中年のささやき、詠唱、祈り。
メンタルが酷いありさま、薬やアルコールで誤魔化そうとするのにも限界があって、こういう相談ができる人なんていないし(もし、仲良くなった人がいてもいえないけれども。面倒事を汚泥を、好きな相手に押し付けてどうなるっていうんだ??????)たまに、取り乱しそう、たまに、セックス。そうやって誤魔化す日々なのに、そうやってやってきたのに、それにしても調子が悪い。
ゴッホが36で自殺をした。カート・コバーンは28だっけ? 好きな人は長生きしてほしいなあ、俺も長生きするのが望ましいなあと思いながらも、さっさと終わらせたいと思う。なのに、たまる、消化できない本やら何やら。ひたすら家で寝て、それだけ。何も無いなら、展望がないなら、さあ,でも、自殺したいわけではないんだ。自殺したいわけではないんだきっと。
惰性で借りていたネットレンタルが上限の20枚になっていて、返却期限に追われ急いで消化する。どうでもいいcd雑感。
わーすたのファースト。曲はいいのだけれど、歌詞がつぎはぎというか、適当な感じがどうも……思いついたそれっぽいキーワードをポンポン出して、つなげてる感じがする……勢いがあるという意味ではいいのかな?
サチモスのサード。大きな路線変更で賛否両論、とのことで、俺も正直うーん、と思ってしまった。悪くないけれど、そこまで良くもないような……あ、レヴューの中で歌の下手な田島貴男に聞こえたっていうのが、腑に落ちすぎた! アーバンなロック、ブルース路線だと、すごいベテラン勢が沢山いるから彼らでいいじゃん、みたいに思ってしまうんだよね。でも、サチモス好きなんで次のアルバムも聞きます。
ニァピン。pandaboyプロデュースなのを後で知った。アルバム通しての曲のクオリティの高さは心地良い。ただ、俺は彼の「コズミック・メロンソーダ・マジックラブ」と「けいおん の go go maniac」のミックスがとても好きなんだが、アルバムの中のダンス・クラブ・ユーロ系の曲の曲調が、前述の曲にかなり似ているのは、びみょうな気分になる。いい曲なんだけどね
mili とても良い。音ゲーの人? なのらしいが、テクノポップ系の人らは活動期間が短い人らが多いので、長く活動して欲しい
夢アド メロンソーダ 以外あまり印象にのこらなかった……昔の夢アド好きだったんだよね。かわいいし、楽曲いろいろあって挑戦的だし。今がそうではない、ということではないのにさ……なんか違う……とか大して思い入れがないくせに懐古厨という嫌な俺。
クラリス。安定して数曲好き(性格が悪い。俺の)
ジャズトロニック。安定して数曲好き(性格が悪い。俺の)
ノーナリーブス。安定して数曲好き(性格が悪い。俺の)
空気公団の「おくりもの」あまり期待せずに聞いたが、とても良いミニアルバムだった。捨て曲ほぼなしでアルバム通して聞ける。
あんスタの魅惑劇。アリプロジェクト好きなので、とても良かった。アリプロの提供曲って、キャッチーな美メロとナルシスティックな詩が多くて、ほんと好き(聖少女領域とかの頃のアニメタイアップ系の)。というか、このアルバムはそれ以外も昔のV系みたいな感じの曲が多くてとてもよかった。
ポップソング大好きなんだ、現実を忘れさせてくれる。ポップソングばかり聞いていたいんだ。お酒もお薬もセックスも、うんざりする。大好きなのに、うんざりする。多分俺はアルコールや薬物やセックスん愛されていないんだ。
でも、ポップソングはただ、大好きだ。大好きで、どうでもいい。すぐに忘れて、たまに思い出して、ずっと、新しいのが欲しくなる。アイドルってポップソングって残酷。酷薄。でも、それは聞いている俺の資質が問題なのかもしれないけれど。
なんて思いつつ、回らない頭で読書、古い本、既読の本ばかり。古井由吉と大江健三郎の対談を読んで、久しぶりに名前を見て、ミシェル・トゥルニエの本を再読。六年前!に読んだ箇所がとても好きで、六年前と同じ感想を抱いていたので、引用。
再読するミシェル・トゥルニエの『聖女ジャンヌと悪魔ジル』
二人が対話をする、好きなシーンがある。ジャンヌがジル・ド・レに「あなたは神学に詳しい。あなたの仲間は馬鹿にしているけれど」というようなことを口にすると、ジルが語る。
