「創世神話」5話〜楽園の追放〜
リーディングマスター・まさみちです。心の潜在無意識にアプローチをして、現実を動かして、人と仲良くしていけるお仕事として心理カウンセラーをしております。
リーディングという「読み解く力」を通して、アカシックレコードなど「霊的記憶庫」にアクセスして必要な情報を降ろして、「何が起きているのか?」という問いに対して解答を得ることをしています。
「求めよ、さらば与えられん」
何の霊的能力も持ち合わせない私(まさみち)が、スピリチュアルに傾倒し、見えないものや、捉えがたい曖昧なものを識別して表現出来るように変わったので、「見えない人の気持ち」も解れば、「見える人の気持ち」も解るようになり、それで仕事も出来るようになりました。
この「見えない系がわかる能力」で私なりに気になる「創世記」について読み直しております。
この連載である「創世神話」を本当のこととして認識する必要もありません。『真実』か? 『虚偽』か? という認識をしようものなら、「悟りを開く」必要性まで出て来てしまい、悟りを開くには、根源の愛そのものに辿り着く必要があるからです。
そのような「悟りを開く」ようなものは、誰しも求められているものであり、求めているものです。それは「その時が来た」とするならば与えられるものです。ですから焦る必要もなければ、努力する必要もないと私は思っております。
けれども、物事とは、真実を織り込むほど「読みにくくなるもの」であり、虚偽を織り込むほど「簡単に読めるもの」です。真実でありつつも抽象度を大きくすると「読めるもの」ですが、「難解さは増すもの」にもあります。
抽象的であるほど「誤読」ばかり生まれてしまい、真理の探究にも繋がりにくいものです。虚偽が含まれる解説が伴う程に「真実からかけ離れるように感じられ」、本当に捉えたかったものが得られなくなるものです。
ここでは創世記が記された当時の表現を、言い伝えた存在たちの目線を借りて捉え直す作業をしています。それ故に、私(まさちみ)の霊的な能力に多分に依存するものとなります。
知恵の実
創世記に記されているアダムとイヴが禁断の果実を食べたことで楽園の追放が為されていることを示しているものです。
禁断の果実とされる「知恵の実」とは何か?
要約して表現するにしても、「知恵の実」の解釈はこのように陰陽の両側面で表現すると44通りに表現することが出来ます。
「楽園の追放」という言葉からも、ポジティブさは感じられないものです。
この「知恵の実」という表現は、「賢さを装っても無意味」であることを伝えるものですが、アダムとイヴが原罪というカルマを背負っている為、「互いに許し合い、助け合う関係性を諦めることなく保とう」と促すものです。
知恵の実を食べるようにそそのかした「蛇」は、集合無意識の相対の概念のことです。人類を創成するに当たり、その当時の地球に関わる宇宙人の総意があり、その総意に相対に位置する概念が「蛇」になるのです。
宇宙人たちが「陽・友に出来たらいいな」とホモ・サピエンスに言葉を与えようとして人体実験を重ねた背景に、「陰・対等な友とは思えない」が生じてしまい、心の中に「孤独でしかない気持ち」が浮かび上がり、それらの感情や思考や認識や経緯となる関係性の構築された現実のことを『蛇』と説明しているものです。
「孤独でしかない気持ち」の中で生まれたアダムには「陽・誰からも認められている筈がない」とした想念が浮かび、イヴには「陰・側に居ることなど求めて良い筈がない」という想念に取り憑かれ、13のカルマを抱くことになるのです。
人類の親に相当するアダムとイヴが互いの存在を認知しながら、受け入れて貰えていない感覚が生じており、それが人類には「拭い去ることが出来ない孤独感」をもたらしたのです。
この孤独からの解放がアダムとイヴに訪れた為、人類は次の学びに入ることが出来、楽園からの追放がなくなったのです。
楽園と生命の木(実)
楽園とは、根源の愛に繋がっている状態のことです。
生命の木(実)とは、万物と相対に位置する肉体(複数形も含みます)のことです。
楽園の追放とは、肉体が愛の具現化した姿であることを指し示すものですが、西洋的表現の「肉体・ボディー、器質体・エーテル、感精体・アストラル、純魂体・ソウル、光真体・コア」となるものと、東洋的表現の「食物鞘、生気鞘、意思鞘、理知鞘、歓喜鞘」としたものからなる繋がりが「途切れている」ことを示します。
簡単に表現し直すと、肉体と精神がバラバラで繋がりが途切れていることを「楽園の追放」と扱っているのです。
