先生もっと恥をかいて下さいよ
文化村ギャラリーの、 アングラ時代のポスター展を見る。 副題が1960~1970年代 反逆の潮流 という題で、その名の通りけばけばしくいかがわしくとても好みだった。
でもさ、会場でグッズ販売されてるのは宇野亜喜良なんだよね。俺、彼の画をなぜだか夢中になれない。センスが良くてエロチックでアンニュイ。なんだけど、個人的にはそんなにぞくぞくしない。くさしたいわけではない、俺、もっとラリってるのとか下品なのとか、好きだ。
ラリったポスター、赤瀬川源平が描いたのはどれも素晴らしい。漫画雑誌のポスターで、虎がヘルメットかぶって背中には昆虫の羽、しっぽは魚で手には鎖に重りがついた武器持ってる。勿論全体の構成込みで素晴らしいのだが、このキメラだけでもすごいインパクトがある。
会場の中で、平野甲賀と大友克洋の与太浜パラダイスという演劇か何かのポスターがお気に入り。ろくでもなさそうな四人の男と、背中を向けた女性のポスター。大友ってアキラというか、超絶技巧とメカと爆発、ばかり語られてるような気がしないでもないんだけど、俺はろくでもない若者の青春を題材にしている彼の漫画好きなんだ、ツラがいけてるわけでも男前なわけでもないけど、さえなくてくだらなくてつまらない日々、ちょっとかっこいい、時もたまにある男たち。
平野甲賀のポスターは、どれも良かった。インパクト(魅力)があるということ、そしてすっきりして(情報がきちんと)見えること。この二つを両立するのってとても難しいことだと思うんだけれど、彼の装丁、デザインを見るとすごいなーって思うんだ。
会場のポスターはシルクスクリーンで十万~二十万。来世の来世の来世で買おうと思う。その代わり、本でも読もう。
平野甲賀の本も、大友の本も、家のどこかにあって、見つけられないけど。
それ以外、体調が悪くて、大体ベッドの上にいた。ベッドなんて全然好きじゃないああ外に出たい家に帰りたい。何もできないって、ストレスをためない生活って、なんのことだ? きちがいの生活? 千年王国ってまだ来ないんですけれど。
したくないけれど、自分で書いた小説を読み直す。病気が悪化する。なんでこんなの書いてるんだ読まなきゃならないんだ、書いた奴誰だよマジ眼球にアロンアロファ一滴落としてまちばりさしてぐりぐりしてやりたいよ俺、こんなんじゃなくて、なんか、ほら、ええと、そうだ。ドラゴンとすやすや寝る漫画とか描きたいよ、青少年に有益なものを。
でも俺ドラゴン持ってない。それにいざ俺がドラゴン漫画書いたら、きっと登場人物の誰かの気が狂うか死ぬ。やめてくれよ俺、健康になりたいんだほんとだよ。
魔が差して家にあるぬいぐるみをベッドにのせてみた。撮ってみた。かわいい。
人間もすなるインスタといふものを、俺もしてみむとてするなり。
という気分で、インスタ映えするように物を足してみた。ちなみにインスタはしていない。
地獄じゃね。画像が小さい上に荒いのが貧乏くさい。上の写真と比べると、ダンボとティガーの顔が下を向いていて辛さが増す。ああ、もう辛い辛い辛いから読む太宰治『愛と苦悩の手紙』
よくある文豪の書簡集。死んでからも「作家だから、アーティストだから、芸能人だから」恥をさらされるなんてひどいね。俺、プライベートな日記や手紙好きだけど読むけど。
太宰治って、わりと過剰に小馬鹿にされるか称賛されるか、みたいな印象があり、それは三島由紀夫もそうだと感じることがある。学生のころから、たまに、彼らの本を読む読み返す。たくさん書いているのだから、そりゃあ質のバラツキと言うか、まあ、これはどうか、というのもちらほらあるのだけれども、それでも優れた文章を書く人だ。大好き、ではないのだけれど、安心するんだ、彼らの端正な、或いは熱意のある文章。
