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大阪-東京ハーフ中山道キャノンボール反省文(本編)

はい。nanashiです。前回は殆どただの大阪旅行の日記のようになってしまったため今回は真面目に、キャノンボールに挑戦しようとした動機から戦略、実走の振り返りをしていくわけであります。なお挑戦は失敗しております。成功者の声だけ聞きたい方にはすみません。


キャノンボールとは?

東京の日本橋にある日本国道路元標と大阪梅田の大阪市道路元標の間を24時間以内に自転車で走り切る挑戦。R1の東海道ルートが主要だがR20・R19などを用いるものや京都をSCして伊賀を越えるものなど様々なバリエーションルートがある。

動機

キャノボの存在を知ったのが去年10月くらいのことで、いつかやりたいと思っていた。今年10月に知り合いの方が何人か挑戦されているのを見て火が着いて、6月にエベレスティングを達成したことが自信になって決心した。
結論としては、達成は叶わなかった。そのため今回は失敗の原因を考えながら走行を振り返りたい。

ルート

まずTOかOTかの選択だが、果てしない旅路を親しみのある土地に向かうというのがしっくり来たのでOTを選択。ルートは「ハーフ中山道」を選んだ。理由は東海道ルートは平坦が多く変化に乏しいイメージがあり、東海道が #半分静岡 などと揶揄されるほどに長い静岡区間…虚圏とか言ったっけ…を通るのが精神的に苦しそうで、中山道ならば起伏が多く変化に飛んでいるし、馴染みのある長野県、特に諏訪を通れるのはモチベ上がると思ったことが大きい。登りがあってもその分下りもある筈だし山岳コースのロングライドは経験があるから、虚無そうな東海道より精神面での勝算があると踏んだのだ。※反省点1

準備

まずはルートを作る。以前ハーフ中山道で達成されている篠さんのルートを参考に、ミスコースを減らすため自分に分かりやすくするためにいくらかオリジナリティを加えた。全行程554km/獲得標高4,500m。達成に必要な平均スピードは23.1km/hだ。Stravaのルートは以下。

◯補給食
コースプロフィールから24時間ギリギリになると思い、補給食は多めに準備した。

エネルギーよりもコンディショニングを重視した内容

「オレは摂取す」はパラチノース含有量が多く、MCTオイル(中鎖脂肪酸)が含まれており、体内の脂肪を燃焼してエネルギーにしてくれる。マグネシウムも含まれておりロングライドにもってこいだと思う。以上とスマホ、プロテクトJ1、運転免許証&保険証をバックポケットに突っ込んだ。

◯バイクパッキング
サドルバッグとトップチューブバッグを使った。バイクの写真は後記。サドルバッグの中身は以下。
・PEKOさんの緊急用輪行袋
・輪行用肩掛け紐
・エンド金具
・Magene TPUチューブ×2
・キャットアイVOLT400の予備バッテリー
・キャットアイAMPP800
・タイヤレバー(シマノプロ)
・TOPEAKのミニ六角
トップチューブバッグの中身は以下。
・モバイルバッテリー(長方形で薄型のもの)
・充電コード(microUSB2.0, Lightning)
・オリジナル分岐案内表(後で画像で紹介します)
ファストランなのでパンクは2回までに決めてた。輪行装備も最低限にし、可及的な軽量化を図った。

◯バイクスペック
フレーム:S-Works Tarmac SL4(2012)
ホイール:Shimano WH-RS81-C35
コンポ:Shimano 6870 & 9000ミックス
タイヤ:Panaracer Agilest Duro 23C
ペダル:Wahoo Speedplay(ステンレスシャフト)
サドル:マチューとおなじやつ
クランク:Shimano FC-9000 170mm with パイオニアおにぎり
ボトル:Elite FLY550×2
R250おにぎりリフレクター
これでだいたい10kgくらい。普段の装備では約7.2kgなのでぶっちゃけかなり重い。旧時代の仕様?ああそうだよ。体重あるから7気圧入れてる。快適性とはかけ離れた存在。
ホイールに関して、BORA ONE 50 TUとかなり悩んだが、パンクケアが楽な方を選んだ。そしてパンク耐性の高いタイヤを装着。これでパンクしたら相当運が悪いでしょという運用。

