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"Sorry, we missed you"(邦題「家族を想うとき」)

こんなにも悲しくなってしまうのはきっと、自分たちの生活を覆う巨大な経済構造が、いち人間の存在や願いをあっけなく踏み潰しているということが、極めて我々が感じている事実に近いからなのだからだと思う。

この映画を観たあと、私は涙が止まらなかった。号泣とか、嗚咽が止まらないとか、そういった衝撃を受けたときの身体の反応ではない。心を静かに掴まれてしまって、そこがどうにも痛い。

映画館を出て、なんとなく駅の方にのろのろと歩きながら、ぼんやりと映画のことを考えていると、この寒い中、BIG ISSUEを売っているおじさんがいた。財布を見ると1万円しかなかった。すぐにコンビニへ行って、一番暖まっているコーンポタージュ缶を購入し、お金を崩す。
おじさんのところへ戻って、「一部ください、お釣りはいいです」と千円を差し出すと「あ、お言葉に甘えていただきます」と、おじさん。
コーンポタージュも「これ美味しいんですよね〜、いただきます!」と心よく受け取ってもらえた。このおじさんとのやりとりは、ここ最近で一番気持ちのよいコミュニケーションだった。


人間的であること、それはたとえば本当にお客さんのためになるような選択をすること、一緒に働く人のことを心から思いやること、そして家族を想って家族と過ごしたいと願うこと。
劇中、抑圧者として描かれるマロニーだって、自分の地区の売り上げを保持するためには、人間らしい関係を結ぶことはできない。
業者同士だって、自分たちの稼ぎをキープしたり、少しでも業績を向上させるためには、同情ばかりしていられない。「ああ、運がなくてかわいそうだ」「自分はセーフ。助かった」。傷ついた者たちを横目に、前に進むしかない。

何せ全ては「自分の自由」なのだ。稼げたものが勝者、どんな理由があるにせよ、稼げなかった者は敗者。その責任はあくまでも彼らプレイヤー自身にある。
ジャッジは誰が下す?
自分たち自身だ。苦しい生活が、少しのお金の余裕さえあればと思わせる一瞬いっしゅんが、自分たちに自覚させる。

もちろんプレイヤー自身がゲームのルールを疑う瞬間はたくさんある。違うプレイヤーが罰を受けて苦しそうな姿を横目で見つつ苦しく思ったり、自分自身がやるせない目にあったり。でも誰も助けてくれない。誰のことを助ける余裕もない。
当事者である彼ら自身がそのルールの不都合さを意識するとき、彼らはもう疲れ切っていて、連帯して争う力もない。連帯できるほどの仲間との絆もない。


介護職で身を粉にして働く、主人公の妻、アビー。アビーが家族のギクシャクをどうしたらよいかわからなくて、訪問先のおばあちゃんに髪をとかしてもらいながら静かに流す涙。
反抗期を迎える中、ロールモデルが見つからず、奴隷のように働く父とうまく関係をつかめない息子、セブが、怒りに任せて父親の入っている家族写真を傷つける怒り。
娘ライザが罪を告白するシーンで、涙を流すお父さんお母さん。
そしてつられて泣いてしまう、観客席に座る私。
人間らしくいる自分を祝福しながら幸せに生きることは、なんでこんなに難しいのだろうということを突きつけられる、愉快ではないけれど素晴らしい時間でした。
こういう映画をみたあとに、例えば自分は自由にファミレスに入ってあまり考えずに食べたい物をオーダーしてること。このやるせなさを、どうしようか。

P.S. ずっと、映画を見ながら、タイトルのWe missed youは、日本語に訳すとどんな意味なのだろう、何か恋しいという気持ちに繋がる言葉なのかなと思って見ていて、観賞後、いろいろ考えたけどなんだかしっくりこなくて。そしたら斎藤敦子さんという方が以下のように訳されていて。観賞後の気持ちが少し慰められました。

原題の『Sorry we missed you』には2つの意味がある。1つは、映画の中にも出てくるが、宅配の不在票に書かれた“お届けにうかがいましたがご不在でした”という慣例表現。もう1つは“あなた方を見逃していてごめんなさい”という文字通りの意味で、ここにローチ自身の気持ちが表れていると私は想う。
(中略)
Sorry, we missed you. ごめんなさい、あなた方のことをちゃんと想っていますから。
https://www.banger.jp/movie/23654/




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市川 雪乃
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