知ってる? 鎮痛剤のシャワー
クソみたいな罵声を浴び、もう関わり合いになりたくないから我慢するとか、クソみたいな扱いを受けても我慢するしかない状況。醜い言葉を言うと、クソみたいな気持ちになっていると、自分に返ってくる。つまり、俺は大抵、憎しみか虚無。みっともない話。
日々は嫌な記憶と虚しさ。だから気がおかしくないとやってられない。お金や友愛がある人はそれでどうにかなるだろうけれど、俺は持ち合わせがない、だからせいぜい展示に行くしかないのだ。
でも、ずっと行きたかったんだ、東京都美術館で行われている、奇想の系譜展。辻惟雄の本はとても好きなので、見るのが楽しみだった。ただ一つの懸念は、混んでそう。それだけ。
平日の昼に行ったので、思ったほど混んでいなかった。年配の方が多かった。そのせいか、少しぶつかっただけで「ごめんなさい」と三回も言われた。普段は肩がぶつかってもシカトの世界にいるから、なんだか会場の人達の礼儀正しさというか、ちょっとした気づかいに不思議な気持ちになるのだ。
展示は、本当に良かった。若冲の画の前に立つと、比喩や誇張ではなく、憎しみと身体のいたみがすっと軽くなったんだ。圧倒的な作品に触れると、もう、そのことで空疎な身体が満たされていくのが分かる。
トップバッター。いつの間にか大人気、の伊藤若冲、何度見てもやはりすごいなあという感慨がわく。「像と鯨屏風図」はさすがの迫力と、白いゾウのふっくらとした質感が面白い。
カラー作品もすごいけれど、墨画のすごさ。「石柘榴雄鶏図」なんて、鶏の勇ましい表現、柔らかな毛と力強い毛の対比、筆の墨のさらりと描く表情の力強さがたまらない。モノクロの、余白のある美しさと力強さを味わえる。
「虎図」めっちゃよかったーマジ欲しいー。虎の立派な体躯とふわふわした毛の質感、顔の怖いような愛らしいような表現。素晴らしい。虎の持つ愛らしさや恐ろしさがとてもよく出ている。素晴らしい。いやーほんと好きだ。生きている虎、というよりも妖怪じみた表現で、しかし体毛や体躯の存在感のうまさで、虎としての実在感、説得力があるのが素晴らしい。
曽我蕭白は「唐獅子図」がよかった。もわもわとした墨画に浮かび上がる力強さ、その迫力が良い。少し離れた位置から全体を見ると、その良さが分かる。
長澤芦雪は「白像黒牛屏風図」が良かった。図版で見るのとは全然違うーってのが、実際に展示で作品を見る楽しみの一つだと思うのだが、大きな作品を見られると、その迫力に圧倒された。牛や像の肌の質感、重量感がどっしり、としていて圧巻。対照的な小さな動物や白と黒の対比も、ベタながら効果的だし、何より、大物の存在感が良い。
狩野山雪の「梅花遊禽図襖」は、前に本で見た時もすばらしいなあと思ったのだが、実物は段違いですごかった。あーみられてよかったマジ。うねる怪物のような奇怪な老梅の気味悪さ、樹木でありながら生々しささえ感じられるその生命力、すさまじい美しさだ。老梅を彩る、猛禽も楚々とした花々も、素晴らしい。大胆でありながらすっきりとまとまっている構図も美しい。本物を見られて良かったと心から思えた。屏風絵とか襖絵とか、大きすぎるのはどうしても図版では伝えられない部分が多いからなー。しゃーないけれど。
白隠慧鶴 。俺のパソコン君、はくいんけ まで打つとサジェストで「吐く陰茎」って表示されたんだけど、悪趣味すぎるだろ。これは持ち主が悪いな。
ってかさ、俺、正直この人の画、あんま好きじゃないんだよね。一見下手に見える味、みたいなのが、よく分からない。いや、分かるけれど、好みじゃない。でも、墨画「達磨図」はさすがの存在感だ。好きじゃないけれどすごいなーって思う経験って、中々いいことだと思うのだがどうだろう。
歌川国芳はとても好きなのだが、浮世絵の良さって、手のひらで持てるサイズ感の中にあるダイナミズムという感もあり、この中に並ぶと何だか小粒な感を受ける。いや、好きなんだけどね。「牛若丸の鯉退治」が特にいいかなー大胆な構図と野蛮な極彩の魅力。国吉は猫の画もほんと好きなんだよね。生き生きした猫も人間のおっさんみたいな調子乗ってるひとまね猫も、どちらもほんとキュートだ。