クイックを使い慣れたフルクラムのものにした

◯服装
寒いことが予想されたためカステリ秋冬用のセパレートワンピースにおたふく手袋のオールシーズンインナー、シマノの秋冬用グローブにおたふく手袋のインナーグローブ、ゴアテックスの自転車用ウインドブレーカー。それとR250反射ベスト。ナイトライドは目立つことが正義。

持っていてよかったもの

インナーグローブ、モバイルバッテリー、プロテクトJ1は本当にもっててよかった。まずインナーグローブだが、走行中最低気温が3℃まで下がり冷気が秋冬用グローブを貫通してきたので、インナーグローブがなければ指が凍ってライドどころじゃなかっただろう。そしてモバイルバッテリーだが、これはサイコンの充電に使った。今回はEdge530のバックライトレベルを、昼間は0%、夜間は10%常時点灯にしてバッテリーを節約したが、24時間は到底持たないペースで消耗した(寒かったせいも考えられる)。モバイルバッテリーをトップチューブバッグに忍ばせることでケーブルの取り回しの良さを確保し、充電しながら走行することができた。プロテクトJ1は股擦れ対策。今までライドで股擦れしたことなかったけど、今回はした。保険の意味で塗ったのが功を奏した。

給電の様子。ケーブルもっと短くていい

持っておけばよかったもの

ネックゲイター、より高い防寒性能を有する防寒着。先述の通り気温が低くかなり寒い思いをした。寒さで削られた体力はかなりあったと考えられる。走行終盤はコンビニでカイロを買って肩甲骨の間・みぞおちに貼り、フェイスタオルを買って首に巻いたほどだ。

オリジナル分岐案内表利用のすゝめ

これは分岐点の距離・地点名・方向・進入先・目印を記した表である。百聞は一見に如かず。

折りたためばトップチューブバッグに入れておけてすぐ確認できる

なぜ作成したかというと、コースデータをサイコンに落として案内機能を使うとバッテリー消費が激しくなりそうだし、データが大きすぎて不調が出ると困ると考えたからだ。これとストリートビューでルーキブント…ルート分岐の光景を覚えておけば、ミスコースの可能性は限りなく減らせると思う。また、スマホのホーム画面にこの表を設定しておけば簡単に確認できる。上を取り出すのは面倒で、スマホで確認することが多かった。とても便利だったので今後のロングライドでも使っていきたい。

このように

以上が準備。スタートまでの過ごし方は導入編をご覧ください。では、走行開始。

スタート~大垣(0~140km)

予定通りに11/9(土)0時、大阪市道路元標をスタート。ディフォシさんお見送りありがとうございました!
体調はまずまず、だが3日前に駅までダッシュした際のダメージから前脛骨筋に筋肉痛、木曜日に暗峠行った際の筋肉疲労が大腿四頭筋にあった。いや重症では?

梅田周辺は0時を回っても交通量が多いし信号峠もきついけど、割と順調に京都府に入る。しかしながら約40km地点、パワーメーターに不調が発生。バッテリーを交換したばかりというのにバッテリー残量のアラートが出たりサイコンとの接続が切れたりデータが来なかったりという事態に。一旦開けて電池を入れ直すも改善せず、仕方なく50km付近のファミマで信頼性の高いパナソニックの電池に交換。早すぎる1stコンビニストップ。結論からして不調が直ることはなかった。

懸念を抱えながらも進み、歌枕「逢坂の関」を越える。割と登り大変だった。蟬丸の詠んだ歌が想い起されてちょっとテンションが上がるが、上がるのはテンションだけ。平均スピードが上がらないのだ。ここまで登りが多いからある程度は仕方ないが、想定外の停止でせいぜい22km/hといったところ。そんな中、逢坂の関からの下りでチェーン落ち。厄介の落ち方をして手間取りながら復帰するも、この辺から謎の頻尿に襲われ始めた。66km地点、空腹と尿意から2ndコンビニストップ。菓子パンはポケットに突っ込み走りながら食べる。

