赤い葉っぱが青い葉っぱになるまでの心の動き。もしくは、世界の過ごし方。

秋が近くなると、我々の世界の葉っぱは赤くなる。
どうしてだろう?

たしか、クロマニョン人だかクロロフィルだかの働きが、寒さによって関係してた気がする。しかしそんなことはわたしにはわからない。

なぜなら、わたしは植物学者ではない。それに、葉っぱのオタクでもない。だからだ。

だから、秋になるとできることといえば、去年ロールケーキみたいに畳んだ下半身の暖かいインナーを、衣装ケースから取り出すこと。

そして、「京都に行こう」と思い立って、でもすぐ後に、「人がいっぱいいるからいいや」と思い直すことくらいだ。僕は人混みが苦手だから。

でもたまに、「心斎橋」へ行きたくなることがある。人混みの多いあの場所だ。

たぶん、いつも静かなのも、それはそれでつまらないんだと思う。でもそれは、秋とは関係ない。
「飽き」とは関係あるけれど。

「〈秋〉と〈飽き〉なんてダジャレじゃないか?」
そう思ったひともいると思う。

でも、平安時代くらい昔の人たちは、それくらい-言い方悪いけど-くだらない言葉遊びを楽しんでいた。

外が少しずつ冷えてくるから、それが心の熱が冷めてくることとかけているのかもしれない。

いずれにせよ、くだらないダジャレは日本の文化だ。

正月のおせちも、年越しそばも、「豆のように子孫繁栄」とか「細く長く生きる」とか、そういう験担ぎで出来上がってる。

今の僕たちだって、受験の前にカツ丼を食べるとかキットカットを渡したりするのだから、やっぱり日本人なんだ。


世界を生きるために、僕らはくだらないことをしよう

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