日本人てのはマゾヒストなんですよ。生まれつきそうなんです
妙な気分が続いている。不調とやや不調をいったりきたり。でも、たまに元気。これから先のことを考えても仕方がない。ひとつ、良いことを上げるなら、読書がかなりできていることだ。
俺は色んな物がないけれど、本は家に山ほどあるのだ。再読する本も、昔は分からなかった、感じ取れなかったことに気付けたり。自由に動けなかったり店が閉まったり、この先の生活のことを思うと低級地獄でしかないけれど、誰かの書いた書物は、いつでも輝かしいのだ。
雑記。
ふと魔が差して、アニメ版の、小説『ロミオの青い空』を読んで、分かっているのに例のシーンで号泣。アニメ版は小さい頃見たっきり、みたいけど見たくない。
グールドを聴きながら、ノヴァーリスの『夜の讃歌』読み返す。信仰の輝き、真夜中を神秘を礼讃する美しい詩句。長くなるので、可愛らしい部分の引用。
星の世界は溶けて
黄金の生命の酒と化し、
我らはそれを飲み味わい
明星となるでしょう。
気分がのらなくて、なにもできない日。夜になって、人気のない町を少し歩く。
ALI PROJECTの、メゾン ド ボンボニエール(砂糖菓子入れ)を小声で口ずさむと、気分はお菓子の国へ。夜って、歌って素敵だな。一瞬で別の世界に連れてってくれる
千の甘い仕合わせを
仕舞うための
わたしボンボニエール
イリーナの帽子、中国現代文学選集
を読む。箱の中に薄い六冊の冊子が入っていて、六人の作家のアンソロジー。収められている小説は、さらりと読めるのから、文化大革命や犬食の話題が出るものまで幅広い。試みは良いと思うが、値段2000円だと気軽には……って、本自体高くなってるからな
トルクァート・タッソ『愛神の戯れ 牧歌劇 アミンタ』読む。十六世紀のイタリアの詩人の描く牧歌劇。
神話って、その多くが強引で突飛で意味が分からないけれど、魅力的だ。この話も筋はシンプルだが、読み進めると、その詩的な美しさにはっとする。昔の人の方が、自然と神々をより愛していたのかな
ずっと、家からあまり出ない生活してると、身体がうずうずしてくる。虎になってガルガルしたいマジで。虎は毎日虎で羨ましい。俺なんて文字の奴隷だ。文なんて好きじゃないのに。好きじゃないのに明日も文字に触れるんだ腹立つガルガル。ガルしたいマジで。
『山月記』の主人公は虎になれたなんて最高やんけ!人の心捨てても良いじゃん!また拾える確率もあるかもだし。人の心も大切だけど、人食い虎も大切。
てか、そこで友人が虎殺して、毛皮をはいで、それをまといながら暮らしたら胸キュンblじゃないかな。
エルヴェ・ギベール『召使と私』再読。ユーモラスで身勝手な愛。奇妙なsm小説。召使の台詞が面白い
召使いは日本人にしますね。だって日本人は我々よりも卑屈な性格をしていますから(略)ありとあらゆる仕方で虐待して愉しんでやるんです。日本人てのはマゾヒストなんですよ。生まれつきそうなんです
ヴァチカン美術館のカタログ読む。
楽奏天使 は、とてもロマンチックですき
黒像式オルペ なる陶器は、獅子からスフィンクスまで描かれていて欲しい。
どの神話上の人物か、判別出来ないほど、破損が大きいトルソー。その欠損が魅惑的
真の十字架の聖遺物筺用ケース、って名前ヤバい。欲しい
ほぼ毎日、朝から晩まで、気分と体調はぐらぐら。だけど、夜中は安定していることが多い。理由は分からないけど、夜は落ちつく。
ロバート・メープルソープの写真集ぱらぱらとめくる。彼の写真は好きなのが多いけど、このパティ・スミスの写真(ファーストアルバムの)良すぎる!恋人だから、撮れたのかも、なんて。
箱の中の干菓子は梅雨の気配
少しのお菓子で、気分が華やぐ。きれいなもの、かわいいものはいつでも俺に優しい。