当初の予定ではコンビニストップはせいぜい5回くらいの予定だったため、このペースはあまりにも想定外。実際、停止時間が猛烈に嵩み平均スピードはどんどん下がった。※反省点2

夜中の滋賀県内は想像以上に寒かった。米原市付近でこの日の我的最低気温3℃を記録した。この寒さが災いしたのか、サイコンの動作もどこか不明瞭で、尿意は頻繁に私に襲い掛かった。※反省点3
手先が冷えるものだから走りながらインナーグローブを着けて耐え忍ぶ。※反省点4

なお米原でいわゆる「北陸道の分岐点」を迎える辺りでも小さなヒルクライムがあるのだが、ここでも尿意に襲われ闇に紛れて草むらで用を足した。こればかりは男に生まれたことを感謝したのだった。

関ヶ原付近で夜明けを迎えた。オールナイトからの夜明けは琴線に触れるものかもしれないが、余裕のない私には琴線に接線lする程度だった。ん、線に接線したら触れているのか?
閑話休題。日光というものはありがたいもので、ぼーっとしかけていた頭は陽射しにより覚醒しペダルを踏み込む足にも力がこもるというものであった。そうして大垣市街地に入ったのだった。平均21.5km/h。

大垣~瑞浪(140~215km)

相変わらずの頻尿で149.6km地点で再度コンビニストップ。菓子パンとおにぎりをポケットに突っ込む。ここまででもう3回も用を足しているが、私にとってこれは異常事態以外の何物でもなかった。普段の生活では、トイレに行くのは1日に4回程度で半日ライドする際はライド中1回行く程度だ。それと比べるとあまりに頻度が高すぎた。このことはいわばタイムトライアルに取り組む私の精神を大きく摩耗させた。
また、岐阜県内は路面状況が厳しい区間が多く、長時間にわたる激しい振動は心身ともに疲弊するものであった。

大垣市内にて。こんなの未舗装路だ

最近のトレンドを汲んだワイドタイヤのチューブレス、振動吸収性の高いフレームを駆る人々には屁でもないんだろうなぁ…などと意味のない憧憬を抱きながら、国道19号を目指す。途中で一度愛知県に入る。
愛知県は一宮市、割と信号が多くここでもスピードは上がらない。そして相変わらずのパワメの不調によるストレス。ただ、思えば頻尿は収まっていたし、分岐案内表のおかげでスムースに進路を辿ることはできていた。

多治見市に入る頃には気温が上がり、上着はいらない状況になった。188km地点の赤信号で上着を背中に仕舞い、序に最後のパワメ治療に取り組む。電池を入れ直してみるも、直ることはなく、この時を以てパワーデータは放棄した。

多治見市街地の信号峠にやや辟易しながら、いよいよ中央高地に向かう登り基調の区間の到来を感じつつ、木曽路前最後の分岐がある瑞浪市に辿り着いた。

瑞浪~塩尻(215~335km)

恐らくハーフ中山道キャノンボールの天王山。最も苦しい区間。標高180mの瑞浪市から、標高1,000mの奈良井までの長い「アップダウン」、そして塩尻桔梗ヶ原まで120kmの一本道。分岐がないこと、ミスコースの恐れが一切なく進路が分かりやすいことは結構だが、それは変化の無さを表す。

更に、高低差800mを120kmで延々と登り続けるならばよかったものの、時折下り坂があるのだ。せっかく登ったのに下ってまた登り返し、あえてバカみたいな横文字にするならアップアップダウンアップダウンアップアップアップダウンアップみたいな行程だった。

しかも、しかもである。そのアップの中には勾配が7%に至るような急坂がいくつもあり、思うように進めないのだ。結果、獲得標高は膨れ上がり塩尻までに3,000mを上昇する羽目になる。

