“自分らしさ”に踊らされる
自分らしさを探すというのは、まるで手で霞を掴むが如く無駄な行為だと思うのです。
1)自分は存在しない
何故なら、本来自分というものは存在しないからです。
例えば、自己紹介をしてみてください。
名前は○○で、出身地は△△で、家族構成は三人で、趣味は読書で……と延々と自己紹介してみても、そこに自分というべきものは見つからないでしょう。
全てが、あなたにとって外側のもののはずです。
つまり、あなたの核など存在しないのです。
私たちは自分以外のものが集まった集合体を、自分と呼んでいるだけです。
だというのに、自分らしさなんてものについて考えるなんて、そんなの意味がないとは思いませんか?
勿論、自分にとって得意なことや、好きなことを探すことは意味がある行為だと思います。
苦手なことを行い続けても、結果が出ることは無いでしょう。
それでも、私たちは“自分らしさ”という言葉に踊らされ過ぎているのです。
あなたにも、私にも、好きなことはあります。
ただそれを自覚するだけで良いのに、自分らしさなんて曖昧な言葉を追い求めるせいで、ついそこから目を逸らしてしまいます。
2)『自分探しの旅』に意味はない
たまに自分探しの旅なんてフレーズを耳にしますが、その行為に一体どれほどの意味があるのでしょう。
旅をして、一体どうして自分を見つけることができるのでしょう。
その行為に根拠などあろうはずがありません。
ゴールを設定できれば、そのゴールが一体どれほど荒唐無稽なものであろうとも、道筋は見えてきます。
しかし、ゴールが曖昧ならば、あらゆる行為が意味のない、ただの自己満足に変わってしまいます。
本当に“自分らしさ”を見つけたいのなら、自分の好きなことにもっとエネルギーを注ぎ込んだり、興味のあることに挑戦する方がずっと良い。
あまり情熱が注げないのなら、それは自分にとって優先順位が低いということです。
そして、夢中になれるのなら、それがあなたにとっての“自分らしさ”なのです。
つまり、私が言いたいこととは、“自分らしさ”なんてそもそも存在しないんですよ、ということなのです。
3)好きなことをやろう
親や教師は、良く
「自分らしさを磨け」
「個性を発揮しろ」
などと言いますが、私たちが
「自分らしさって何?」
「個性ってどこにあるの?」
と問いかけると言葉を詰まらせます。
どうしようもなく言葉に踊らされているのです。
存在しないものを追いかけさせられているのです。
それは、洗脳だと言い換えることもできます。
私たちは無いものを有ると思い込まされているのです。
曖昧な言葉を使うから、私たちは言葉に踊らされます。
だから、もっとシンプルに考えましょう。
好きなことをやっている自分が“らしい”のです。
好きなことをやっているあなたこそが、あなた史上最も輝いているのです。
だから、好きなことをやりましょう。
その方が“自分らしさ”なんて存在しない言葉を追いかけるより、ずっと有意義です。
私たちはそれで生きているのです。
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