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小さな画面越しの出会い


2011年12月31日 
祖父母の家で親戚と集まり夕食を食べながら、たまたま流れていた紅白を見てなんとなく見ていた。
そのとき、キラキラした7人組が小さな画面の向こう側で歌いながら踊っていたのだ。

“うわぁぁこの人たちかっこいい、、かわいい、、”
と当時6歳の私に衝撃が走った。

すぐさま同じ食卓を囲んでいる大人たちに、”この人たちなんていう名前なの??”と尋ねると、音楽通の父がAAAというグループだよ〜と私に教えてくれた。
これが私とAAAの出会い。

まさかこの年末のAAAとの出会いが、19歳の未来の私にまで音楽を希望を夢を届けてくれているとは、私自身も AAAという名を教えてくれた父も、一緒に小さな画面を見ていた親戚の大人たちも、想像していなかっただろう。

調べていくうちに、AAAは私が生まれた2005年にデビューしたということを知り、たまたま話しかけた人が同い年だったときのような感覚で、わ!!!同級生だ、!と少し嬉しかった。

それからというもの、1日15分という制限時間の下パソコンを貸してもらい、姉から借りたローマ字入力の下敷きとキーボードを交互に睨みつけながら、一生懸命 にしじま たかひろ とタイピングし、お気に入りの動画や音楽を見つけることが毎日の日課だった。
ほかにもお手伝いの対価としてもらったお小遣いで雑誌を買ったりと、どんどんと沼に落ちて行った。

6年間生きてきた人生の中で初めて、好きな芸能人ができた。本当に毎日が輝いていた。” 好きな人がいる、好きなことがあるってこんなに楽しいんだ”ということを教えてくれたのは間違いなくAAA。
いままでの人生で何度自己紹介と同時にAAAの紹介をしたのだろうか。数えきれない。
AAAに出会うまで、好きなものは何?と聞かれる度に
、そのときに頭に浮かんだ遊びや食べ物を適当に答えていた私が、AAAと出会い 好きなものはAAAです と胸を張って自分自身が本当に好きなものを答えられるようになった。このことが自分の中でいつも自信につながっていて、なんだか誇しくも思えた。

そして数ヶ月が経ちAAAが777のアルバムをリリースした。到底私が持っているお小遣いで買える値段ではなかったため、周りの友達がゲームソフトやキックボード、ビーズセットなどを誕生日プレゼントとして贈ってもらっている年齢ながら、私は777のアルバムを買ってもらった。当時はまだCD媒体で音楽を聴くことが主流であったため、何度もCDを目にしたことはあったが、初めて自分専用のCDを手に入れられたことがとてもうれしく、CDケースが壊れるぐらいに毎日眺めていた。そんなアルバムは今でも大切な宝物だ。

“いつか本物に会ってみたいなぁ”  なんて言葉を家で毎日のように口にしていると、父が実際にライブに連れて行ってくれた。7年間生きた中で人生初めてのライブ。数日前から遠足の前日のようなわくわく感で寝られなかった。その日は何時に家を出る?と父に何回尋ねただろうか。会場に着いたらペンライトとタオル買ってね〜と何回お願いしたかも分からない。その日のために、母が作ってくれた西島さんのメンバーカラーであるオレンジ色の髪飾りをつけ、父と電車で会場へ向かったことを覚えている。

そして人生初めてのライブが始まった
興奮しすぎたせいか、私の中に残っているライブの記憶は西島さんと與さんが踊っていた姿だけ。少し悔しい。でも、初めてライブ会場で味わった高揚感。AAAが生きているんだ!!!!!!と知った時の衝撃は一生忘れない。忘れたくない。

最近になって父に、なぜあそこまで熱心に私がAAAに興味があることを肯定する行動をとってくれていたのか聞いてみた。父は私に音楽を好きになって、音楽という居場所があることを知ってほしかった。と熱弁してくれた。普段はにこにこふにゃふにゃしている父だが(失礼)、その時は頼もしくも誇らしく思えた。
父は安室ちゃんに中高大学生と青春全てをかけてきた所謂アムラーなのだ。それ故に、音楽の素晴らしさや音楽からライブに行くことの楽しさ全てを、人一倍知っているのかななんて私は考えたりもした。
こうしてエンターテイメントや音楽はアーティスト同士のみならず、ファンも次の世代へと繋がれていくのかなと、この文章を書きながらふと感じている。

こうして私とAAAは運命のように出会った。あの時、紅白を見ていなかったら今頃どんなアーティストに出会って、どんな音楽が好きだったのかな、何を生きがいに生きてるのかなとたまに考えたりすることがあるが、見当がつかない。だから、AAAと出会えた人生が大正解なんだと思う。これからもこの運命の出会いを噛み締めながら、幸せに日々を送っていきたい。

(次は西島さんの好きなところについて書こうかなぁって考えてる)

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