想像してみてほしい、120kmの一本道を激しいアップダウンを繰り返しながら2000m登ることを。

木曽路が長く苦しい戦いになることは予感していたから、瑞浪市内のコンビニで長めの休憩をとった。時刻1026。この時点で脳の疲労は結構蓄積され、どこかぼーっとしていたと思う。

本日のランチメニュー()

2つあるボトル、1つは水、もう1つは清涼飲料水を入れていた。普段は水しか飲まないが、気分転換のためだ。クエン酸ドリンクはコンビニ毎に飲んでいた。ここで飲んだユンケルのおかげでいくらか元気が出た気がする。
なお、コンビニストップはなるべく赤信号のタイミングで、ペットボトルや瓶はすぐ飲むなり中身を移すなりしその場で捨てて、5分以内に済ますようにしていた。

元気をチャージして木曽路を進む。馬籠宿や妻籠宿という行ってみたい場所の入り口を素通りしつつ遂に長野県に入る。大桑村は全行程の折り返し地点だ。このあたりから木曽山脈が視界に入るようになり、山好きゆえにテンションアップ。からのスピード…維持。木曽福島からは何度か車で通った道だ。記憶なかったけど((

斜陽が背中を照らすころ奈良井の本ルート最高地点に至った。長い長いアップダウンを制し、多少の達成感があった。だが、このあたりで左膝に違和感を覚え、それは後に痛みに変わっていった。

この程度の違和感ならば、ここからは下りが多いと走り続け、漸く塩尻の分岐点に到着。なお分岐前にコンビニストップし、再度長めの休憩をした。時刻は1600。先述のように苦しい区間だったが、どうにか平均スピードは0.7km/hほど稼いでいた。と言っても20.7km/hしかなく、この時点で時間内完走は諦め、一旦甲府までの下りをしてから完走を目指すか考える方向にシフトしていた。

これが最後の補給となった

塩尻~韮崎(335~406km)

桔梗ヶ原は雲一つない快晴で、夕日に照らされる高ボッチ高原を目にしたのはこの日一番の感動であった。ふりさけ見れば穂高連峰から常念岳、遠くは白馬三山の雪化粧まで望むことができた。

北アルプスの景色が大好き

大いに高ぶる気持ち、塩尻峠いっちょ登ったりますかと気合一番、旧中山道10%の激坂もなんのその(遅いけど)、いよいよもって東京へと至る国道20号との合流を果たした。

塩尻峠はゆるい坂で路面も綺麗で走りやすく、ここを越えれば諏訪湖が見える、岡谷側は自転車で走った記憶も新しい道だ、という嬉しさとともにヒルクライムを達成した。

そうして待ちに待った岡谷市へのダウンヒル、既に日輪は山の端に沈み夜の闇が支配する世界で、燦然と輝く夜景と諏訪湖の光景が目に飛び込んできた時には、思わず喝采の声を上げるほどだった。

岡谷駅前のイルフプラザは買い物をしたこともある施設だ

さすがは標高800mに近い土地、気温は下がり防寒の限界を感じ、岡谷市内でコンビニストップ。カイロとフェイスタオルを購入し、先に記したように防寒の一助とした。この時点で走行距離は350kmに達し、自己最長距離を更新し未踏の数字を刻んでいた。左膝の違和感はハッキリとした痛みに変わり、上諏訪でのDNFを大いに検討したが、甲府までほぼ下りだと思っていた私は、取り敢えず竜王まで進むことを選択した。※反省点5

山梨県内にお住みのつきみねこさんにサポートしていただける様子だったため、割と最後の力みのある力を使って走るのだった。

縁あって慣れ親しんだ諏訪、湖畔のサイクリングロードを経由しては4ヶ月前に訪れた諏訪大社の前を通り、茅野市に入れば6月にエベレスティングを行った杖突峠の入り口を通る。

