婚活のキホンを整理する
日頃から結婚に関するメカニズムを追ってデータを読み漁っているのだけど、読めば読むほど、これは一言では言えないぞ、と複雑さに舌を巻く。
それを踏まえたうえで、データからわかることと個人的な考察を書いていく。
正直長いので最初にいいたいことをまとめておきます。
1.結婚相手に求められているのは家庭生活の優先度と愛情表現力である
2.晩婚(30代、40代での結婚)はマジョリティではないが都市文化的ライフサイクルにフィットしている
3.晩婚(30代、40代)でも結婚できる人はよっぽど恵まれている人か努力家なので褌を締め直して挑むべき
4.婚活における1番の武器は愛情表現力である(ここが1番言いたいこと)
1.結婚に必要なのは家庭生活の優先度と愛情表現力である
婚活において結婚できるかどうかの重要な要素は、
①家庭生活のプライオリティが高いか
②愛情表現が身についているか
である。
いわゆる現在の婚活システムは、①か②がない人のためのものである。
つまり家庭生活へのプライオリティが高くないために晩婚気味になったり、恋愛経験が少なくて愛情表現が身についていないタイプへの支援なのだ。
プライオリティが高い人はそもそも早婚
とにかく結婚したい人、というものがいる。いわゆる「結婚願望強い人達」である。彼らは10代20代で結婚していく。
これは能力とか努力ではなく人生の優先事項において結婚が上位だからだ。
結婚のプライオリティが高い人は当然結婚する。優先するものには多くリソースが振り分けられるし、早く確信を持って動けるために人より先んじることができるからだ。
このタイプは似たタイプを見つけるのが上手く、似たような優先順位を持つもの同士で結婚する。(地元に残る相手など)
早婚派・晩婚派の違いには生来の遺伝子的傾向や土地柄・家庭環境という環境要因が影響しているが、なんにせよ人生において結婚の優先順位が高い人と低い人はまったく別のグループとみなしたほうがいい。
あとからプライオリティが増してくる晩婚タイプ
家庭のプライオリティが元々高くない人は、30代40代ぐらいで「そろそろか?」と思い始める。結婚しないとは思っていない、むしろいつかはするものと思っているけど「若いうちではない」「仕事が忙しいうちはできない」と後ろ倒しにしてきたのだ。
私もそうだったが、このタイプは「現代においては結婚は多少遅くても問題ないはず」「仕事で経済的に落ち着いてから」という認識がある。しかし、データからすると、晩婚で結婚できるということがむしろ例外的なことであることがわかる。
初婚年齢については、最頻値は26-27歳。
中央値は27~29歳、平均値は29~31歳。
このグラフを見ると、かなり男女差が少ないのがわかる。
女性も男性も、20代後半が最も結婚する年齢なのである。また別のデータによれば、初婚として一番多いのは同年齢婚である。
こういったデータ結果に、「そんなはずは」と思う人は多いのではないだろうか。「30代以降での結婚って普通だよね」と思っている人は多い。特に男性は「男として箔が付き、お金がある30代、40代のほうがむしろ結婚できる」という意識が強い。けれど、実際はお金がないはずの若い世代のほうが結婚しているし、同年代での結婚が一般的なのである。
「女性はイケメンが好きで次にお金が好きな生き物だ」と思っている人がいるかもしれないが、データとしても私自身の経験としても、女性はどちらかというと近くて親しい人と結婚している。いわゆる「縁のある人」である。
芸能人レベルのイケメンがいいとか、とにかく年収一千万以上! とか言っているのは極端な少数派である。男性上位婚(男性側のほうが学歴も経済的地位が高い結婚)の割合は減っているのである。
縁があり近くにいて親しみやすく、自分と同等に未来がある人(今は若いからお金がないかもしれないが将来はなんとかなりそうだという人)が結婚相手として最も選ばれている。
これに関しては、つがうという行為がそもそも「同じジェネレーションで育った相手とお互いに性的成熟したら行う」というのがコアパターンであるか
らではないかと思う。
なので早婚・同年代婚・同類婚がマジョリティであり、晩婚・年の差婚・格差婚はマイノリティなのだ。
2.晩婚(30代、40代での結婚)はマジョリティではないが都市文化的ライフサイクルにフィットしている
晩婚型の人はむしろ自分たちをマジョリティと思っている(私も含めて)。それも当然だと思う。現代の人間社会の文化的ライフサイクルに忠実にフィットしようとすると晩婚にならざるを得ないからである。特に都市型は。
人はライフサイクルが長い生き物なので生殖期間が長めであり、また文化的な複雑な社会を構成しているので結婚は単純な繁殖目的(性的な要素)以外の文化的な意味が強い。結婚は性的衝動を満足させるものというよりは、社会的なものである。社会的に認められた共同生活の利便性・経済性・名誉性・心理的な安心感を与えてくれるものだ。
晩婚タイプはそういった社会的な人間としての価値を優先している人たちである。学歴を得て、仕事をして、と階段をひとつひとつ上ってきた。その先に結婚という踊り場があり、そこにおいては今まで踏んできたステップがプラスに働くに違いないと信じている。(だって社会における正解の階段を上がってきたのだから!)
