闇を祓う『アマテラス』
リーディングマスター・まさみちです。心と言葉の研究をして12年以上経ちますが、気づけば「日本神話」まで調べるように至りました。「無」の境地から様々なことを「読み解く」ことをしている日頃は心理カウンセラーしています。
少し楽曲制作にも携わっています。
もっぱら声(音)の調律を担当しています。
あと、作詞とかも協力してます。
音に心を足すと「意」という文字になり、「音」は全ての「心」を表す不思議な力を秘めています。
言霊を込めた楽曲が仕上がりました。
『アマテラス』Instagramの宣伝動画・第二弾!
『アマテラス』楽曲配信
『アマテラス』の楽曲紹介と裏話など(『姿』のアルバムの秘密公開)
今だけの限定価格での提供です。お力添えお願い致します。↓↓↓
心と言葉を研究していますと、「音」に辿り着き、その響きに含まれたニュアンスの全てを読み解いていくと、神話の世界に突入していくのですよね。
そして「無」という領域が様々あり、それを『神眼』として認識するようになりました。
108に分類出来るようになるまでひたすら自分という「神との対話」です。
神さまは「無」ですから、何も喋りません。
何も導きません。
何も教えてはくださりません。
チャネリングと違ってリーディングは自分の知らないことを拾い出す為、自分がクリエイト(創造主)として踏み出して行かなくてはならない関わり方が強制されていきます。
言葉では「導かれている」など示されていても、実質的に問題に対して総当たり的な状況に適応する「解」を見つける作業です。
山ほど瞑想して「無」に至る作業をしていたものの、結果的に私は内観と外観とを併せ持った「リーディング」という道を開いて行くことになったのです。
無価値感に閉ざされている
リーディングは『読解力』です。
もう少し付け加えるなら、以下の七つに分類出来ます。
①質問力。
②表現力。
③傾聴力。
④再現力。
⑤分析力。
⑥洞察力。
⑦読解力。
更に増やした表現を重ねるとするなら、以下の七つが追加されます。
⑧想像力。
⑨共感力。
⑩思考力。
⑪代弁力。
⑫反発力。
⑬親和力。
⑭説明力。
極めていきたい人には、以下の七つを加味することです。
⑮理解力。
⑯改善力。
⑰立証力。
⑱実行力。
⑲掌握力。
⑳十全力。
㉑聖霊力。
これらの認識力や識別する力を有していくのが『リーディング』です。
総合して㉑聖霊力と、表現しているのはリーディングはオールポジティヴでネガティヴを含まないことが絶対条件なのです。
ネガティヴを追いかけても答えは出ない事を知らなければなりませんが、これを伝えることがそもそも難しいのです。
抽象的になり詩的になり、曖昧になり雲をも掴むような表現になるからです。
それで解り易くするとネガティヴ表現に陥り、『解った気にさせて知識欲を無意味に満たす』ことだけして終わらせてしまうのです。
『リーディング』は⑩思考力なのですね。
繰り返し考えて、思案し、仮説と立証をトライ&エラーで出して行くものです。
極めて論理的で実用的で、問題があればその因果を縁起レベルから紐解いて『無』に還すことが出来てしまう力です。
『リーディング』は知力です。
祈っても何ももたらしてくれない
『リーディング』はかつて「祈り」とも呼ばれていたのかな? と類推します。
リーディングマスターのやっていることは宗教ではありませんが、仏教や神道の話題が出てくるので誤解されやすい側面があります。
今も『アマテラス』という名称を使っているので『宗教音楽か?』と思われるかも知れませんが違います。エンタメです。
多くの人は転生してきた人生観の中で「宗教はもういいや」と懲り懲りという気持ちが強く在ります。
「もう魔女狩りは懲り懲りです」
と、素で感じるほど、根源愛を信じたり、根拠のない信念など自我しか認識していない人に取っては理解できず、同調圧力として「無条件の信頼」など持っている人などは危険人物として扱われ「死は怖いも」「死別は哀しいもの」とした価値観が一般的であり、そうでない価値観は狂気にしか感じられなかったのです。
自然愛を感じている人は異教徒で、死の恐怖を信じてキリスト教などに隷属している人は正常とした認識が強かったようなのです。
故に魔女狩りが横行して、「魔女を見抜く本」などが出版されると瞬く間にそれが広がり魔女狩りが増長して「火炙りの刑」のオンパレードとなる暗黒歴史が実際にあったのです。
怖いどころではないですよ。
何をしていても「魔女呼ばわり」されるのです。
賢いことをしても、微笑んでも、泣いても、懇願しても、全部NGで「悪魔憑き」の証明にされてしまうのですから!!
もう言いがかり以外の何ものでもない。
同調して同じ価値観に染まる以外生き残る道はないのです。
心が死んでいる方が生き残れる時代だったのです。
許さない道しか歩こうとしない罪
今の日本も、思想的な話やお金儲けの話を有名人がし出すと「はしたない」といった風潮があります。
キングコングの西野亮廣さんなどは貧困教育に陥ったこの日本社会を変えるべく奔走されています。
優れた人たちはみんな「これおかしいよ」と全力で是正に向かうのですが、これがトントン拍子には進まないのが日本のおかしいところです。
いいものが広まらない社会なのです。
なぜ「いいものが広まらないのか?」といえば、それは「ストレートにいいもの」だからです。
日本は様々な想念や価値観で汚染された国ですから、「悪いものの方がいいもの」とした逆転の価値観が根付いているのです。
愛を見失っているのです。
そもそも「愛」とはなんぞや?
