稲垣潤一の歌はなぜ心に響くのか 「ハコバン70‘S 」 稲垣潤一著
夏になると聴きたくなる
『夏のクラクション』
透き通った声で
80年代から人気を保つ
稲垣潤一さん
この本でデビューまでの経緯を知った
下積み時代があったことは
何となくは知っていたが、
ここまでのドラマがあったとは
仙台でバンドを組んでいたことは知っていた
しかし、稲垣潤一さんは東京に出ていたのだ
しかも2度も
物語は東京での夢やぶれ仙台に戻るところから始まる
東京でのバンド生活は
想像していたものとは違った
ギャラをほとんどもらえない
米軍基地での演奏は、
けんかが起これば演奏中止
散々な東京生活だった
仙台に戻った潤一さんを
お父さんは何も言わずに受け入れてくれる
お父さんの優しい想いが伝わってくる
東京から同じように戻ってきた黒川さんと
バンドを組み直し
いろいろなお店に売り込む毎日
ようやく新しい仕事が決まっていく
中学校時代のクラスメイトと飲んでいるとき
東京から戻った潤一さんに
「それって、つまり、負け犬だろ。」
というきつい言葉が投げつけられた
ー言葉はときに、ひとを傷つける刃物になる
と強く思ったそうだ
潤一さんの歌に優しさを感じるのは、
言葉の大切さを知っているからだと納得した
昼のみの演奏では、ドラムを叩かない
ボーカルのみの仕事もあった
〈杏〉という名前のお店は若い麗子さんが仕切っていた
若いけれど音楽への造形が深く、
ミュージシャンの力量を見抜くことができた
潤一さんのボーカリストの力量を早くから
見抜いていたのはさすがだ
仙台での潤一さんは、
キャバレー、ディスコ
演奏できさえすれば
どこにでも行った
将来への不安がまったくないわけではないが、
とにかく演奏が大好き
「ハコバン」というと
下に見られるときがあっても、
ただただ演奏を楽しんだ
その一方、バンド仲間のドラッグ、
自身の耳の不調
トラブルに次々と襲われる
プレスリーの死去のニュースに触れる
酒やクスリで、自分たちもいつ身を滅ぼすか分からない
恐怖が全身を包む
ここでくじけていたら、
珠玉のゆような彼の作品に
わたしたちは、出会えなかったであろう
新しいバンドは
潤一さんの可能性をさらに広げていた
歌うことの喜びを全身で表していた
「いつまでこういう仕事つづけるの」
そんな心無い言葉にも笑顔で
聞き流すことができるようになっていた
「ROCKJAM78’」でボーカル銀賞を
獲得したことが自信となっていたのであろう
そんな最中、秋山るりこさんから声をかけられる
レコードデビューだ
待ちに待って、事務所の社長さんに東京に誘われる
悩む潤一さんは、〈杏〉の麗子さんに相談する
「稲垣くんの天職だもの」
背中を押してくれる
潤一さんは語る
歌は、自分そのもの
自分自身が曇っていたら、いい歌など歌えない
わたしは青春時代からずっと
稲垣潤一さんの曲に励まされ、癒されてきた
涙を流しながら何度聴いたことか
潤一さんの自伝を読み、
なぜ心に響く歌なのかが分かった
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