地元に帰ってみてわかったこと〜NO MORE劣等感、再び〜
二泊三日で、地元に帰ってきました。
思い出のレストランに行き、昔通った学校を巡り、色んなものが様変わりしたな…なんて思いながら、三日間過ごしました。
我儘を聞いてくれた家族には本当感謝です。
あんなに嫌いだった地元も、離れてからの方が長くなってから帰ってみると不思議な引力があって、何となくいい事しか思い出さなくて…実はいい場所だったのかな。と錯覚しそうになりました。苦笑
過去に行ったことがある場所を巡っていく中で、ひとつの出来事を思い出しました。
たしか幼稚園児か小学生だった頃、おもちゃが欲しくて母親に伝えた時に困った様な顔をして「う〜ん…」と言われ、何も言わずに自分が棚に戻したことと、その時の母のホッとした様な表情を。
その瞬間に「この人には甘えてはいけないんだ」と悟ったことも。
特段裕福でもない所謂普通の家庭で育っていたつもりですが…姉と弟、三人の子供を抱えて夫婦共働きとはいえ自営業、そんなに余裕はなかったのかもしれません。自分が親になってみて分かることもたくさんあります。
少し家族の話をさせていただくと、父親は九州男児を絵に描いたような人で、躾も厳しくてよく怒鳴られたし拳骨落とされたし(今では考えられないですが 苦笑)、次を考えて動け!みたいなことをたくさん言われた気がします。
そんな父に懐くわけもなく、色々あった結果、連絡を取らなくなり…つい数年前に自身のトラウマを払拭すべく「俺は貴方にとって必要な子供でしたか?」と聞いてしまいました。苦笑
今は年に数回メールをする仲で、大学院に入ったことも喜んでくれました。
卒業式には、父が昔履いていたリーガルのウイングチップを履いて参加したいと思います。
弟は人当たりもよくて、成績も良くて、ラグビーは福岡・九州代表に選ばれるくらいの選手で、常に比べられて劣等感しかなくて。ただ、死ぬ勇気もなくて「家にいたく無い」という理由で学校に通って…そんな日々を過ごした地元だったんだ。と今回再認識してみて、自分がなぜプロボノや寄付にこだわるのかな?ということの答えが出てきた気がしました。
理由は、過去の自分を救いたかったから。
足のサイズが合わなくなっても言えなかったり、欲しい本があっても言えなかった。本当はもっと色んな人に自分を見て欲しくて、認められたくて、認められたくて…でも全然満たされなくて。
今更過去に戻るのは無理だから、少額でも寄付をしたり本を寄贈したりして、自分の過去と同じ体験をしている人を減らすことで、自分の過去を救いたいと思っているのかもしれません。
所詮は自分のため。
それでも、少しでも誰かの役に立つのなら、きっと続けていくと思います。
大学院の授業で自分の過去を棚卸してみて、最終日に出てきた言葉は
"NO MORE 劣等感"
これまでは色々なモノに対する劣等感で自分を鼓舞してきたけれど…これからは、GIVEをモチベーションに生きていこうと改めて感じました。
今目指すべきは、正当に評価される社会。
障害者だろうが、健常者だろうが関係なく、自分らしく生きられる社会の実現です。
生きている間に叶えられるかは分かりませんが、まずは出来ることをコツコツやっていこうと思います。
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