という程の話になってしまうようなもので、「お金を取らないことがいい人」であり、「お金を取る人は悪い人」とした無意識の価値観に染まっているのです。
無料同然で「良い話」をする人はいい人ですが、その後「お金を取る話」に繋げて行く人は「悪い人」扱いされるのです。最初から最後まで「無料」なものしか「いい人」という概念は成立していないのが日本の実態です。
そんなものでは社会は回らないのは当然ですが、感情論が全てを覆っている世界としては「お金を使う時は渋々仕方がない」から使っていて、「無料は悪いから、お金を払いたくて支払っている」とした使い方は歓迎されません。
ここに貧困教育がチラ見できます。
お金が巡る人は「無料は悪いから、お金を受け取ってもらわないと互いに気持ちいいにならない」とした関わりをしたがります。
お金が巡らない人「無料なの? 悪いねぇ。ありがとう」と無料分だけ受け取ってさよならしてしまいます。
そこに流れているのは「駆け引き」です。
安いところと比較して「買って欲しければ頭下げろや」と、買い手の方が強いのです。売り手も余所に逃げられたら首が絞まりますから「頭下げる」ことをして、互いに安い取り引きをしてしまって付加価値が高まりません。
売り手の収入が上がらなければ、全員のお金の巡りが悪くなります。
問題は「努力せずに如何に価値の高いものを安く手にすること」に全力を尽くすようになると、貧困に向かいます。
真因は『我慢すれば幸せになる』理屈です。
嫌なことを我慢して日の目を見るまで努力しても報われません。
好きなことを耐えて学んで身につけて親密なコミュニケーションをすると報われます。
そこに不可欠な要素は『許してやる』ことです。
『アマテラス』の神眼がここにある
イザナミの左眼から生まれた『アマテラス』は全てを見透す千里眼を持っているとイメージしていい神さまです。
転生前の行いから日の当たらない闇夜の世界の出来事も『アマテラス』は見えているのです。『アマテラス』の左眼は右眼と繋がっているので『ツクヨミ』で見ているのも周知しているものです。
そもそもイザナキの眼ですよ?
イザナミを失う前のことであるなら『スサノオ』も健全そのものです。
『許せないことを許すことが出来る人』と、『許せないことは許せないままの人』とでは、何においても「流れに乗る力」が違います。
仕事においても人生においても「許せないまま」と誰かを責めたまま時間を止めているような人に良縁は巡り会わせないものです。
誰かを嫌えば「自分のスサノオを追放する」ことになるものです。
気づけば「天岩戸に引きこもるアマテラスがいたりする」ものです。
流れに乗れない。
楽しく感じない。
興味あるけど踏み出せない。
商品に付加価値を感じても、踏み出せない時があるのは『追放したスサノオ』がいて許さないままでいるからです。
買うかどうか悩んでいる、迷っている場合は『天岩戸のアマテラス』が興味を抱いても「高い」とか「欲しくない」とか「まだ今はいい」とか「勝手にやってれいればいい、私には関係ない」と囁くからです。
『アマテラスの声』は引きこもりのままを継続する声を「脳内に響かせる」もので、それに乗っかるほど変革を失うことがあります。
一番の問題は「買って変化するもの」を買う前には予測出来ない事です。
みんな変化を予測出来ると思い込んでいるのが貧しさの象徴だと知らないのです。教わってもこの恐怖は取り除けません。
取り除けるのは「商品を買って変革を体験した経験を重ねている人」です。
流れを生み出す人は、「最初の一歩」を踏み出せる人のことです。
社会は全員参加型が心地よく面白く楽しいものです。全員が参加してみんなが最初に一歩を踏み出しているなら、きっと楽しい世界が始まるものです。
その変化の一歩をためらわすのが恥ずかしさです。
日本は恥を隠す文化です。
公に見せて恥ずかしいものは参加させずに控えさせることをしてしまいます。
拙い間は裏で見せずに磨いて、整ってから表で見てもらうと考えがちです。
表舞台とか裏舞台って何なのでしょうか?
アマテラスという神の眼からは裏舞台は眼を閉じているのでしょうか?
小学生がダンスの練習をInstagramにアップするのは未熟だからすべきことではないものでしょうか?
公にして表現の場として「見せていいもの」「見せていけないもの」の失敗の定義はどこにあるのでしょう?
緊張して公の場で「お漏らし」したら?
神話にあるように『スサノオ』は「神殿で糞を撒き散らした」とか「田んぼを荒らす」ことが未熟な姿の「はじまり」として認知出来るでしょうか?
『許しているつもり』
と
『許せないものを許すこと』
とは大きく違います。
緊張して「お漏らし」は何歳まで許されるでしょうか?
