生命やらなんやら
物事の本質や真理などツラツラ考えてたりして、色んなこと紐解いて争いなどの根源を治してます。
ふと、言葉の凄さを考えた。
物事は「陰陽」がある。
「人物」ってのも陰陽の言葉だ。
物は人から生み出されたり、その人の身の回りの物を見ればその人の心が見えてくるようなところがある。
身なりとかね。
人→物
って流れがある。
「生命」って陰陽の言葉もある。
命は生まれるもの。
物に命を吹き込むには、生み出し続けるものがあるとパワーを帯びる。
現在進行形のものがより命が宿っている感じがする。
完成させる過程が魅力的だ。
「人生」ってのは、生きることが人そのものを表している過程そのものを表している。
生きるには、人であり続ける必要がある。
「神人」と言う言葉は、普通使わないけど、人である為に神から与えられた生き方にそうものと感じている。
これが難しい。
「魔人」とも表現出来てしまうからだ。
「自我」も同じだ。
本来は「真我」で在ればいいが、我を生み出す真が解らない。
解らないものには従えないから、それっぽい「教養」で身を固める。
養うための教えはどこから来たのだろう?
「真理」から理を生み出した真を知る「自然」の自分と、知らない「自滅」の自分とが、心の中で同居していて「あーでもない、こーでもない、なんでそんなことするの」と、やり合っているように思う。
「真」が何か解らないから、触れられないし、近寄れない。
もし近寄り触れもしたら全部解って、「自滅」しようと生きていたと気づいた「自我」が崩壊して、「信愛」に目覚めるかも知れない。
愛を生み出すには、信じる必要があると、言葉は示してくれている。
自らの中にある真に従えたら解ると思う。
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