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後厄と、断捨離と。
1月28日に42歳になった
世間様では節分までに厄払いに行くものらしいので、誕生日を迎える少し前に済ませてきました
早生まれなので、去年まで誘い合わせていった同級の友人は今年は厄払いしないため、一人で行かねばならずぎりぎりまで先延ばししてしまったり
正月に1個下の親友と明日お祓い行こう!といってたのに結局朝まで飲んでいきそびれてしまったせいもある
腹痛でトイレにこもった時以外は神様を思い浮かべることがない
薄い宗教観しか持ち合わせていないけれど
ここでいかずに何かあったら「あの時ちゃんとしなかったから」
そう思うことが1番嫌なのでお祓いをしてもらった
厄払いは数え年で受付をするため、昭和58年生まれの僕は43歳らしい
・・・まぁまぁな衝撃をうける
まだ戸籍上41歳なのに飛び級してあなたは43歳だよと言われましても不意打ち過ぎます神様! アーメン!
40になった時、年齢はちゃんと40と思っているのに
ふいにアンケートで「40~49歳」とチェックボックスが出てきて
「あぁ、自分は40代なんだと」と思った時と同じ衝撃と似ていた
兎にも角にも不意打ちには対応できないお年頃
そんなこんなで3度目の厄払い
僕のお参りしたところはお祓いを数人まとめて行われる形式で
途中にフルネームと住所を読み上げられるので「個人情報!!!」といらぬことを思ってしまう
なので隣に座ってる兄ちゃんは41か~ 遠くから来たもんだね あと2回お祓いだねー僕は今回までだよなんて思ってたので
ご利益があるかどうかは疑問である
さて、数えで43歳
「もしかして人生折り返してる?」というのを40歳になった時には思わなかったのにこのタイミングで自覚
年末の大掃除では片づけ終わらなかった我が家は
厄払いに行った休日もちょうど模様替えの真っ最中で
物が多すぎるなと感じている時でもあったのです
どこか自分が20代であるかのように思っている節があるのは
いつまでもかわらず持ち続けている物のせいかも知れない
人生折り返しでこのままため込んでていいのか
これは今の自分に必要なものなのかと思い立ち
断捨離というものをしてみている
僕は捨てられないのではなくて物持ちがいいと言い張ってきたのですが
ちらほら、いる? これ? というものが
ケーブル類なんて何十本とあり、そのくせ必要なときになかなか出てこない
こういうものは躊躇しないけれど
手が止まってしまうのが「服」
10代のころから服が好きで、高校を卒業して初めてアルバイトで稼いだお金を持ってハイブランドのセレクトショップにどきどきしながら行き
ため息が出る値段の服を買ったときから服を捨てられなくなっている
当時学生という身分で、自分は何ができるのか
どんな仕事をしたいのかもわからず、ちょうど就職も氷河期時代だった
そんなとき服の力は偉大だった
何者でもない自分がハイブランドを身に着けているとちょっと自信が持てた
ショップ店員からすればカモでしかないかなかっただろうな
親元で生活費がかからないから買えた服
まがい物のお金持ちだったけれど
いつか大人になったら 余裕をもった本物としてここにきたいと思ったものだった
今でも大切にきている当時の服は今のファストファッションとは違いしっかりしていて生地の質も段違い
あれから20年たっても着れるのでコスパがいいとしか言いようがない
しかしながら、さすがにデザインや若さ的にもう着れないなというものもある
その最たるものが当時頑張って買った「jean paul gaultier」
教会のタイルを模したと当時店員に説明された柄は今でもお気に入りで
お気に入り過ぎてデザインと色違いで3着ももっている
それはいいのだこの先穴があくまで着るから
少々困っているのがオレンジのピッチピチで100m離れても目を引くパワーネットのロンT