いつ、「許せない」という気持ちを「許す」に改めることが出来るのでしょうか?
この文脈に隠された意味や求められている解答を自分で考察して導き出すことをしたいでしょうか? それとも「何が言いたいの?」と考えるのをやめるのでしょうか?
変化の流れの中にある
変化とは何か?
出来ないことが出来るように変わることです。
①恐怖だったことが、平穏でいられることです。
②強欲だったことが、譲れるようになることです。
③勇気が無い状態から、笑顔を絶やさなくなることです。
④信頼されない人柄から、掛け替えのない存在として扱われることです。
⑤意志が希薄でマニュアルを手放せないところから、全てを身につけて任せられることです。
⑥許しがない辛い立場から、手を差し伸べ共感して人に微笑みかけられることです。
⑦知識がおぼつかない状態から、何にでも臆することなく受け答えできる状態に育つことです。
⑧どこか人の目を気にする姿から、率先して自ら飛び込んで変えていける姿に改まることです。
⑨理屈ばかりで納得しない姿から、一言えば十を学べる姿勢へと変革することです。
⑩深い絶望に打ちひしがれているところから、根源愛に触れて目覚めることです。
⑪誰も信じられず独りぼっちになっているところから、作り上げた自我が崩れ去り真実の愛に触れて愛されていたことに気づき、「無」の境地から人生を生き直せることです。
自分を変えることは出来ても「人を変えることは出来ない」と思うものです。
『アマテラス』が開いている人は他人が変わって行きます。
自分の中にある他人への価値観を変えられます。
深淵に触れる『アマテラス』の眼差し
人を応援することを無条件で始めて見ると世界は動き始めます。
誰からも理解されない闇の中にいるところで「見知らぬ他人の応援」が入ると、孤立が孤立でなくなります。
知っている人ならともかく「知らない人」からの支援などはビックリすることと「有り難くて仕方がない」ものとなります。
ただ迷惑でしかない自身だと思い込んでいたところに、光が差し込むようなサポートが届くと「一人ではない」と言葉にならない感動が生まれることがあります。
我がままでしかないと誰からも相手にされないと解っていても、孤高にも自分の信じた道を下手くそだとしてもその姿を認め寄り添う人がいてくれると頑張って行けるものです。
敵しかいないような悲壮感漂う感覚であったとしても、愛されているに違いないと信じ、変革を呼び込み変わり続ける今を生きて行けば「目覚め」はやって来ます。
自分のことだもの自分の全てを見てやればいいのです。
『アマテラス』の神眼は自分を知る為の眼差しです。
闇に追放した様々な心たちを拾い集めて一つに戻せるのです。
委ねればいいのです。
『ウズメノミコト』と『アマテラス』が出会って繋がると見失っていた『イザナミ』の眼も開きます。
流れは自らその流れに合わせようと「走り出してみる」ことです。
その時、あなたの世界はみんなの世界と重なり、飛躍した世界へと移行します。
抵抗があるまま飛び込んでみると抵抗が消える場合があります。
そんな抵抗は「課題が終了している」ことを告げているものです。
世界のカルマの解消への始まりです。
人が自然との繋がりから離れることだけでも「イザナミ」を亡くしたこととなります。それだけ「カグツチノカミ」という火の神はカルマを示し、見えぬ火は火傷しないのに火傷したと錯覚して「否定的反応を示してしまう」ものなのです。
常識を備えるほど「善悪説」に呑まれ、「カルマ」という感情的なイザナミの関わりにイザナキは感情的に反応してしまい相容れない関係を生み出し『嫌い合う』体験のまま、物別れにしてしまいます。
その悲痛な体験に間に入ってイザナキとイザナミの誤解のカルマを解き、真実を示すのが『スサノオ』なのです。黄泉の国から高天原まで、あらゆる世界を見て回ることでカグツチノカミが伝えようとしたのは受け入れることが出来た姿なのです。これは自分と他人との心の衝突の時に「他人の因果を思いやり、今すぐに全てをいきさつを知れば許してしまえる」と気づけばいいというものなのです。
カグツチノカミもまたイザナキ自身そのものであるからです。
八百万の神のどれも「わたし」のことだと受け入れられれば『アマテラス』の眼が見出すものは世界中の人々の眼を通して世界を知る力にもなるものです。
なんだか全部を見透すとは怖く感じるものですが、全てを知る程に「無」でしかなくなるので穏やかさが広がり、一期一会の「今に生きる」になるものです。
この『アマテラス』の歌を通して、神眼の道が開かれることを求めています。
そして四月からスタートした『アマテラス・リーディング心理学講座』を受講してみませんか?
興味ある方はLINE登録して、お問い合わせください。
リーディングマスター・まさみちでした!
\公式LINEができました/
▼リーディングマスターまさみち「ハピネス企画」 公式LINEはコチラ↓
\予約受付/
▼リーディングマスターまさみち「STORES予約」予約受付はコチラ↓
\リーディングマスター・まさみち・Official Webサイトはコチラ↓/
\Facebook・是非お友だち申請ください!/
\Instagram・神社からLIVE配信は神さまからのメッセージお届けしています!/