NO,どすこい NO,LIFE!!!!」「これでどすこいさんが異動になったら本部の前でデマ行進するぞ」と笑いながら言ってくれて爆笑した。


あんなにも仕事ができない、ポンコツだと言われ続けて自信を失った前職場が信じられないほど暖かくしてくださり、保育士という仕事を選択したことを4年目にして誇れるようになった。


友人以外に情じゃなくても受け容れてもらえるんだと嬉しくてたまらなかった。


 


そして、初めて彼氏ができた。


お付き合いが始まった時、少しずつ好きになっていく反面傷つくのが怖くて『好きなのは私だけなんじゃないか』『私のほうが好きの気持ちが大きくなっているに違いない』『こんな好きになってしまって、チョロいと思われて適当に扱われるだろう』と思う自分がいた。


結婚している友達とその旦那さんに対して、好きな思いを全面に出している自分が嫌だ、だって簡単な人間だと思われて適当に扱われるに違いないし、傷つきたくないと軽く相談をしたこともあった。


 


 


でも、彼が「好きだよ」とたくさん言ってくれる他、彼の言動も、感情も表情も本当に私のことが好き&好きな人にするものだなって嫌でも伝わってきて、それが本当に嬉しくて身構えるのを自然と放棄していたのでした。


 


 


 


もともとまさマサラダさんの『ちっちゃな私』という曲が好きなのだが、この曲についているコメントをこの間ふと思い出した。


 


うちの母親が「子供はマトリョーシカみたいに大人という殻を一つずつ纏っていく。でも真ん中にいるのはあの頃の小さかった我が子。だからいつまでも可愛い。」って言ってて──(以下略)




www.youtube.com


 


ここまでの文章でおわかりいただけるように苦しい思い・経験を覆い隠すように道化を演じて隠し通した過去が長く、かつ自身のことが20歳頃まで本当に嫌いで嫌いでたまらなかった。


自分は人からぞんざいにされて当然の人間だと思っていた。


馬鹿にされることでしか自分の立ち位置を守れないと思っていたから、反論もせずヘラヘラ馬鹿のフリを25歳になってもしていた。


好きな人の特別にはなれなくて、追いかけ続けることしか自分には選択肢がないと悟った。



弱いよわい私を認めてくれて受け容れてくれる人をずっと求めているようなチビだったと思う。


 

今年度になってからの転職で馬鹿にされずに信頼してもらえるようになって、嬉しかった。


こんな私を認めて受け容れてくれて、「かわいい」といってくれる特別な存在の彼も隣にいてくれるようになった。


色々と恥ずかしくて認めたくない自身が出てくるようになったが、でも彼といるのが本当に嬉しくて、そんなことをする自分もちょっと好きだったりもする。



コメントを思い出して曲を聞くと、ふと小さな自分がにっこり笑っているような気がした。



癒えるかわからなかった青年期まで育んで誰にも見せないようにしていた大きな負の遺産がやっと「そんなこともあったけど、でもいま楽しいからさ」と話せるようになってきた気がする。


 


今回の記事を書くにあたり、久しぶりに前述の高校のときのプリントをやってみた。


突出して高かったACは数値が半分くらいになり、1番低かったFC(フリーチャイルド、自由気まま)の数値がかなり高くなっていた。


初めてした10年前と自分がかなり変わった。

 


過去の「死ね」「今日もブサイクでちゅね」「馬鹿じゃないの?ww」「殺す」「頭使いなよww」といってきた人たち。上履きを執拗に隠した人、大切な手帳と教科書を高校生になってまで隠して且つ手帳の中身をメールで馬鹿にしてクラス全員に送信した元友人。そっちが勝手に被害妄想で無視して嘘を流布して高校の卒業間近に私を孤立させてクスクス笑っていたクソ元友人etcetcetc…!!!!!!(他にもありすぎる)


 


その1つ1つに深く傷ついてたくさん泣いて、でも迷惑かけたくなくて親にあまり言わず、そして当時手が掛かるからと大事にされていた妹をみてうらやましく思っていた幼い私へ


 


 


25歳になって、やっと本当に手離しで素直に信用して関わっていい職場のひとたち、そして心が純粋で優しくて面白くて友達みたいに馬鹿なことして笑い合ってでもここぞというときにかっっっっっこいい大好きな人の特別な1人になれたよ!!!!


 


迷惑かけないように、機嫌を悪くしないように…と考えないで、自分の意見やワガママを言っても前向きに考えてくれたり、ニコニコ笑ってくれる人たちに囲まれてるよ!!!!


 


わたし、生きていて楽しいよ!


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?