キャノンボールの最中にエベレスティングの場所を通るとはね

茅野市の市街地を過ぎてから気付いたが、富士見峠への登りはかなり大変なものだった。いつ終わるとも分からない暗闇の中のヒルクライム、寒さも厳しくなっていった。やっとの思いでこの日最後のピークを越えて、甲府までのロングダウンヒル、ボーナス区間(だと思っていた)に突入した。

この区間、期待していたよりも勾配が緩く思うようにスピードが乗らず、かと言って遅いわけでもないから寒さが応堪え、人生における苦い下りランキング堂々の第1位と言っても過言ではないかもしれない。ここでの平均スピード上昇をアテにしていたものだから肩透かし感を覚えながら、上がらないスピードと寒さに耐えることへの限界を感じ、韮崎市内でDNFを決定した。走行距離406km、時間にして20時間30分の過酷な旅路であった。

コンビニでホットドリンクと中華まんを飲み込んで暖を取り、つきみねこさんに回収&韮崎駅まで送っていただいた。支援物資に輪行でも歩きやすいサンダルに、タオル、ウエットティッシュ、そしてヒレカツサンドに桔梗信玄餅、、、至れり尽くせりだしこの時に自分が必要としていたものが全て入っていて、できる大人の優しさを感じました。本当にありがとうございました。この記事はお餅食べながら執筆してます。この場を借りてお礼申し上げます。

疲れ切った体で中央線に乗り込んだ

ヒレカツサンドを美味しくいただきながら、時に寝落ちしつつ、自走するはずだった区間を電車に揺られ、あっという間に東京に到着。予め話をつけていた友人宅に泊めてもらい、翌日自宅に帰り、第一次キャノンボールへの挑戦は幕を閉じた。

反省点振り返り

その1:ハーフ中山道を選択したこと。確かに、狙い通りメンタルは持った。けれどフィジカルが圧倒的に足りなかった。無限のアップダウンをして気付いたことだが、1,000mの登りの疲れが1,000mの下りで回復するわけがないのである。登る時間より下る時間が短いのだし当たり前なのだ。ほら、平日5日間働いた疲れを休日2日で回復しろなんて無理があるでしょう?それと同じなのである。それならば疲れをためる要因=登りは少ない方がいいに決まっている。
という当然の事実に実行前には思い至れなかったのである。

ほらこいつ10時の時点で諦め気味になってやがる。「バリエーションルート」って登山でも難しいものだし。。。

その2:想定外の停止が多くなってしまったこと。原因はメカトラ、体の不調というものだったためやや仕方ないように感じる。これで分かったことは、ファストランにおいて「停止は絶対悪」であるということだ。何十分もかけて必死に稼いだ0.5km/hのアベレージを停止はいとも容易く無に帰す。例えばアベレージ20km/hならば、遅くても10km/hでも進み続ければ全体的な減速は抑えられる。裏を返せば30km/hで走行しても平均的な上昇は獲得しずらい。つまるところ、平均スピードを上げることは難しいが、進んでさえいれば下げることも難しいのだ。ただし、停止はアッサリと平均を下げる。なんてったって止まっているのだから。だからこその停止は絶対悪。次回挑戦する際は、いかに補給回数を少なくして停止時間を減らせるかがキーになるだろう。

その3:尿意はもう、なすすべなし。なぜあの日あの時だけ頻尿になったかは定かでない。

その4:寒さに「耐えてしまった」こと。体力の温存が鍵となるキャノンボールで、寒さに耐えるなんてこと本来あってはならないだろう。耐えることは消耗を意味する。そんなことせずとも何食わぬ顔で過ごせるような防寒が必要だったのだ。これは寒さを予測しきれなかったことや防寒を過信していたがための事態であり、大いに反省している。これと併せて集中力の維持も考えておきたい。寒さに加えて夜の長さも災いして気持ちが切れて、余計な考えがよぎるシーンが多くなってしまった(滋賀県内の真っ暗な間は気を紛らわすために歌を歌いながら走ったほどだ)。よって、日の長い気温のちょうどよい時期に挑戦するべきであろう。防寒着の脱着がいらないことは必須条件だ。

