未来を予測するより変化体質に
今のうちから、あとのことを想像しておこう。
「まさかの事態」に、もう二度と、不意を突かれないために。
48時間限定で行なったウェブでの全文公開は、累計90万ビューを記録して、発売前から各所で話題沸騰になった、イタリアの小説家パオロ・ジョルダーノによるエッセイ『コロナの時代の僕ら』の一節です。
イタリアでコロナウイルスの感染が広がり、非常事態下の2月下旬から3月下旬に綴られた、「コロナの時代」を生きる人類のための道しるべ。
心に沁み込んできたり、ハッとさせられる言葉がいくつもあります。
最善を望むことが必ずしも正しい希望の持ち方とは限らないからだ。不可能なこと、または実現性の低い未来を待ち望べば、ひとは度重なる失望を味わう羽目になる。
希望的観測が問題なのは、この種の危険の場合、それがまやかしであるためというより、僕らをまっすぐ不安へと導いてしまうためなのだ。
最悪の事態を具体的に想定することは、恐怖であり、ストレスを感じることなので、ついつい良い未来を望んでしまいがちです。今までの日常が戻ってくることを期待しています。
最悪を想定して、最善の準備をしておけば、結果的に大事に至らなければ取り越し苦労で終わることができますし、最善の準備をしておけば自己変革につながることもあり、自分を変えるチャンスでもあります。
外出自粛によりテレワークでの働き方が増えています。
緊急事態宣言が解除されれば、通常通り出社するようになるから、今を我慢すれば良いと考えて、現状維持のままで過ごすケースも多いかと思います。
一方で、この流れは不可逆的で、元通りには戻らないと考えて、今までの働き方や仕事のあり方を見直す絶好のチャンスと捉えて、いろいろと実験してみるのか。今まで当たり前のようにやっていたけど、「これ、いらないよね?」という仕事も結構あると思います。時間管理において「減らすことを決める」が大事と言われますが、平時ではなかなか減らすことを見つけるのは難しいです。でも、こういった状況下では、強制的にできないことがありますが、意外と、やらなくても困らなかったりします。いい機会ですね。
今度の流行のあとで何が起きるのかの予測は複雑すぎて、僕にはとても無理だ。降参する。その時が来たら、変化をひとつずつ、受け入れていきたいと今は思っている。
Afterコロナ、Withコロナといった形で、これからの予測の雑誌や記事が増えてきており、できるだけ情報収集するようにしていますが、正直、どうなるか難しいことは分かりません...
ただ、一つだけ言えることは「変化」は間違いなく起きること。
その変化に対して一歩先、半歩先を歩んでチャンスを掴むことは難しいかもしれませんが、常に何が起きていくのかにはアンテナを立てて、
「変化が常態」であるという意識で変化を受け止めて、変化体質になっていこうと思います!
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