しかし実際のところは、社会人修行期間が結婚に有効に働くことは確約されていない。結婚は社会的な梯子上の踊り場ではないからだ。
むしろ、そのような学業・仕事にばかりリソースを振り分けることによって人と付き合う機会を逸し、愛情表現を学ぶべき時間を失ってることもある。
自分の社会的価値を向上させることと、人に愛されることは同じベクトルではないのである。
3.晩婚できる人はよっぽど恵まれている人か努力家 なので褌を締め直して挑むべき
婚活システムの台頭
社会的な自己の価値を高め、家庭をもつ下準備を終えた気分でパートナーを探す市場に戻ってきた人間は壁に直面する。市場において自分があまりにも未熟であることを知る。「こっちのことには疎いんですよね」という苦笑いは後に深刻な辛さになる。
冷や汗をかいて、彼らは思う。時すでに遅しなのでは…?
それは実際の年齢や若さという問題もあるが「若いときに恋愛修行してこなかった」という問題もある。
いくつになっても学び直すことはできるかもしれないが、やはり若いうちに学んでおいた方が飲み込みが速いし傷が浅い。英語を早めにならっておいたほうがいいのと同じである。成人してから学ぶと失敗が多い。
けれども年月は巻き戻らない…。
そういった人たちが婚活システムに吸い込まれる。
婚活システムは転職活動におけるITスクールのようなものだ。「未経験歓迎」「いつからでも遅くは無い」と謳っているが、実際は途中参戦で上手くいくことは稀である。
よっぽど素質があるか、よほどの努力家、もしくはその両方でないと人に追いつくことはできないだろう。
婚活システムに加入したからうまくいくはず、と思っている人は、ITスクールに入って満足してしまっているのと似ている。
入ってからが勝負である。自分に厳しくないとその道は険しい。
今までの自分を変えるような気概がないと成就することは稀だろう。
婚活しても結婚しづらい人の状態として、下記のような2パターンが挙げられる。
①結婚のプライオリティが低いのに無理に婚活する人
②プライオリティは高まったが遅咲きのため愛情表現ができない人
①プライオリティが低いのに無理に婚活する人
このタイプは当然結婚しにくい。魅力的でないからではなく、家庭愛への執着がなければ結婚に価値を感じられないからである。
価値がなければ当然本腰を入れないし具体的なイメージはわかないし決断もできない。結婚生活にプライオリティを持つ相手を見分ける嗅覚がないからそういう相手を好きになれない。相手からも好かれない、本気ではないと見透かされる。
積極的に家庭生活を送りたいわけではなく他にしたいことがないからという消去法だったり、家事をやってくれる人を雇う感覚だったり、華やかな虚構だけを追いかけてたり、(女性の貧困などの)やむにやまれずの背水の陣として結婚に足を向けているだけなのだ。
こういった目的で婚活をすること自体はまったく悪いことではないと思うが、本心との齟齬がある戦略というのは様々な形で弊害をもたらす。
②プライオリティは高いが遅咲き過ぎて愛情表現ができない人
正直、この記事の一番の要はここだ。
「結婚したくてもできない人は、愛情表現ができない人では?」
このタイプは遅い段階から愛情について学ばなければならない。
自分に足りてないということに自覚的にならなければならない。
これができない人が多い印象である。
誰だって年取ってから自分を変えるのは難しい。。。
けれどもポジティブに言えば伸びしろがあるということでもある。若くはなれないが、愛情表現を身につけれる可能性は0ではないのである。
4.婚活における1番の武器は愛情表現力である
婚活で一番重要なのは愛情表現である。