その5:膝の痛みという重大な不調に際して無理をしてしまった。膝など選手生命の存続にかかわるだけでなく日常生活を考えても重要な部位だ。幸いにして一週間経過しこれを執筆している時点で日常生活に支障は出ていないが、自転車に乗ると膝に痛みが出るようになってしまった。自分の回復力の分を弁え、諦めることを覚えるべきだった。あまりにも愚かだ。

その他:これは今後意識したいことだが、バックポケットに役割を決めておくと良いと感じた。というのは、今回は適当に補給を突っ込んでいたが、この結果ゴミがどこに入っているのか分からなくなったのだ。そのためコンビニでゴミを捨てようにも素早く捨てられず、次のコンビニまで持ち越しということもあった。ポケットを一箇所空けておいてごみ入れ専用にするといった対策が必要だろう。
機材の快適性もかなり重要。いかに戦闘力が高い機材でも快適性がなければ乗り手が消耗し、結局終わってしまう。それならば多少戦闘力が低くても最後まで乗り手が元気でいられる方が大切だと強く感じた。最近のモデルが快適性を求める理由に身をもってぶち当たったわけだ。

反省点以上。

まとめ

これからキャノンボールに挑戦しようという方へ。キャノンボールには強靭なフィジカル・メンタルがどちらも必要だということを念頭に置いて計画してほしい。また、ルートは大人しく東海道を選ぶことを強く推奨する。それから数日前からしっかりと体を休めて当日フレッシュな状態で臨んで、何より「やめる勇気」を持つこと。体を壊しては元も子もない、キャノンボールは逃げない。強くなって、わからせてやればいいのです。

ハーフ中山道は軽量級で山岳が得意であることが求められると思う。PWR4はほしいかも。メリットは変化に富んでいて景色が綺麗で走っていて楽しいこと、信号が少ないことだろう。重量級には厳しい。平均23.1km/hなんて出せるビジョンが見えなった。

今回必要だと感じたのは、
・24時間起きていられること
・24時間集中が持続すること
・ハーフ中山道なら山岳ステージへの強さ
・機材の快適性
・止まらない
・健康な体
あたりだろうか。最後に関しては自分で書いていて頭痛が痛い。

次回挑戦する際は、起伏の少ないコースで日が長く走りやすい気温の時期に、快適な機材で臨みたいというわけである。

以上が、今回のハーフ中山道キャノンボールの振り返りだ。膨大な分量になってしまったにも拘らず読んでいただきありがとうございました。

最後になりますが謝辞を述べさせていただきます。まずはスタート前にカレー御馳走してくださったウッキーさん、あれほんとにおいしかったです。もし私の地元に来ることがあれば今度は私が何か御馳走したい所存であります。ありがとうございました!スタート地点に来てくれたディフォシさん、直前にカールを探していたため持ってきてくれたこと、実は気付いてました。それに空気入れの心配も助かりました。夜遅い時間にわざわざ来てくれてありがとうございました!救援してくださったつきみねこさん、DNFでフラフラの私ですがあの助けのおかげで無事寝床までたどり着けました。あの場面で救援がなかったら、正直行き倒れていなかったか自信がないです笑本当にありがとうございました!挑戦前に達成者の声を聞かせてくださったツイン(カム)ターボさん、やはり実際に達成された方の意見は役立つものばかりでした。ありがとうございました!寝床を提供してくれた友人N氏、翌日テストなのにギリギリまで休ませてくれてマジで助かった。着替えまで貸してくれて、おかげでゆっくり休めました…今度何か奢ります。ありがとう!最後に、私が自転車ライフを送れていることを支えてくれている家族に、そして挑戦にあたって応援してくださった方々に最大級の感謝を。皆様のおかげで生きていけてます。ありがとうございます。
それでは、また次回の記事でお会いしましょう!深夜2時、桔梗信玄餅の余韻に浸りながら。

参考

挑戦にあたって過去に挑戦された方々の記録を参考にさせていただきました。以下にリンクを掲載します。


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