まぼろしに目を見開いて。
新しい仕事で、帰ったらへとへとになって、頭を使う本なんて読めない日々。前に進むというよりも、ひたすら我慢してしのごうとする日々。そんなのがいいなんて思えないし、嫌でたまらなくって、逃げだしたくなる、逃げてばかりの俺の人生。
楽しいのは、きっと本の映画のカンバスの中の世界だけ。
なんてことを感じてしまう。間違ってはいないかもしれないけれど、生活をないがしろにしては、何も進められない。ただ、疲労に負けて過ぎ去る日々。
でも、先日半年ぶり位に美術館に行った。それだけで、少しだけ自分の気持ちに変化を感じた。
混んでない。嬉しい。三菱一号館美術館『画家が見たこども展』に行く。ボナール、モーリス・ドニ等ナビ派の画家達の作品が多い。単純化した表現で、こどもの魅力を捉える。ジョルジュ・ラコンプ 木彫りのシルヴィの胸像 がとても良かった。赤木に少女の生命力を感じる
展示で見られる作品は、子供というテーマで集められたからか、身近な存在への温かい眼差しを感じるものが多かった。誰かの作品を目にすると、気持ちが軽くなる。誰かの力が、俺にも流れ出すような心持になるのだ。
画集で十分なんて感じるものもあるけれど、やっぱり現物を見るのって大切なことだ。情報量が違う、ということ以上に、誰かの熱情の結晶、作品を見るって大切な機会だ。
ずっと、コロナやら金欠やらで外(のイベント)に出られなかった。ずっと辛さだけがたまっていって、駄目になるのかなあ、誤魔化さなければなあ、ってそれだけの生活。でも、美術館とかに行ったり、誰かに会わなくっちゃ。そうやって、まあ、悪くないんだって思わなければ生きていてもしかたがない。
雑記。最近は軽く読める本ばかり読んでいた。感想を書く必要も感じない感じのばかり。でも、それでも本は本、読書は読書だ。本がない生活なんて、怖くって考えたくない。
『まぼろしの奇想建築』読む。構想されながらも幻と消えた建築の数々を紹介。建物や都市を作るのは途方もない金や時間がかかるから、個人の力ではどうしようもないこともあるだろう。実際には作られなかった風景だが、それは実在の建築のイメージや、漫画映画の中で生きている。永遠に未来の風景。
『ディック・ブルーナ ミッフィーを生んだ絵本作家』読む。アーティストを志しながら、デザイナーとして働き、才能を開花させたブルーナ。マティスのドミニコ会修道院のデザインに強い影響を受けたという。紙の切り抜きというシンプルな手法。ブルーナの絵本も、人に伝わるセンスと暖かさがある。
高峰秀子 松山善三『旅は道づれ雪月花』読む。一線で働き続けた二人が老年に入り、のんびりと豊かな旅行をする。美術館で絵を分からないという人に、高峰がピカソの引用をする。
「すべての人が、絵画を理解したがっています。それではなぜ、小鳥の歌を理解しようとしないのでしょうか」
YouTubeのオススメに出てきたので、公式の少女革命ウテナの1話見た。すごく良かった。切り絵のような作画は全然古く無くて、異世界感が素敵。十年以上前に漫画読んでサントラもiPodに入ってるのにアニメ見てなかった。絶対運命黙示録って1話から流れるのか!って、なんか変な感動をしてしまった。
『世界の鉱物・岩石・化石・貝大図鑑』読む。写真が多く、見開きごとに一つのテーマ、鉱物を紹介していてとても分かりやすい。サファイアの小石、ジェードの埋葬服、アメシストのバスタブ、琥珀の象……見ているだけで物語の世界のイメージがわく。
たなと『スニーキーレッド 3』読む。とても好きな作品なので、また続きが読めるのが嬉しい。三崎さんのおもいやりドエム盤石。1巻から読んでると、ハルの変化に驚き&ほっこり。ラストのハルの心の声可愛すぎる。登場人物の幸福な日常が続いていくんだなって思える、ほんわかした一冊。
森山大道 写真集『tokyo』読む。東京駅銀座新宿渋谷上野秋葉原……有名過ぎる東京の観光スポットめいた場所を、モノクロのインパクトのある構図で捉える。最初は今更、こんなベタなのを見てもなあ、なんて感じていたが、続けて読む進めていると、改めてこの人は凄いと感じた。21で上京して、
60年東京に住んだという森山。しかし、未だに東京が分からずに撮り続けているという。変わらない東京、ではなく、森山の中の憧れ、幻想のフィルターがかかった東京。町は少しずつ変わっても、森山大道の東京への高揚は変わらないのか。老年の彼が、こんなにも変わらない写真を撮れている熱意に敬意。
スパンクハッピー 夏の天才
やくしまるえつこ summer of nowhere
go!go!vanillas サマータイムブルー
パリスマッチ アルメリアホテル
夏の曲は好きなのが多い。でも、今年の夏は例年よりもさらに嫌な夏だ。もう少しで、夏が終わりそうだけど、いつかこんな夏もあったなんて思い出すのかな。
アイドルマスターの全話と映画を公式が公開してたから、数年ぶりに全部みた。見終わって、懐かしい曲やら765声優の動画とか見てた。普段アニメをあまり見ないのだが、アイマスは本当好きで楽しめた。曲がいいのもそうだが、キャラクターの成長がぐっとくる。何より、制作者や声優の愛が伝わってくる。
きれいな昆虫、海月、金魚を集めた三冊の本を読んでいた。最近の写真集は、とてもセンスが良く、見ていてたのしい。でも、昆虫のは途中で無理だと思ってしまった。画面いっぱいの昆虫は、見ているとざわざわする。海月も、脳味噌やエイリアンみたいなのは苦手。金魚は平気だが、ずっと目玉を見ている
と不安な気持ちになる。俺が過剰反応しているだけ、というのはあるだろうが、動植物を見たときに魅力と不安・不快が入り混じる時があって、自分の感覚だけど不思議だ。ぱっと見ではいいなって思っても、だんだん不安な気持ちになる。鉱物を見てもならないのにな。
最近、新しい小説の骨子を夢想しながら、なんとか形にできたらと思っている。その為に、動植物や鉱物の本を読んでいる。綺麗なあれこれ。お金が、生活力がない俺は、そういうのを気軽に手に入れることができないけれど、本のおかげでとても助かっている。でも、本当は「欲しい」なら、手に入れた方がいいんだけどね、分かってるんだけどね。
そうは思っても、俺には俺の生き方しかない。すぐに疲れてキレて嫌になる、うんざりする身体と精神。でも、その代わり、夢想することには向いているのかもしれないし、そう思わないとやってられない。
書き上げたから何か変わるという訳でもないのに、小説を書いていないと不安で仕方がない。きっと、生産的な行為が全然できていなくて、生活も綱渡りだからだろう。
制作の欠片を見つける為、誰かの幻想に現実にある物体の豊かさに身を任せる。それは怖くて疲れることだけど、それなくしては何も生みだすことはできない。目の前の非情でげんなりする現実よりも、まぼろしに目を見開いて。