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意思尊重できますか?
決断の連続である人生だけど、生まれる瞬間と亡くなる瞬間は自分では決められない。
こないだ午前半休取って、祖父の癌術後2年半CT評価に付き添い。
もともと糖尿病でクリニックに通院していたのだが、3年前急にHbA1c(血糖値の指標)が毎月どんどん悪化し、これはおかしいと総合病院で精査入院した結果、片方の腎臓がほとんど全部癌で覆われていた。
症状はなく、無自覚で、普通に暮らしていたのに、ある日突然癌になった、癌が判明した。
今の日本では2人に1人は癌の時代。
そして3人に1人は癌で亡くなる時代。
だから珍しくはないが、病気というものは突然やってくると感じた。
ある程度の予定は自分で決められるけど、病気だけはタイミングを自分で決められない。
来週インフルなるわ😷!とかないから笑
2年半前は手術をしたけど、もう手術はしたくないと言っている。家族のエゴではなくて、本人の意思に従おうと思ってる。
みんなは
やれる治療があるなら諦めずに戦おうって思う?
私も今の仕事になりたての頃はその気持ちがあった。年齢だから?認知症だから?なんで治療の選択肢が狭まるのだろうかと。
今の日本は手術すれば治療すれば、元々以上の体力にピンピンに戻ると思ってる人が多いように思う。
できるだけ入院しても体力落ちないようにと日々仕事に励んでいるが、入院中は活動の範囲も下がるし、どうしても治療上食事を止めたりしなきゃいけないわけで、元々の病気が治療できても、体力が落ちて元々の生活ができない高齢者は多い現実を目の当たりにした。
それともう一つ
以前の「憧れの人」のnoteで書いたが、親しくしてもらっていた人を2年ほど前に乳がんで亡くした。
その時にAYA世代という言葉を知った。
AYA世代は15〜39歳のがん患者。
進学、就職、結婚、出産などが多いこの世代はがんの治療と並行して課題が多い。
実際に自分と同世代の、はたまた歳下の癌患者さんも多数出会ってきた。
この憧れの人が生き抜いて見せてくれた世界は、
病院に長期間入院して治療して長生きするのではなく、日々の生活を維持し、犠牲にせずに治療していく道。
長生きできてもずっと病院や施設では、その人本人は幸せなのだろうか?
人は何のために生き続ける?
という考えを知った。
この仕事に就いたばかりの頃は長生きできることがいいこと!と思っていたから
病院や施設にいても長生きできれば幸せっていう価値観もあると思う。
我が祖父も病院で長生きしても仕方ないという考え。ポックリいく想定だそう。尊重してあげたいと思う。
家族と延命治療について話し合ったことある?
家族がどんな病気か知ってる?
だいたいの家族が話し合ったことはないように思える。特に医療者でなければそのようなタイミングに出くわす機会は少ないためないだろう。話したことないから決められない。本人に聞いて欲しいと多くの人がいう。
でもそんな本人の意識がなかったら?聞くことはできない。
聞けない間に選択しなければいけないのだ。
そしてその瞬間は突然やってくる。
元気なうちから話し合っておけば、本人の意思だからと迷わず尊重決定できるのではないかな?と思う。
我が家は私も含めて全員延命治療しない。
と今のうちから意思統一している。
年齢なんて関係ない、私だって明日癌ですと言われる日がこないとは限らない。
「カルフォルニアから来た娘症候群」
という言葉がある。
医師と患者本人で話し合っていた方針に、無関心だった子供が遠くからやってきて、意を唱え、本人の方針にそぐわない方針に変えること。
どうか自分の周りの人にはこれがきっかけとなって、家族と話してみるきっかけになってくれたらなと思う。