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子どもの頃に抱いていた夢
ある日、自分の描いた絵を額に入れ、部屋の壁に飾った。
それはただのインテリアではなく、私の中にずっと眠っていた何かを目覚めさせるきっかけになった。
絵を眺めながら、ふと考える。
「これを服にできたら、どんなに素敵だろう」
それは、子どもの頃に抱いていた夢だった。
小さい頃、私はお絵描きノートに思いつくままの絵を描いていた。
誰も持っていない、自分だけのデザインのお洋服。
あったらいいな・・・。
縫製業を営んでいた母にお願いして作ってもらった記憶もあるが、なんだか違う・・・。作ってもらって違うなんて言えない。
少し大きくなると、母に教えてもらってフエルトで人形の洋服や手芸のマスコットを作った。
小学校になるとミシンを教えてもらい、私の中の洋服作りたい欲はずっと続き、高校は被服科、そして服飾の専門学校へ。
服飾を学んだ後、その後スポーツウエアメーカーで企画やデザインを世に出すことも経験した。
けれど、それは流行を追い、会社の方針に沿ったデザインを生み出す日々。
社会では当たり前のことだったし、確かに必要な経験だった。
けれど、あの頃の私が望んでいたものとは少し違っていた。
少しずつ夢にはふたがされていった・・・。
結婚し、家庭を持ち、家事や育児に追われる日々が続く。
引っ越しで転職をするが、やはり何かを作って誰かに届けたいという「ものづくり」の現場は離れたくなかったし、七五三のスーツなど、イベントごとの子どもたちの服をつくった時期もあったが、どちらかというと、せっかく縫えるのだから、作らなくちゃいけないという思いの方が強かった。
今思えば、もう一人の私が私に「服をつくることを忘れないで」と言っているかのようにも思える。
ここでいう「もう一人の私」というのは母の胎内で亡くなった双子の妹が頭の中に住み着いているのだとおもう。彼女が生きていたら?どうだったのか、これは幼いころその事実を知った時から、「もう一人のわたし」としてずっと生きている。「生まれたのが私でなく、彼女だったら?」「二人とも生きていたら?」そんなことも頭の片隅にいつもいる私のテーマでもあります。
ちょっとずつ自分を整理するためにもこのnoteを書こうと思っているのです。