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帝釈天の転生世界②

リーディングマスター・まさみちです。立体曼荼羅の21体の仏像と意識をシンクロさせてリーディングという読み解く力を使うと、何が閃き降ろされるかを実験中です。(19/88)

“見えない世界”は科学的根拠が曖昧で、再現可能性の論理性を持ち合わせて表現出来ないことが、スピリチュアルを始め、精神世界に対する懸念や疑念が払拭されなくなり、何か新しいことや、認識の外側にある概念などが来ると「それ宗教?」と、侮蔑を含んだニュアンスで牽制し、関わり合いを持ちたくない文化を形成しているのが、日本の現状だと類推しております。

そんな中で“見えない世界”についてガチで取り組み、それを仕事にしてリーディング心理カウンセリングというものを実践して、心の救助活動をしております。その力でもって、不可解な仏像の世界を読み解いてみたら、何が解るのか? こんな解説なら、科学的な根拠に繋がるのではないかと思い取り組んでいます。

私の取り組むリーディングは、物理学です。“量子もつれ”という相関現象を利用して、心に触れ、動かし、心理的トラウマの解消をするものです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/量子もつれ

時間も空間も存在しないなら、空海が作った意図や思いなども記録されており、それをリーディングで読み解くことが出来れば、「こんなニュアンスだよ」という説明も出来るのではないかと思っております。

悟りや覚醒という「目覚め」とはなんぞや? という体感を持つ者として、抽象的で論理性の欠落している「信じればわかる」というものではなく、「信じるしかなくなる」といった感覚を提供出来ればと思っております。

悟っているので「大日如来」とは何を表しているのか? というのも「わかる」感覚があるので、その分身である20体の仏像の意味やニュアンスも「わかる」ので、それについて「空海はこういうように伝えようとしていたんだ」と解説出来れば、リーディングという知力が有効的なもので、いかがわしくもない素晴らしいものだと解ってもらえることを望んでおります。

帝釈天(たいしゃくてん)という、仏像について解き明かしたいと思います。

元々インドラという神でもあり、梵天と同様にバラモン教やゾロアスター教やヒンズー教などにも見られる神です。軍神や雷霆(らいてい)神、天帝や天皇といった表現もあり、生きている人に映し出すことがよくありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/帝釈天

梵天とセットで帝釈天が表現されるほど、この二対の仏は重要な意味を持つもので、心のどんな部分を担っているか感じていってもらいたいものの、帝釈天の存在は近くにありながら認知の外にあるような大きなものです。

帝釈天②
全体(集団の無意識)における想念の“うねり”が存在しており、その“うねり”と共に生き、関わり続け、“うねり”が沈静化するまで全体の意識に従い、流れていくものであり、善悪の明確な識別を好むことで共通の敵を生み出し倒そうとする意志の集まりのことを指すものです。個人レベルにおいては、とても小さな力であり、それが共通の認識により同調する共振現象として働き、流行とした“うねり”が形成され、強大な力となって様々な物事を巻き込む力があります。「情報操作」に乗せられやすいもので、個人レベルの判断より、流行とした“うねり”の力の方が個人レベルの判断力より勝りやすく、長期的には損失でも、短期的には得点があると感じられれば人は動くものとされ、どれだけ全体(集団の無意識)と感覚器官を連動させつつ、関わる人たちの好意や悪意に乗せること、乗ること、乗せられること、乗らぬことでもたらされる心の働きのことです。常に陰陽の対極に分かれて概念が存在しており、その時々の時流があり、昼行性←→夜行性と別れたり、男性寄り←→女性寄りと別れるなど、本来陰陽となる二つで一つのものが、別々の概念で形成される感覚的な“うねり”が生じ、それに多くの人たちは無意識下に呑まれてしまい、抗うことが出来ない強大な力に従うしかないことを教えるものです。それでも、“うねり”は小さな個人レベルの感覚の集合体である為、個人一人ひとりの気持ちを汲み取ることが出来れば、この“うねり”そのものと意識を合わせられるようになり、時流を生み出すことも可能となるものです。その“うねり”とは負の感情で形成されるエゴの思考であり、そのエゴの味方であり、エゴの共通の敵を倒す為に結集するほど仲間を増やすことが出来、思い通りの世界を形成することが出来る『恐れの力(フォース)』が中心的にあり、敵を倒すことで正義を喜び、一時の平和を勝ち取る為に無限に戦い続ける軍神のようなエンターテイメント性を渇望するものです。現代においては、「悪をぶっ倒せ!」という気持ちを共感し合える部分と、同調出来るほど、全体の力を借りられ流行を生み出すことが出来るようです。純粋に美しいものを好み、穢れを祓い浄めて壊れたものを元に戻し、使えなくなったものでも使えるように治す働きがここにはあります。自分自身に取って、いつも欠くことの出来ない太陽(火)であったり、大地(土)であったり、空(風)であったり、海(水)であったりするものが、陰陽に分断されているものを、もう一度元の状態に戻す働きがあり、それを雷霆(らいてい)と比喩して別々のものが同じ一つのものだと気づかせる大いなる力がここにあることを教えるものです。この仏性に触れると、心の欠片たちが一つに戻り、本来の機能を果たすようになると、見えなかったものが見えるように変わり、見失った愛を見つけられることを示すものです。自身と関わる全ての人を愛する心の全体の姿でもあります。