深い祈りを捧げても、ヨーガをして瞑想しても、自身の純粋性となる「ソウル・理智鞘」や「コア・歓喜鞘」と呼ばれる根源に近い思いに到らない人は多く、繋がるには「アダムやイヴが抱えるカルマさえも内包する意志」が必要であるとは知らされていないからです。
アダムとイヴのカルマが解消された今なら、根源の愛と繋がりやすくなっている為、覚醒して目覚めていくタイミングが訪れていると知ってください。
知恵の実を生命の木(実)のある楽園に返すことはカルマの解消を示すもので、「嘘」がなくなることです。
これにより、「嘘」=「根源の愛に繋がっていない表現」をつく生き方をしている限り、苦しみが増大してしまうのです。
これはアダムとイヴの楽園の追放があった中でも「嘘」は苦しみを招くものである為、「知恵の実」は食べないことを教えようとしていたのが「創世記」なのです。
神という、自身の底にある「他人を無条件に信じ抜き」友を求める心に従う限り「知恵の実」は必要とせず、「今を生きる」限り、恐れることも惑わされることもないものとなります。
友(人)を信じなくなる心は、「知恵の実」を食べたことになり、アダム(男性)に対して女性たちは、ネガティブに陥るのです。
同様にイヴ(女性)に対して男性たちは、ネガティブに陥るのです。
などの判断を下すこととなり、行動として他者の目から確認出来なくても、これらは自身で識別しなければならないものであり「主観的に捉えて改める」という発想を抱くまでは継続してしまうものです。
これらで関わってしまう人も、関わられている人も、楽園の追放者だと自覚して、カルマの解消に取り組まれてください。
宇宙人たちは、これらが地球人だけのものだと当初は判断しており、未熟さ故の愚かしさと考えていましたが、宇宙人の中にも制御不能の行動を取る人が現れて、相対的な問題を引き起こすと気づいた為、地球と縁を切り、地球独自の進化を促すしか道はないと解ったのです。
それ故にこれ以上の星の崩壊を防ぐ為に、仲間同士で争うことが起きぬように、宇宙人たちはカルマの解消の道を模索し、地球人類は地球人類同士でカルマを解消出来る独自の道を開いてもらう為、居なくなったのです。
どの時代も、どのような体験もいつも「壊れてから気づく」ものとなるのです。
そして二度と繰り返さないように「哀しみを忘れない」とすることでカルマが発生し、その誓いによる「忘れない」願いのために再び「哀しみ嘆く体験」が創造されてしまい、無限ループの哀しみの連鎖があるのです。
その危機的な状態に及ぶまでにシリウス(おおいぬ座)やイーター(魚座)の宇宙人はその霊性の高さから忠告をしていたものですが、全体の意見として取り扱われることはなかったのです。
「もっと強く言ってくれれば」
と、言われる側は願うのですが、言ってる側は「伝えても変わらなかった」と振り返るものです。
カルマは、「言われてどうなるものでもなく、自身で気づくしかないもの」です。
そして、人に相談して気づけるカルマの解消の道は生まれたものの、「考え方を人に修正されたくない」という問題があります。
これは、「相談している事実があるにも関わらず、アドバイザーの提案を「はい」と全面承諾する精神からは取り組まない」ものがあり、「ちょっと待って」、「いや、でも」、「それだけは避けたい」などと、否定から始めてしまい「知恵の実」を食べた執着からは抜け出せないジレンマを抱えているのです。
大勢の感情的な気持ちの間違いを一人で解決策を見つけた正解者が発言しても正すことが出来ないカルマがあるのです。
ネガティブな多数派の意見に、ポジティブの少数派意見が勝る道を開くことが解決に到るものですが、他人の問題を自分の問題として扱える精神を養うのは困難です。
それでも、みなさんには考えてみて欲しいのです。
どれが「根源の愛」からの言動であるのか、どれが「知恵の実」からの言動なのか? その識別は自我となるエゴの心では見極めることが出来ないものです。
けれども、この肉体が喜び溢れる時にみなぎる力をパワーと感じられ、何かに恐れ対抗心でみなぎる力をフォースと感じられる区別がつくのであるなら、その区別を絶えず確認しながら生きて欲しいと願うものです。(※筋肉反射反応と呼ばれるキネシオロジーテストを使えば、パワーかフォースかは区別可能です。質問者、解答者、質問内容、超越した解答内容のいずれもポジティブである状態でなければならない条件をクリアして取り組まれてください)
つづく。
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