この本も太宰の手紙は、まあ、ひどい。情けない。太宰の人柄って褒められるようなものではない、ってファン以外は思っているだろうけれど、それにしてもだ。つまり読んでいてほっこりする。俺、やべーけど太宰先生もだせーからいいか、等と。しょっちゅうしている金の無心とか小心者丸出しの甘えももひどいのだが、中でも俺のツボにはいった、いや、ほっこりした文章。
或る日の友人への手紙。
医者はぼくを脳梅毒じゃないかと言って、ぼくに「ばかやろう」とどなられた。ぼくはたしかだ。ときたま、強いヒステリーに襲われるだけだから、安心せよ。それもだんだん涼しくなるとともにおちついてきた。このあいだ古谷が来た時には、ぼく、少しあばれて失礼した。
格言
一、ぼくたちは、男と男とのあいだの愛情の告白をどうどうとなさなければならない。(中略)
もっとおもしろい手紙を書くつもりだったが、頭ぐあいあしく、失礼する。怒らないでくれ。この、ニセきちがいの手紙に返事をくれないように。このあいだ、山岸外史がぼくの手紙を批評したりなんかして、ふたりともひどいめにあった。ぼくをそっとしておいてくれ。そっと人知れず愛撫してくれたら、もっと、ありがとう。
このごろ、よく泣く。
ぼくはいま、文章を書いているのではない。しゃべっているのだ。口角に白い泡を浮かべ、べちゃべちゃ、ひとりで喋り通しだ。
千言のうちに、君、一つの真実を捜し当ててくれたら、死ぬほど嬉しい。僕は君を愛している。君も、ぼくに負けずにぼくを愛してくれ。
必要なものは、叡智でもなかった。思索でもなかった。学究でもなかった。ポーズでもなかった。愛情だ。蒼空よりも深い愛情だ。
これで失礼する。返事は必ず必ずいりません。ぼくをそっとしておいてくれ! 治拝
ちなみに後に別の人への手紙では、「私は、好きな男であればあるほど、じゃらじゃら馴れ合うのがきらいです。あなたも、そうであろう。お互い、男だ」と結んでいる。やべーな。太宰先生さすがやで。
しばしば、感情が死んでいると思う。自分がもっと苦しむとか恥をかくとか考えると、もう、投げ出したくなるのだが、それでも愚かでいなければならないし反知性主義で居直ってはいけないと思う。つらいな。でも、結局の所自分がそういうのが好きなんだよね。豊かでいたいんだ、俺。
ほっこりをありがとう太宰大先生。俺もまだまだ恥を書きますいいやそんなのは嫌だ、けどさ、世界にやばい人がたくさんいるんだって思ったら、ふっと、気が楽になる。楽しい。愚かな矛盾がキュートだと思えますように。
Attends Ou Va-T'En 涙のシャンソン日記 / France Gall
私のそばに居るのそれとも行ってしまうの でも泣かないわ
私のそばに居るの、遠くに行ってしまうの
このそばに居るのそれとも行ってしまうの
私を困らせないで 行って さもなければ私のそばに居て
この曲すごく好きなんだ。歌詞も曲も最高! さすがセルジュ!
私を困らせないで 行って さもなければ私のそばに居て
なんてこと、恋したことがない(というていの)ティーンのかわいい子に歌わせて欲しいよ、みんなに。
太宰は女性を描くのがとてもうまいと言われていて、俺もそう思う。それは実際の(今の時代の)女性とは違うかもしれないけれど、彼の『女生徒』『皮膚と心』といった、ぐねぐねとねじ曲がって、色々と矛盾しているようだったり感情の起伏が激しくも、どこか芯がある、いじらしい人間の心情を表現するのは一等うまいと思うのだ。それは、彼が周りに迷惑をかけていたとして、ずるく、小心で、口が悪く、見栄坊で、甘えん坊で、しかし、真摯な人間であったからだろう。
人の自分の悪い所なんて退屈な所なんて探せば探すほど出てくる、けど、たまには目を閉じて、今以上に愚かになって忘れて。