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帝釈天の姿ですが、下に「象」がいて、それに座っているのは、「象」という姿が集合無意識や、自身の生み出す強大な力のカルマ(行為)には、自身で抗うことなど出来ない壮絶な反作用をもたらす象徴として示されているものです。

その「象」という強大な力さえ、四散した心の欠片たちを一つに結集することが出来ると、あらゆる苦しみを消し去ることが出来るものです。

インドラの弓(雷)などマハーバーラタなどで紹介され、多くのゲームや物語に登場する人気の神さまで、何を持って「雷」という強烈な力の象徴として表現しているのか、上記の解説から「群衆のエゴの偏りが高まると、それが弾け飛ぶ力は、あらゆるものを破壊し尽くす」といったニュアンスがあり、時の権力者は、この力を読み解き、然るべき時に戦をしかけて勝利を収めることが出来たのです。ただ、大体はその力に溺れ、時代の移り変わりと共に別のインドラの弓が引かれ、それが放たれた時、権力者であったとしてもその地位を失うことになるので、思うようにコントロールが出来ないエゴの力を示していたりします。故に「軍神」として扱われて、「流れを読む」ことが出来る巫女とかがとても重宝された時代もあったのです。

集合無意識が溜め込む力を読む力があるなら、人心を掌握して見せてしまう天帝となり得る存在に、人が到ることもあるということです。

これが仏教では、梵天と帝釈天は護法善神と扱われているもので、このようなエゴエゴな戦いに活用するものではないことを告げているものです。

人の善良な心に働きかけ続けると、奉仕の精神が機能すると、誰もが助け合い、支え合うことで喜び合うことが出来るのも、帝釈天の働きだとするものです。

「奉仕しましょう」とか「ご奉公」とかで、河原のゴミ拾いやら、自治体の活動の参加など、みんなで助け合って、「良い町作りをしよう」といったものも、帝釈天の働きだと解釈すると、そこかしこにあるとわかるものです。

繋がり方
帝釈天そのものと重なり(下の象も含む)
、「身動きが取れないのは何故ですか?」と、問いかけることで浮かび上がる思いを、書き出していくことで、自身が象によってがんじがらめになっている思念の縄が解かれていきます。

自分「身動きが取れないのは何故ですか?」
帝釈天「嫌われるのが怖いから」

自分「身動きが取れないのは何故ですか?」
帝釈天「人を信じることが出来ないから」

自分「身動きが取れないのは何故ですか?」
帝釈天「人に裏切られるのが怖いから」

自分「身動きが取れないのは何故ですか?」
帝釈天「人と深い繋がりを持ちたくないから」

自分「身動きが取れないのは何故ですか?」
帝釈天「自分自身を自分が信用していないから」

自分「身動きが取れないのは何故ですか?」
帝釈天「いざとなったら逃げ出す自分を知りたくないから」

自分「身動きが取れないのは何故ですか?」
帝釈天「自分に厳しく出来ないから」

自分「身動きが取れないのは何故ですか?」
帝釈天「自分に嘘をつき続けて、楽しいことをしていると思い込ませているから」

自分「身動きが取れないのは何故ですか?」
帝釈天「弱いと認めないから」

自分「身動きが取れないのは何故ですか?」
帝釈天「『助けて』と言わないから」

自分「身動きが取れないのは何故ですか?」
帝釈天「わたしを友だと受け入れないから」

自分「私でいいの?」
帝釈天「一緒にいるよ」

自分「ありがとう」
帝釈天(微笑んでいる)

といったやり取りが出来ると、良いのですけれどね。
帝釈天との対話はピンキリとレベル差が様々あり、最高位になるとインドラの雷と称するような一瞬で気づきをもたらす壮大な力を与えてくれるようになります。

タイトルに「帝釈天の転生世界」と称しているのは、帝釈天の下の象さんのようにカルマ(行為)の力に抗えない自分の末路が、今世であるのです。転生もののマンガが流行っていて、私もよく読む方ですが、「転生したら現代でした」という事実から目を逸らさないことですし、「何十回目? のこのやり取り?」と、無限ループの罠に陥っている“うねり”から抜け出せないエゴに負けっぱなしの自分を見つけ出すことが今世の課題だと気づいていただけると良いです。

この帝釈天との対話を際限なく続けることが出来る人は、心の雑念や煩悩をことごとく消し去る力を持つに至れます。自分の心が自分の心だけで出来ていないと悟れる者は、大きな気づきを得られ、より仏性に従える強い自分に育ちます。



いかがでしたでしょうか?

では、また。

リーディングマスター・まさみち。


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