舞台「球体の球体」…池田さんの脳内を探す旅。
初めてnoteを書いてみるので、、色々読みづらさあるかと思います💦そして、めちゃくちゃ長いので😅
誰かにというより、自分の頭の中整理のようなもので書きました。
わけわからなかったら途中離脱してください🙇♂️
◯9月19日 マチネ公演
すべてはこの日から。この帰りから私の頭の半分を占めていた球体の球体。
見たままを受け取りたいと思っていたので、あまり情報も入れず、パンフレットも講演後に読もうと思って観劇したのですが、、、これがとんでもな事に!!!
後半から畳み掛けるように感情の情報がたくさん入ってきて、私はすぐにキャパオーバーになってしまい1回目では本島の『朝食』の意味さえ捉えきれないでいました。というのも、池田さんがどのうよう考えで、何を思ってこのような舞台になったのかが引っかかってしまって、、。
まずはそのことがわからないと、私はこのお話しを自分の中に入れ込めないと思い、、帰ってから朝方まで色々と調べてしまいました。気がついたら4時近くでビックリ😳
まずは、池田さんが何故?何を思い?どこから?精子と卵子をカプセルに入れて展示する芸術を思いついたのか?どういう思いで?
そこが気になり、池田さんのイタンビューに何かヒントはないかともう一度読みに行くと、「飴屋法水さんのパブリックザーメンに衝撃を受けた」とあり、これだ!と思いそれを調べにいきました。パブリックザーメンがどんな作品なのか全くわからず、画像で検索してもなかなか出てこず、なんとか遠回りしてその画像とどういった作品だったのかに辿り着きました。
パブリックザーメン(公衆精子)とは、飴屋さんが友人方に協力してもらい実際に射精して貰ったものを液体窒素で冷凍保存して、展示にはその方達のお写真サインに指紋とプロフィールを書いた紙を並べていて、その精子を購入したい方には実際に500円で販売もしていたそうで。ちょっと驚きました。
やはり芸術家はぶっ飛んでいると、、。けれどこれを見て、あ!球体の「sphere of sphere」に繋がるなと。そこからもう少し、飴屋さんの事が気になり調べていくことに。
彼はパートナーとの間に子供がいるのですが、この子供についても「自分の子供だと言じれば自分の子供でしょ?子供の取り替え事件じゃないけれど、それはもうじるかどうかだけだというのが僕の考え方なので。だから、そういう状態なんですよ。自分の子だ、という鉄壁の“現実”が重要なわけではない。自分の子供と思って育てていく、というもしかしたら虚構かもしれないことに意味があるんです。」とおっしゃっていて、これもまた今回のお話しのキーになってくるところと被る。
池田さんのなかにいる飴屋さんを知ることが出来て、私の頭の中のモヤが晴れていくようでした。
なるほど、この方の考え方や芸術が今回の舞台または池田さん自身にも大きく影響があるものなのだと。
またこの方も演出家であり、10年前に岸田國士戯曲賞を授賞されていました。
芸術作品と発表したものも、HIVウイルス感染者の血液を『この血液は空気感染しません』とし展示したりなどど、販売できる作品ではないものがほとんどであったため、これらの展示自体が演劇のように言われてもいたようです。
芸術を演劇にする、そういった観点からも影響を感じます。
また飴屋さんは、コロナに対しても発しており、「動物世界では何割かが死ぬのは当たり前で、それが自然。しかし人間の僕は、個の命は大切だ、かけがえがない、という強い虚構を生きている・・・。人間が動物の有限性を超えようとしたからパンデミックは起きた。それを超えようとする虚構の問題を改めてつきつけていると思う。」と発言されていました。
動物の有限性。自然淘汰は動物世界ではあるべき姿。
それを自分の思想で(言わばエゴで)自然淘汰させない事を選んだ本島。有限性を超えた結果、自らは生まれたくなかったのだという人物に射殺される。
ここまで調べて私はやっとこの物語を心の中に入れる準備が出来きました。(長い‥笑)
舞台全体はとてもテンポの良い会話劇で見ていて楽しいと感じていたら、後半からの怒涛の展開が、、。
やはり本島の『朝食』が結構なポイントになってくるなと。自分の遺伝子ではないと知った父から、一切の強要をされなくなった。興味を持たれなくなった。
ずっと食べたいと思っていた朝食の食パンはどんな味だっただろうかと、、。93メートル先に別居。世間には隠すけど、自分の心は隠せない。と。そしてそのまま離婚、消息不明になった父。
その記憶から、10センチ間隔に誰かも知らない人達の使用済みのコンドームを930個、93メートル展示。
父親までの距離に、誰かもわからない産まれるかもしれなかったものを置いて行き、自分もこれらと変わらないのか?と父に投げかけているようでもある作品。池田さんは新原くんの本島はいきなりsphere of sphereは作らないだろうで思いついたのが朝食だったと話していらっしゃったので、妙に納得というか。
本当にぶっ飛んでいる芸術家の方なら、いきなりsphere of sphereを作れると思うけど、本島は違う。自分の消化しきれない記憶や想いが作品となっている。興味や頭のなかに広がるインスピレーションから作っているよりは、感情的要素の方が大きい。それは新原くんの要素なのだなと。