「それは本当のことだ私は思想などを持ったことは一度もない。私は学者でも哲学者でもないし、読み書きすることは大の苦手だ。しかし今年の二月二十五日に、あなたが突然シノン城にやってきた時から、私のこの、貧しい頭の中に止めることの出来る唯一の思想なのだ」
ジャンヌは突然警戒しながらジルを見つめる(中略)
「だが、私は特に、あなたの中にあって、なにものにも汚すことのできない、その清らかさゆえに、あなたを愛するのだ」
頭を下げると、ジャンヌの傷が彼の目に入る。
「私があなたにしたいと願う唯一の口づけを受け入れてくれるだろうか?」
彼は身をかがめて、ジャンヌの傷の上に唇を長々と当てる。
彼はそれから立ち上がると、下で唇をなめる。
「私はあなたの血を聖体のように拝領したのだ。わたしは永久にあなたと結ばれているのだ。これからは、私はあなたの行くところならどこにでもついて行くだろう。天国でも地獄でも!」
ジャンヌは身体を激しく揺すって起き上がる。
「天国か地獄へ行く前に、私はパリに行きたいわ!」
あなたが唯一の思想なんだ、なんて感動的な台詞じゃないか? 感動的な台詞だ。台詞だ。普通の状況でそんな言葉が漏れたらご遠慮願いたいような台詞だ。というよりも、トゥルニエ=作家が書かせた「貧しい頭の中に止めることの出来る唯一の思想」という告白であるからこそ機能するのだろう。貴族ではないならば「二歳の雄牛くらいの知能」では輝かしくは生きられない。 俺も天国や地獄よりもパリに行きたいな
今の俺は、天国か地獄かパリに行きたいな。
最近再読した、ジュネの『泥棒日記』の中の台詞、あんたとなら、どこまでも! を想起する。狂気を孕んだ純潔、輝かしい蛮勇。そういうのが大好きなんだ、いや、単に俺がまともな生活が出来ていないから、共感してしまうんだ。
丸木戸マキの「オメガ・メガエラ」とのばらあいこの『寄越す犬、めくる夜』の最新刊を読む。どちらも新しい本なので、ネタバレなどは書かないが、どちらもすごくよくって、どちらも読んで泣いてしまった。
『オメガ・メガエラ』は丸木戸マキのストーリーテラーの才能がオメガバースのどろどろメロドラマと相性良すぎ、キャラがそれぞれの思惑と不審や不安を抱えており、とにかく面白い。そして、シリアスな設定や辛さとギャグの割合がほどよく、ほんとこの人はエンタメとしてもうまいなーって思った。これ、実相寺昭雄が映画かテレビドラマで撮ってほしいなー(無理)
『寄越す犬、めくる夜』はどう考えてもバッドエンドにしかいかない話なので、読んでいて、たまに辛くなってしまう。キャラ救済、解決を求めながら、でも、キャラの不幸を何処かで求めている(キャラの不幸こそがエンタメなんだ)、という読み方をしつつも、今回のあるキャラの過去がきついなーって感じだった。このきつさは、個人的な経験に繋がる物だが、それにしても、あんまり好きじゃなかったキャラなのに、この巻でそのキャラの(不可解な、或いは嫌悪感すら持っていた)行動が腑に落ちてしまって、辛かった。彼の不器用で傲慢で献身的な愛情。でも、彼は救われない。俺が好きになってしまったキャラに、救いは(多分)ないんだ。
ただ、どちらもまだ完結していない続き物だというのがありがたい。楽しみがあるというのはいいことだ。本当に、いいことだ。戸川純がテレビに出るからまだ死にたくないとか、着物の季節がまだ来ていないから生きようと思ったとか、そういう動機って素敵ですね(そうか?)
体調が、気分が悪いと、何もかもどうでもよくなる。でも、如何にかしないと、生きていけないし、立ち直れない。極端な話だが、呼吸をしなければ、食事や睡眠をとらなければ、生きる選択をしなければならないのだ。物凄い負担だとしても。
こんなどうでもいい文章であっても、書く方がまだまし。こんな文章をかくだけでもそれなりに時間がかかり、疲れる、でも、その繰り返しくらいしか、分からないんだ。コミュニケーションもどき。
家で、一人寝て、腐るだけなのは心地が良すぎて、でも、まだどうにかしたいって思うから、明日は安らかであるようにと願いつつ、明日なんて来ないでくれと祈る。