着れないけど捨てられない象徴 Tシャツに4万円もかけたのだから
現在、家庭のある身としてはTシャツにそれ出すならまず他に…となるので
若いときならではのお値段
ハタチの頃通っていたデザイン系学校のパンフレット撮影にあたり
デザイナーっぽい服を着てきてといわれ
服飾デザイナーでもないのに意気揚々とゴルチェを着て行って ほかの人は地味だと衣装に着替えさせられるのに
それ以上に衣装っぽい服を着ていた僕はそのまま採用という思い出もある逸品でもある
たとえ古着屋に売っても当時の値段なんて知る由もなく
経年20年ともなれば100円つくだけでも御の字かもしれない
とはいえ100円なんて許せない せめて5,000円はしないとと思うと
ヒートテック程度しか場所を取らないこの服はいつまでもタンスにいるのだ
手放すならこれは価値がわかる人に着てほしい
なのでヤフオクとかに出すのがいいのかもしれない
デザイン違いのおんなじ生地のがネットで47,000円で売られているのを見るとやっぱり簡単に手放せない
断捨離のコツは1年以上着ていないものと3秒で判断できたもの
5秒以上迷ったものはとりあえず残すというのがセオリーらしい
ゴルチェのロンTは5秒をはるかに超えて悩んだので比較的何とかしやすそうなアウター類に目を向けてみる
断捨離をしなきゃなと思い立ったのは模様替えもあるけれど
ついついこの冬2着目のコートを買ってしまったから
ちなみに1着目はまだ着ていないのにあと1か月もすれば冬も終わる
他にも着ていないコートはたくさんあって
1、2度しか着なくてZOZOの買い取りに出したものの値段もつかず
もう1度手元に戻したコートとこれまた1、2度しか着ていないコート
どちらもサイズが少々タイトなもの
売っても値がつかない、ほぼ着ていない、けど物理的に着れない
僕はこの服にきっと申し訳なさや罪悪感を感じていて捨てるという行為ができないでいた
そしてついにこのコートを人にあげてみることにした
小柄な同僚にためしてもらったがやはり少しタイトだったので
職場で中・高校生がいる人に差し上げた
めっちゃ喜んでた
そりゃそうだ1着3万はしたもん
捨てずにあげたことで価値が保全された気もするし
後ろめたさもなくなり感謝もされるしマジですがすがしい気持ち
断捨離の本には大事にとってある服は着なさいとあった
着れる時期(年齢)はあるし
たくさん着たと思えば処分してもいいと思える(完全燃焼的な)
スピリチュアルの観点だとそれを着るのに自分はふさわしくないと思っているのと一緒なんだと
はっとした
20代の頃買ったハイブランドの服は着てたのに
1着目のコートは着ていない
なぜって着てないコートは12万円
ちょっといいレストランとか、冠婚葬祭とかそういう時に着よっかなと思って…
昔30万オーバーのコートを買ったこともあったけど
管理が甘く結局処分する羽目になったことがあり
せいぜい5万程度のコートを着るようになったので
いつもの倍すると日常使いにはためらっている
なら着るのはそれいつだよと
冠婚葬祭 冬限定かよと思ってみたり
年に1回しか着ないつもりなのか?と
スピリチュアルだと12万の服を着るに値しない人間ってことか
20代は4万のTシャツ着てたのに?
ってことで会社に着ていった
車通勤でドアtoドア
車から10秒も外に出ない
でも12万のコートを日常使いしてる自分になった
中にはカシミヤのセーター
わぁ、なんか大人じゃん
あの頃目指してた自分は今なのかもしれない
中身全然変わってないし、稼げてもいないけど
少なくとも私服通勤で、死ぬほど嫌だった黒髪スーツ勤め期を経て
好きな仕事をしているのだから
帰ったら、また今の自分を見つめるために断捨離をすすめよう
人生折り返しだしね
捨てたら今必要なものが買えるしね
またすぐ買うことになってもそれは最新式になるってよくない?といいきかせて
そうおもうと15年もののペンタブレットまじでいらないな。。。