もしかしたら、飴屋さんまたは池田さんご自身であったのなら最初からsphere of sphereを作っていたのかもしれないなと。実際に池田さんは今回の舞台にあたって先にsphere of sphereを思いついているわけで。
父親という存在への希望と絶望。きっとお父さんの事大好きだったんですよね。育ての父から教えてもらった踊りとシャボン玉。絶望しつつも、それをずっと好きなままでいる。
血の繋がった父へは、今までに感じた事ない無味無臭。そんなこともあるのだな、と想像を膨らませるところでした。不思議に心地よいとかではなく、無味無臭。そう感じられるのは唯一血の繋がっているこの人だけなんだろうと。
1度しか会っていないのに、大統領くらい有名になれば連絡があるかな?と待っていた心があったんですもんね。どちらの父からの連絡も心のどかで(むしろ心全部で)待っていたけれど、どちらからも連絡は来なかった、、。
血が繋がっていても、繋がっていなくても、本島にとってはもうどちらも信じるに値しない。希望になりえない。
初めから自分の遺伝子ではないと知り、それでも自分の子供として大切に育ててくれる、無慈悲な愛に見えるようなもの。そこにすべての希望をかけたのだなと。血の繋がった父にも、育ての父にも愛して貰えなかった本島にとって、そこだけは幸せの場所であってほしい。そんな想いと、これだ!というような自信さえあったのかなと。(新原くん演じる若い本島はもう少しノリや怒りやそんな感情も多かったと思いますが)
実際に、相島さん演じる本島はそれなりに楽しんでいるように見えます。独裁だった国を変え、自分の作ったsphere of sphereは国民に良い影響を及ぼしている(と思っていたであろう)現状にとても満足しているような。
大好きだった踊りを踊るヒマさえなくなり、踊ることも出来なくてなってしまった今だとしても、自分の居場所と生きた証、そして自分が求めていたあるべき親子のあり方を生み出せた満足感のようなもの。
そんな物を感じ、その中で人生を終えられたのなら本望であったかもしれないと。
『決めずでいいじゃないか。世界は決まっていないのだから!』この言葉は本当の親とか、育ての親とか、そういうしがらみから救ってくれる言葉であったのだろうな。
そして、この前の062の打ち上げでも言っていた最後に足された言葉が、、。(気になる方は是非配信を!!)自分が父から愛されなかった分、自分の遺伝子の子にはここで生きていることを伝えたかったのだろうな。
そして、クニヤス。
遺伝子検査をして、大統領が父と知り驚いて央楼国を訪ねてくる。きっとこの日まで血の繋がった父が踊っていたことなど知らなかったであろう。自分も踊ることが好きで踊っていたのは、父の遺伝子なのか、、そこにいろいろな感情があったであろうクニヤス。
「なんでも作品にすることなかったのに…」
生きていて欲しかった。会いたかった。
クニヤスが日本の育ての親にどう育てられたかはわからないけれど、やはり本当の親、そして踊りという繋がるものがあったと知り、その想いはどれだけだったか。
最後の踊りは本当に圧巻だった、、✨
こんなにも感情が伝わってくる踊りを見たのは初めてかもしれなくて、、涙が自然と出た。
本島とグレイニは親から愛されなかった、岡上は愛してくれる母親はいたけれど弟は自ら死んでしまった。
親に愛されなくても、また愛してくれる親がいたとしても、岡上の遺伝子の子供が産まれてきたくなかったと本島を射殺してじまうように、競争社会のなかで劣勢、劣等感はどうしたって生まれる。このヒロシの台詞がまた、、。顔がいい、運動神経がいい…どうしたってこういうことはある。
この世界に正解なんてない。誰かには正解であるものも誰かには正解ではなかったりする。
この舞台自体もこれがこの舞台の答えです🫴と与えられるものはない。それぞれが、それぞれに受け取り持ち帰る。それこそ、産まれ育った環境で感じ方も変わるだろうし。
世界のみんな共通の幸せなんてたぶんない。私は私の想いを大事にしていきたいと思った。それこそ、ただ踊っているように。
そしてひとつ。本島が、奨学金がダメになり美大に行けなくなって、、だからその道を通ってきた人達に負けたくない!というセリフ。ここ、すごく新原くんの言葉に私は聞こえた。不思議。すっーとそう思った瞬間だった。新原くんが口に出してこなかったセリフとは全然違うかもしれないけど、ふとここは私にはそう聞こえてしまったな。
そして、何よりこの芸術作品に出逢えて良かった✨
池田さんが、これはこういう物だ!という固定観念を覆す面白さが本当に楽しかった。
届かないガチャガチャ、柱が割れて動く、まさかのポールパーテーションの使い方…。劇場に入ると、この空間自体が球体をしているような感覚にとらわれた。
私達が座っているこの空間を上空から見たら⚫️になっているような感覚。
sphere of sphereと新原くんのダンスの混ざり合いの素晴らしさったらなかった。😭
こんなに考えて、考えたくなって、何度も観たいと思った舞台は初めてで。常に変わって、進化していく。
本当に素敵な舞台が見れて幸せでした✨
新原くんの初主演舞台を観れたというのも嬉しい☺️
また池田さんの舞台も観たいし、何年後かまた新原くんとの舞台も見てみたい!!
この記憶と想いを、私もカプセルの中に大事にしまっておきたいと思います⚫️🫧
最後までこんなのにお付き合い下さった方いた!?なら本当に貴重なお時間を私のよくわからない脳内に取らせてしまって申し訳ないです😣
ありがとうございました🙇♂️