トリュフォーの『日曜日が待ち遠しい!』のパンフ読む。山田宏一も寄稿。俺は彼の映画への愛情と敬意のある文が大好きだ。きっと、トリュフォーもそう。
「映画を撮ることは、私にとって、少年時代の数々の夢を実現することです」と語る彼。小学校もきちんと出ていない不良少年の夢を、俺も見てるんだ
ジュネ原作ファスビンダー監督『ケレル』の小冊子を読む。様々な人が寄稿しているが、響かない物ばかり。サルトルやバタイユの文だってそうだ。俺は、ジュネを偏愛しているから、何もかもが気に入らないのだ。ジュネについて、犯罪者として男色家として語らないなら、何を語ればいいのだろう。
俺はジュネについて書かれるほとんどの批評が気に入らないんだ。それは、詩を無理に解剖するような無粋を感じる。彼は男と犯罪と裏切りが好き。その上、夢のように、詩的言語で描くんだ。それで十分だ。迷って酔って賛美の声を上げるだけで十分だ。
泉鏡花『外科室・海城発電』読む。外科室という短編の、手術の様子が凄まじ(一目ぼれした医者と患者。麻酔なし手術!という狂気)
唯見れば雪の寒紅梅、血汐は胸よりつと流れて、さと白衣を染むるとともに、夫人の顔は旧の如く、いと蒼白くなりけるが、果せるかな自若として、足の指をも動かさざりき
殺しの凄まじさは、マルグリット・ユルスナール『東方奇譚』の描写を想起する。才ある老画家を憎む王の台詞
「死刑囚の血は汝の画布に描かれた柘榴ほど紅くないし、農村では虫が稲田を感嘆する妨げとなる。生身の女の躰は、肉屋の鉤につるされた屍肉のように、余に嫌悪をもよおさせる」
また、献身的な弟子が処刑されるのを眺める老画家。絶望しながらも、血の染みは美しい!
「兵士の一人が刀を振り上げ、玲(弟子)の首が切られた花のように胴を離れた。下役人どもが屍を運び去った後で、汪佛(絵師)は絶望しながらも、弟子の血が緑の石畳につけた美しい真紅のしみを感嘆して眺めた」
ボルヘスの『砂の本』再読。訳者あとがきにもあるが、エッセーや短編小説がわかちがたく、それがまた、魅力的である。彼の主要なテーマ。夢と夢のような話と本の話。表題作は、砂の本という、終わりがない、無限の本を手に入れてしまった男の苦しみ。ふと、バベルの図書館を想起する
本は、他にも読んでいて、自分が読書家と錯覚しそうだ。だが、様々な美しい言葉を、文章を目にすると、そろそろ俺も何か書きたくなってくる。少し前に一作書き終えて、それっきり。
暇つぶしのファンタジー小説はかいているが、それは思い付きを並べているだけで、小説とは言えないだろう。でも、気楽に書けて楽しい。書くのって楽しいな。ただ、俺が本当に書きたい、書いているのは、時代遅れの純文学、読みにくいなにか(自分ではそうは思っていないけれど)、なのだけれども。
ほんと、どうでもいいのだが、数年ぶり!に漫画のキャラを書いた。一回も書いたことないし、ボールペン一発書き。出来上がって、ちょっとして、ああ、微妙だな、下手だなあ……って分かる。なのにさ、楽しかったんだ、すけべ過ぎるマタギ!
高校の頃は、漫画家になりたかった。すぐにその夢は忘れたけど。でも、好きな画を描くのって楽しいな。俺はすぐ上手い下手にこだわるけれど、楽しいな。無心ですけべなマタギを書いてた笑
球体関節人形教室や甲秀樹の絵画教室に通いたいな、ってたまに頭によぎる。でも、金銭的に絶対に無理なんだ。今、生きるので精いっぱい。それを考えると情けなくなる。
ずっと読まれない、読みにくい、人が苦しむ小説を書き続けている俺。苦行かな? でも、それが割と好きなんだ。でも、他にも楽しみを。どんな状況でも、楽しみを探して。
生活費、及び返済に充てます。生活を立て直そうと思っています。