結婚や家庭生活が持つ一番の価値は間違いなく愛情のやり取りだからだ。
人は愛情が欲しいし、愛でたり愛でられるのが好きだ。根源的に気にかけてもらったり気にかけたりしたいのだ。そういう愛情の持つ安定した暮らしが安定した心をもたらす。
人は社会的(ポリス)な生き物であると同時に、家族的(イコゲニア)な動物でもある。
けれど勘違いしてはいけないのは、「好きを押し付けること」「性的欲求を表現すること」が愛情表現ではないということである。
相手が望んでいないのに勝手に体に触れたり、呼び捨てにしたり、くどくどと口説き文句を並べて迫ることは愛情表現ではなくただの迷惑野郎である。関係性の段階ごとに適切な愛情表現がある。
また、表現というだけあって目に見えるものでなければならない。表現力は繊細なパフォーマンススキルである。スキルと言っても形式的なテクニックではなく、根と葉もある、感情のあるパフォーマンスだ。
デフォルトで備わっているようなものでありながら、実際はかなり高度なコミュニケーションである愛情表現。身につけるのも継続するのも難しい。
自分で気付けないところは人に教えてもらわなければならないが、マニュアルをもらえるのではなく相手の反応を見て少しずつ学んでいくものだ。
人生経験、情操教育に近いが、年齢がいくと誰も教えてくれないし相手になってくれない。
適切な愛情表現は言葉で表しにくいものだが、あえて表現してみると、
・愛のある言葉遣い
・愛のあるボディランゲージ
・配慮的行動
・逃げたり放棄したりしないという信頼性の表現
・自分の時間を与える
・尊重的公平性(フェアネス)
である。
様々な人の婚活記を読んでいると、上記のような愛情表現ができるかできないかには男女差、時代差が大きいように思う。男性かつ古い時代の人のほうが愛情表現ができていないことが圧倒的に多い。
これはおそらく、上記のような愛情表現が「古いジェンダー規範により女性が常に男性に対してそう振る舞うように強制されること」だからであろう。
女性は会社でも家庭でも上記のような「愛情ある」「愛嬌のある」態度をとって当然と思われている。女は人に好まれるような態度でなければいけない、愛に溢れて気が利く女でなければいけない……というジェンダー規範の中生きているので、そういう態度が身に染み付いているのだ。
そういったジェンダー規範の作る雰囲気の中に長らく生きていると、「愛情表現を身につけるのは女性だけでいい」という思い込みが発生する。男性は「自分は愛情というサービスを受ける側である」と無意識に思い込んで婚活に挑む。
なぜなら自分はお金を稼ぐ側だから。
サービスをしてもらって当然だから。
母親にそうされてきたから。
自分が気が利かなくても、愛嬌がなくても、男なのだからたいした問題ではないだろう……
既婚者の中でも、未だにこう思っている人はいる。誰でも結婚する時代だったのでとにかく周りのいうままに結婚したというパターンだ。過去のこのような結婚が大抵の場合不幸に終わったことを子どもの世代は知っている。だから未婚が増えているのだ。
たとえどんなにスペックが離れていても、属性や地位が異なっていても、「愛情をシェアしあう」という断面において2人は完全に平等である。
夫婦になることでそういった2人だけの世界ができる。それが結婚の最大の価値だし、健全な家庭生活である。
男女どちらであっても、愛情表現というのは必須なのだ。
この「愛情表現とは具体的にどういうことか」というところは、また次回、機会があったら書きたいと思う。
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