展示はほんとに良かった。建物の構造上、途中にエレベーターがあるから前に戻れないのだが(こんな展示で前に戻ったら混雑で人殺しが出る)、終点でまた最初からまた見たいと思えるような、幸福な時間だった。
図版は、展示の本物を見た後だとどうしても見劣りしてしまうから、欲しいけれど買えないことがしばしば。ただ、ポストカードは十枚も買ってしまった……これ、買った後で家にたまるそれを見るのが楽しくも虚しいんだよね。一番欲しかったのは国芳猫グッズかな。こんなかわいいの、全部欲しいよ、でもさ、俺の家かわいいものが溢れていてかわいいの墓場なんだ。君は小奇麗で清潔な家に似合うよ多分。
美術館から出て少し歩いて、上野から御徒町、秋葉原。いつものようにショーケースの中の少年少女、或いは彼らの遊び場はいつも輝かしく、でも俺はそれらが欲しいのか欲しくないのか分からない。
美術館に行くと、誰かの豊かな作品に経験に触れると、比喩ではなく浄化されたような心持になる。でも、俺には明日からの生活が続いていってしまうから、少しずつ自分の身体から湧き出る憎しみ悲しさ虚しさ、とかを根絶するのも治癒するのも困難だから、歩きながら目隠し。
こんなことが好きではないのだけれど、俺には俺の鎮痛剤が処方箋がある。
帰りの電車で高峰秀子のエッセイを再読。俺とは様々なことが違うのだけれど、一生懸命に生き抜いた人、ユーモラスで意地っ張りで覚悟を決めた人の生きざまというのは、いつ読んでもいいものだ。普通の感覚で言うと、大映画女優高峰、なのだが、彼女の一歩引いた感覚と言うのはとても好きで、この人が自分のことを凡人とか言う、その感覚が好きだ。卑屈や謙遜からではなく、プライドと何かを成し遂げた人に生まれるかっこいい生き方。
苦しんでいた誰かがいるなら、馬鹿なことをしていた誰かがいるなら、もう少し目隠しをめまいを、その方が悪くないんだって、誰かの素晴らしさが愚かさが鎮痛剤。
LOVEさりげなく
魔法の天使クリーミーマミ、見たことないけど。この曲の、アイドルーって感じの歌唱力より甘いボーカルで勝負って感じと、ギターのうなりすぎ、うますぎ感の相性の良さ。
俺、このこの頃のアニメ画好きなんだよね。八十年代原色ぬりましたー的な、ハイラトあんま入れない感じの(逆に九十年代てかてかプラスチック過剰ハイライトも好きだけど)。なんだかドリーミーな感じするんだ。
俺、ロリータ少女を描くのが超絶うまい今井キラがとても好きなんだけど、彼女の画も平面なとこが魅力だと思うんだ。立体というよりかは、現実感が薄い、しかし繊細でちょっと怖くてキュートすぎる女の子たち。漫画とかアニメではなくて、物語のポストカードのイラストレーションの中にとじこもる女の子って感じの表現がとても好きだ。手に入らない異世界の少女。
80年代のアニメ画の方が、今のそれよりもリアルな感じがうすくて、何だかファンタジーな感じがするんだ。俺が世代ではないからかもしれない、ただそれだけかもだけど。
らんま1/2 じゃじゃ馬にさせないで シャンプーバージョン
この曲を久しぶりに聞いて、あ、俺小さい頃シャンプー好きだったかもと思い出した。声やしぐさがかわいすぎる。てか、これ声優さんがキャラ声で歌ってるのうますぎるなー。下手でも声量なくてもいいから、キャラ声で歌って欲しい派です。歌がうまい声優がキャラソン歌うと、あ、本人歌唱だ、とか思うことがたまに(それでもいいんだけどね)。
なんか昔のアニメみたくなったなー明るくてパワフルでめちゃくちゃでちょいご都合主義な、見ると元気出るやつ。
って、ことでアマゾンプライムでシリアルエクスペリメンツレインのアニメ見始めました。ゲームと違って分かりやすさがありつつ、不気味さもあっていいねー。全部見たら感想書こうっと
Lain opening [Full]