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アメリカ留学で学んだ多様性

今回は性教育から少し離れて、「海外留学」について。代表のulalaが高校3年生の時に経験したアメリア留学を題材に、彼女が「多様性」について考えるきっかけにもなった経験についてお送りします。

「世界で活躍する看護師になりたい。」

これが彼女が海外留学を志たはじめの動機でした。そのためには、「文化の違いって何だろう」「他の国に住むことってどんな感じだろう」「英語話せなきゃ」といろんな課題があることに気づいたといいます。

「とにかく後でじゃなくて、今行くことで学べることは多いと思いました。ただ、行こうとしていたのが高校3年生(受験生)だったこともあり、家族や先生は大反対。でもどうしても行きたくて。私は大反対する父親に土下座をし、手紙を書いたんです。“意見は変わらない”と言われながらも留学説明会につれていったんです。」

ここでも発揮されるulalaの行動力。この頃から「やると決めたらやる」ulalaの意志の強さを感じます。

「そしたら、説明の人がとても話上手で、なんとお父さんからも許しがもらえたんです!やっぱり子供の意見より大人の意見か、、なんて思いながらも、結果よければ全てよし!無事留学行きが決まりました。」

無事留学が決定したulala。現地の暮らしはどうだったのでしょうか。

「アメリカのアリゾナ州というところにある、小さな町でホストファミリーとともに暮らしていました。ホストファミリーは両親2人兄弟が4人いる家庭で、ものすごく温かい、愛のあふれるファミリーでした。異国の地で、しかも、いきなり来た外国人を温かく迎えてくれる人がいることにとても感動したのを覚えています。」

「また、私の通っていた公立高校では、東京では見ないようなカーボーイの格好をしているひとが沢山いて衝撃を受けたり、授業中には先生の問いに対してクラスの半分以上が手を上げる光景をみて焦りもしました(私は質問できるタイプではなかったので)。」

目の色も、肌の色も、話せる言葉も様々で正直慣れるのに時間がかかったというulala。その環境をどのように捉えたのでしょうか。

「異国の地に驚きの連続な私のような外国人に対して、優しく話しかけてくれる人、勉強のサポートをしてくれる人もいました。そんな時に目の色で怖がってる私って、なんか違うなって思ったんです。そして、日本人がたった一人の町でマイノリティーな存在になった経験も、今となってはとても貴重だったなと思います。」

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これら経験は私に『多様性を受け入れる大切さ』を教えてくれたと思っています。アメリカ留学で学んだことは今27歳の私にとって大きな財産になっています。


【編集後記】
今では英語も流暢で、海外経験も多いulala。海外の事例や多様な価値観を教えてくれています。でもそんなulalaが今のような考え方になったのは、高校3年生の時の強い意志があってのことだったのかと驚きました。実体験があったからこそ広がった「多様性」への扉。この記事も皆様にとってそんなきっかけになれたらいいなと感じます。
【この記事を書いた人】
三上ゆき(READYBOX副代表・ライター)
2018年新卒で㈱LITALICOに入社し、発達障害をもったお子様の授業プランニングなどを担当。その後転職し、㈱リクルートにて法人営業を3年間担当。現在はフリーランスとして活動している。


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